048 会合は踊る⑤
その晩の会合は、延々と夜半まで続けられた。
大筋では颯太の描いた絵図をなぞるように論議が進められたものの、株主たちにとってことは多額の損害を招きかねない一大事である。
持株の多さで悶絶ものの損金請求が行われそうな江戸本家、その代理人としてほとんど心構えもなく鉄火場に放り込まれた庫之丞は、頼りないながらも損害の内容を追うことで責任の軽重という防御ポイントに自力でたどり着くことに成功する。
持株数に応じて損金を等分するというのはおかしい、株主であっても江戸本家に正確な判断を下すのに必要な情報はほとんど上げられておらず、当事者扱いされるのは不当だと拙いながらも抗弁した。
代官様は持株の少なさからある程度冷静さを保ちつつ、おのれの管理不足に由来する窯の損害を主家に付け回さぬよう半身以上庫之丞の側に立って彼の抗弁の補助者となった。さらには動員している代官所の役人たちの日当を計上し、それを損金に繰り入れることで減額などを迫ってくる。
当事者として事件に立ち会っていなかった颯太自身も江戸本家と立場は似通っているので、庫之丞の主張が通れば自動的に損金の減額を適用される。…が、引き取った与力衆と普賢下林家の持分についてはやはり彼が背負わねばならなくなるし、責任論的損金偏重ということになれば損金の受け持ちが減額以上に膨らんでしまうことだろう。
結局そのあたりは本家の面目にも配慮しつつ、損金のより多くを陶林家が背負わされるような破目になってしまった。いずれにせよ損金が発生した時点で陶林家は『詰む』ので、決を採るために颯太が半歩退いた形となった。
(…これは物が見つからなかったら、首括りものだな)
むろんそのリスクは織り込み済みのこと。颯太は損金で大損する可能性よりも前に、過半数の株を握ることでの経営権の掌握を優先していたのでこれはもう仕方のないことだった。
どうせその《損》が確定すれば滅ぶしかないのだ。リスクを受け入れることで得た主導権を存分に振るうことで、颯太はおのれの遠隔操作がやりやすい……株主と経営陣が完全に分離する近代的な会社組織への改変を成し遂げたのだから、得と損で帳消しというものだろう。
紛糾した会合も、株仲間が明日以降いかにしてあがくか、その方針を定めたことでついに幕となった。
企業の生き残りをかけた戦いは第二ラウンドへ……代官様は代官所の総力を挙げて流出品回収へと動き、颯太と庫之丞は太郎の証言から疑惑の持ち上がった西浦屋へと押し入ることとあいなる。
大体の絵図が透けて見えたのだろう颯太の凄絶な薄ら笑いが、大人たちを相当にドン引きさせていたのはこの際ご愛嬌というものであろう。
体内の熱を吐き出しながら代官様が席を立ち、それに釣られるように立ち上がった庫之丞が颯太を見る。
「陶林殿…」
彼のかけた声に反応したのかどうかは定かではない。
疲れを拭うように顔をこすって、すっと立ち上がった颯太。そうしてその足が廊下にではなくへたり込んだままの伯父に向ったのを見て、庫之丞は口もとを結んだ。
6歳児の手が伯父の襟首へと伸びて、掴み上げるようにする。
むろん本当に持ち上げるほどの膂力もないので多少引っ張る程度ではあるのだが、劇的なまでの立場の逆転に相当に打ちのめされていたのだろう、太郎は虚ろな眼差しを上目遣いに向けて、逆らわず自ら背を伸ばすようにした。
「…伯父上」
「………」
「…これまで伯父上とはいろいろあったけど、おじいさまをあれ以上苦しめるわけにいかんし……しばらくは肩身の狭い思いをしてもらわなあかんけど、今回はいろいろと『ハメられた』感もあるし、おじいさまとも相談して伯父さんの人別帳回復は約束したる。…ええか、おじいさまを苦しめんようにそうするだけやよ」
「草…」
間に入ろうとする祖父を硬い横顔で拒否して、颯太は気を飲まれたままの太郎にぐいぐいと顔を近づける。
「いずれ回復したるけど、でも誤解はせんとってね? …流失品が見つからずに株仲間が《損》をかぶることになったら、そのときは《株仲間》も《取締役会》も木っ端微塵になってるから、預りもなにも、受け皿がないのなら守ってやることもできんし」
無条件の救いなどないことを明言して。
そのとき6歳児の浮かべたわずかな笑みは、はるかに年長者である伯父の愚かさを哀れんでのものか、それともおのれの力の足りなさを諦観した失笑であったのか。
兄弟の長男として、総領息子として尊重されることが当たり前であっただろう伯父のプライドは、とっくに折れ砕けている。その目のなかのどこか卑屈な光に、颯太は思わず声を荒げた。
「普賢下の家が西浦屋にも負けない豪商になったかもしれない夢も、ぼくのこつこつ積み上げてきた将来に向けての苦労も、伯父さんが考えなしにめっちゃめちゃにしてまった。…事業を始めたのはぼくやから、普賢下の家が倒れんよう損はぼくが全部引き受けた。…ええか、このあともしも流失品が見つかって全部が事なきを得たとしても、おじいさまが勘当を帳消しにしたから戻してくれとどんなに頼み込んできても、伯父さんを普賢下の家には絶対に戻さん。今回の伯父さんの大失態で、閻魔様の地獄の釜の縁にぼくは乗らなあかんくなった。ぼくの人生、命の代償は、当然太郎伯父さん、あんたの命でないと割が合わん。それが公平っていうもんやと思う」
もはや尋常な童とは誰も思いはしなかったが、その瞳に宿る赫怒の炎は、覚悟も持ち合わせないただ年長というだけの大人たちを気圧さずにはいない。伯父が生唾を飲み込んだのを喉の動きで感じた颯太は、ぱっと襟首から手を離す。
少々冷静さを取り戻したように。
「いずれその時がきたら、陶林家の人間として生きやあ。そんで明日、西浦のクソじじいのところに乗り込むときも、大一番をぼくがへまをせんよう、全力を傾けて手助けしたってくれ。…ぼくがクソじじいを追い込み損ねたら、伯父上も一緒に地獄に落ちるし」
そうして颯太は祖父の前に膝を着き、深々と首をたれた。
畳に額を擦り付けるように頭を下げたまま、しばらく言うべき言葉を捜していたのだけれども……それでも結局は見つからずに、颯太は無言のままだった。
誰にも見えぬその面から、ひとしずくの涙がこぼれた。
(…伯父上を唆したのは、クソじじいだ)
西浦屋当主、西浦円治。
江戸にいた颯太に娘を寄越して接近を図り、荷運びの船をずうずうしくも無心した男が、見えぬことをいいことに郷里でせっせと落とし穴を掘っていた。
二枚舌、三枚舌の食えなさは豪商たるにふさわしい要素ではあったのかもしれない。天然気味の娘にほだされてほいほいと便宜を図ってしまったのはいまとなっては痛恨の判断ミスだったのかもしれない。
もしも天領窯を美濃焼業界統治の障害とみなしてつぶしてしまおうと円治が画策していたのだとすれば、釣られて踊り出した真正の阿呆だ、オレは。
むろんそれなりに根深い企みはあるのかもしれない。もしもそこで颯太が承服しかねるような事実が発覚したならば、もはや西浦屋は敵性と判断せねばならない。共存できないとなれば、もはやそこには戦争しかない。商人の流儀に沿って資本で叩き潰すか、公権力を巻き込んだ特権争奪で圧殺するか……西浦屋と天領窯株仲間の闘争が始まることとなる。
太郎からは可能な限りの事情聴取を済ませている。
(…縁談にいい気になって西浦家に入り込もうとした伯父上も軽率だけど、クソじじいもえぐいことをする)
太郎の主観が相当に混ざった内容なのでそのまま受け取ったらあとで大恥を掻くかもしれないのだけれども。
天領窯について根掘り葉掘り聞いてくる円治翁に、太郎は認められたいばかりにあっさりと天領窯の内情をぺらぺら喋りまくっていたらしい。そうしておのれの継ぐべき普賢下の家が大量の株を所有する筆頭取締役であること、縁談が無事成就すれば天領窯は西浦屋のものになったも同然だろうと……颯太にしたら憤死してしまいそうなことも言ってしまったらしい。
そうして円治は太郎を試すように、しばらく店の帳場に立たせてみていたようなのだが、娘の入り婿になる気満々だっただろう太郎がそのときお客様気分全開で置物となっていたようなのは……帳場に立ったことのみ言うだけの太郎から、取引ノウハウや帳面付けのコツなどの『リアルな気付き』証言がないことから容易に推察できたりする。
そしてなれなれしくお嬢に手を出してひっぱたかれて、本人同士のレベルで縁談が壊れかかったのがその頃合であるらしい。
…まあここまではむしろクソじじいの肩を叩いてやりたくなる展開であったのだが。
(…もうどうせ見限ってたくせに、破談の可能性にうろたえる伯父上の耳元におためごかしに毒をたらす……やりそうなことだ)
もうとっくに人材としての太郎を見限っていたに違いない。
なのに円治は、娘との縁組などおのれの掌の上だと言い置いて、天領窯の組織内で頭角を示して見せれば考え直すのもやぶさかでないと言ったのだという。
そのときに自然と『仲買人に鑑札を売るとそれも金になる』という発想を太郎が得たというから、よほど周到にそれらしい情報を目に付くところに陳列していたのだろう。
直接には唆していたわけではない。太郎が勝手に思いつき、実行したのだという体裁がしっかりと用意されている。
これは不用意に噛み付いたりすると二次災害が発生しかねない。食えない狸親父は、もしかしたら颯太が怒鳴り込んでくることを手ぐすね引いて待っているのやも知れない。
嫌な予感はするものの、この時期に急に颯太が帰郷するなどと西浦屋側も予想外のこと。いろいろと準備される前に特攻んでしまうのが吉だろう。
「…この川、橋もないのか」
翌朝、身を切るような冷たさの土岐川の水に、庫之丞が思わず悪態をついた。
西浦屋のある本郷(多治見郷)は、大原から見て土岐川の反対側、東岸にある。
暴れ川である土岐川は常設の橋を架けづらい川である。後にこの土岐川に最初の常設橋である多治見橋を西浦円治が私財を投じて架橋することになるのだが、このときはまだ橋らしい橋もなかった。
「しょうがないやろ。田舎やし」
率先して水の中にはいった颯太であったが、やや増水気味の流れにその軽量ボディはあっさりと持っていかれた。
ずばしゃーん!
幸先の悪いことこの上なかった。