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陶都物語~赤き炎の中に~  作者: まふまふ
【独立編】
179/288

051 颯太vs円治③






田舎に長く在住している人ならば、地域に根付いた不気味なほどに正体の分からない影響力を振るう名士、名家などという存在があることをご存知であるだろう。当代の資金力もそれなりに関係はあるのだけれども、累代で築かれてきた地縁血縁、貸借によるしがらみなどを介して広く住民たちに影響を及ぼす者たち……それが地方の有力者というものである。

この多治見盆地という地域社会で当代もっとも権威ある名士とはすなわち西浦家、その当主である西浦円治とすることが出来るだろう。武家社会の身分制で言うなら40石旗本である陶林家当主である颯太のほうが確実に上手といえたが、地域社会のなかで発揮し得る『重み』という部分では円治の足許ぐらいにしか及んではいない。地域の根幹的産業である窯業を牛耳り、各窯に隠然たる支配力を持つ西浦家に、出来たばかりの新参の旗本など比ぶるべくもない。

が、その現状に変化が見え始めている。

人の口に戸を立てることは難しい。少し前に起こったばかりの天領窯と西浦屋の争議……その驚くべき顛末がおそらくは西浦屋出入りの者から噂として拡散し、地域住民の間に瞬く間に情報共有されてしまったようであった。


「…これは陶林様、ご機嫌よろしゅう」


狭い意味での地元である大原根本ではないほかの土地を歩いているところにそう声を掛けられる。

女子供の村人であったり、地蔵に手を合わせていた老人であったり……荷を抱えた行商人らしき者も、いま目の前で慇懃に頭を下げていく。


(…まああれだけやったら、いまさら、か)


別段名を売ろうとしていたわけではない颯太は、ただ困ったように笑うしかない。江戸でもいろいろしでかして人外扱いを受けていたのだ、悲しむべきことに耐性はあったりする。

いわく、『あの西浦屋を強面で震え上がらせた天領窯の鬼子』。

いわく、『詫びに娘を差し出させた大原の直参陶林家』。

噂は人口を介すうちに尾ひれがつきまくるものであり、住民の噂ネットワークの仮想上で颯太のプロフィールはひどいことになっているらしい。

『根本の代官様さえ犬みたいに尻尾を振る』だの、『尾張一等の豪商も顎で使う』だの、たちの悪いところでは『鞍馬山の天狗からの貰い子』だの。


(結局クソじじいには際どくかわされちゃったけど、それなりの実利は得たし、…このひどい噂も、今後を考えればそう悪いもんでもない)



***



「輿入れに珍奇な新製焼もお付けいたしましょう」

「…おまっ、やっぱり!」


娘との縁談を突然に持ち出した円治。

押しているつもりがいつの間にか寝技を掛けられていた……慇懃な態度は崩さないもののしてやったりとの色がその顔からは垣間見えて、正直その瞬間は颯太も怖気をふるった。

が、安い海外下請けの金額を相見積(あいみつ)にドヤ顔でディスカウントを要求するクソッたれ発注元のおかげで、そちらの耐性をつけてきた中身のおっさんは、交渉内容が腰砕けになる寸前になんとか態勢を立て直す。めろめろのままでいたら骨の髄まで吸い尽くされるような契約書に判をつかされるのだ。半ば生存本能、そう言ってもいい再起動だった。

そうして結婚して西浦屋を利用されたらどうかなどと耳の穴に蜜をたらすように篭絡にかかった円治に対して、颯太が守勢に回ったのは束の間のこと。

袖の中に入れっぱなしの匂い袋に意識を向けながら、祥子との縁談の利を思い返したのはわずかの間のことだった。颯太も男だ、女性との縁組で発生するだろうおのれの人生への影響を考えたことがないわけではないのだ。

現状商売敵である西浦屋との縁は、利もあるが害も多い。

そもそもまだ色香にたぶらかされるほどの衝動もない6歳児にとって、婚姻はいまだ抑制の利いた理性の手のひらの上にある。


(いまはまだ……はっきりと『利』が勝りでもしない限り、決断の必要はないし!)


ここは情に流されるわけにはいかない。

この匂い袋を押し付けてきた祥子の姿を脳裏から振り払い、婚姻などという迂遠な話よりも前に、この相手が見せたわずかな隙……『珍奇な新製焼』がここにあるという明らかにされた事実にタックルをかまして、一気にいろいろな『利』を刈り取ってやるべきときだった。

意思の圧力を強めた颯太の眼光に、円治ははっきりと動揺をあらわにした。『縁談』が鬼札足りえぬことに気付いたときには、時すでに遅し。

戦闘体勢となった颯太のデンプシーロール張りの口撃ラッシュが口火を切る瞬間を、円治はただ呆然と見つめるしかなかったのだった。




「ああっ! もったいないっ!」


江戸市中復興のために逼迫する江戸便の荷受には、現状颯太の口利きがまず不可欠である。瀬戸焼と比べて政治力の弱い美濃焼にとって、幕府勘定方に地歩を築く颯太は貴重な存在である。

美濃焼運搬の江戸便斡旋の継続券といういささか贅沢なカードを切ることで、販路の閉塞で干上がりかねない西浦屋にまずキャンと言わせてみる。そうしてしぶしぶながらも吐き出させた悪夢にまで見た『珍奇な新製焼』。差し出されるなり、颯太はそれをむんずと掴んだ。

最前の悲鳴はむろんクソじじいのものだ。

円治の悲鳴をBGMに、その目の前で某グルメクラブを主催する陶芸家のように「ぬお~っ」っと心の中で叫びながら庭石に投げつけた。

パリーンッ!

食器の割れる甲高い音に、蔵のほうの荷入れの賑やかさが一瞬静まったのが少しおもしろかったのは内緒だ。西浦屋の人間たちがみなそれとなく奥の間のことに神経を集中している証しに違いなかった。


「うちの焼き物が欲しかったら、百両だしゃあ。美濃焼総取締役の頼みというなら、この陶林颯太、便宜のひとつも図らんでもないし」

「ああっ、管理の厳しい窯の撥ねモノもそれなりに珍し…」

「あれは存在したらあかんやつやわ」

「…くっ」


貴重な蒐集品が失われたことにうろたえる円治を観察しつつ、冷静にコーナーに追い詰めるための算段を組み立てていく。

部外者にはうかがい知ることの出来ぬ西浦屋の実力……この場合は幕臣としてコネクションを築きつつある颯太と鬩ぎ合うだけの腕力といって差し支えないそれの、おそらくは源泉となるであろう『尾張藩ライン』。

休む暇も与えず、颯太はさらに口撃の圧力を加えていく。


「…西浦屋さん」

「…なんでございましょうか」

「あの器、仲買人から譲り受けたとうかがったけど、管理が厳しいうちの事情を知りながら怪しげな仲買を手引きして不正規に手に入れたやり方、本来尾張様の藩是に沿った取締りをすべき取締役として、実際どうなんだろうかって思うんやけど?」

「………」

「義恕公に確認してもらったっていいけど、尾張藩はうちの新製焼の完成度と希少性、そのどちらも阻害されれば価値が揺るがされることをご理解してもらっとる……うちの管理体制を混乱させることとか、まさにお殿様の意向に背くものやわ。うちの新製焼を儲けのタネと理解したからこそ……もう瀬戸のほうには話がいっとるそうやと浅貞屋さんで聞いたけど……尾張様のほうからの『認証』付けのお下知の件、届いとらんはずないんやけど」


すっと気配を吸い込むように静かになった円治。

表情を消してしまったその様子に、颯太はたちの悪い笑みを含む。


「まさか美濃焼総取締役が知らなかったとか、そんなことはないよね? …世に出て行く藩の特産に『本物』であることの印を付けよう、不正規な抜け荷や成りすましの偽物を排除しようっていうのがその主旨なんやけど……もしもそうした尾張様の手当てが届かぬうちに悪さを終らせて、影で訳知り顔に笑っとるって知られたら、一本気なあのお殿様の相当なご勘気に触れたやろうねえ。…江戸も大阪も尾張様の勘定所を通さんと荷を動かせんし、下手したら首が絞まっとったかもしれんね」


尾張藩を背景とする権力ラインにねじ込むようにブローを打ち込み。

よろめいたクソじじいの、今度は地域の名士としての側面に連打を叩き込む!


「…うちの株仲間のほうも今回の件では相当に煮え湯を飲まされとるし。…うちの株仲間の面子がちょっと特殊なのは知ってるでしょ? 江戸の大旗本林家の殿様に、根本の代官様まで名を連ねとるし、もしも万一のことがあって御留焼にしとるお上……幕府からお叱りでもあった日には腹を召されることだって考えられたんやわ。…ほんと、影響力のある人たちばっかりやから大事にならんで何よりやったと思うわ」

「お上の御留焼…? それはどういう…」

「西浦屋さんが知らんのもしようがないんやけど、黒船寄越した南蛮列国との贈答の品として幕閣からお指図があって……尾張様の認証の話もその辺が絡んでていろいろとめんどくさいことになっとるんやわ。…西浦屋さん?」


未知の情報に接して円治の顔色が一気に悪くなっていく。

御留焼となればそれは幕府の秘蔵品……列国との贈答品となれば不気味な政治性も漂ってくる。さすがにただ『軽いいたずら』というだけでは済まないことがそのときようやく円治の理解するところとなった。

有力旗本の致死の原因ともなれば幕府から厳しい詮議もあるだろうし、そこで責めを負う話にでもなったらたとえ東濃一の豪商でも一瞬で吹き飛ぶだろう。

連座してその責めの一部を確実に負うだろう領地代官である坂崎氏はいわゆる多治見土着の豪族……多治見盆地でも有数の力を持つ一族である。その一族の不興を買えば、地縁、血縁でがんじがらめの田舎社会に嵐が吹きかねなかった。

そうして地域のしがらみを束ねる名士としての影響力にしたたかな打撃を加え、颯太はぐいっとばかりに目線を近づける。

業界取締役としてではなく、かつ有力な地域閨閥を持つ西浦家の当主としてでもなく、それらを剥ぎ取った西浦円治個人の責として追及し、追い詰める。

現代の零細企業の社長風情ではとても持ち得なかったであろうその恐るべき圧力は、確実に命を削りつつ未来を探り続けた陶林颯太という人生が獲得した力だったろう。


「…うちの窯はなぜか地元のいろんなところで肘鉄食らわされとるんやけど、ちょっと西浦屋さんから声掛けしてくれたら、株仲間も何とか溜飲を下げることが出来ると思うんやけど?」

「………」

「具体的に言わなならん?」

「…しかとは分かりかねますが……そのように計らいましょう」


やったった。

颯太の中のおっさんたちが快哉を叫んだ。

その瞬間、天領窯を悩ませてきた馬喰どもの荷受拒否包囲網の解除と、各窯の粘土原料融通の差し止めが解かれたのだ。

颯太のとどめのアッパーは、円治の顎を捉える寸前ですでにぴたりと止められている。

颯太と円治の目がそこで互いを認め合い、円治がややして視線を下げたことで、場にこもっていた目に見えない緊張感は霧散した。

その瞬間、地域の旧来勢力である美濃焼を束ねる『西浦家』と、新進の天領窯を切り回す新たな在地勢力である『陶林家』との間の格付けが済まされたのであるが、その意味に気づいていたのはその場では円治のみであったろう。

円治の内部で起こった心情の変化を知らぬまま、颯太はその居住まいを正した深々とした挨拶に、やり遂げたいい笑顔で相対したのであった。


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