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陶都物語~赤き炎の中に~  作者: まふまふ
【独立編】
173/288

045 会合は踊る②






(…まあ、『抜け荷』自体は、それほどの大事じゃないんだけど)


これは時代感覚というものであろうか。

藩御禁制品の『抜け荷』とか聞くと、すわ犯人は即刻打ち首だとか、関係者も連座してえらいことになるというイメージがあるのだけれども、実際のところ美濃焼業界では公然とではないものの『抜け荷』の常習化が実態としてあり、窯元主導で山をかき分け足助(※愛知の東北部)のほうに運び出して、こっそりと売り払ったりということがままあったりする。

数が多すぎて処罰しきれないのか、見つかっても荷の没収か罰金程度で済んでいたらしい。後世の業界人であるからこそ知るトリビアである。


(…見つかっても荷物の没収とか罰金とかで済むみたいやし……ぴびっとるみたいやから教えてはやらんけど)


『抜け荷』横行の問題の根っこは、意外に単純なところにあったりする。

理由は簡単だ。

独占商人である西浦屋があまりに強すぎて、価格を叩き過ぎていたからだ。

さすが多治見のビッグファイヤーというところか。

西浦屋はおのれの店に出入りする仲買人に鑑札を買わせ、彼らに販売の『特権』を与えることで巧みに囲い込んでいる。大株、中株、小株と三分される美濃焼物取締所発行の鑑札……小なりとはいえ『特権』を買わせることで、『特権』を持たない部外者が侵入することを彼ら自身に監視させている。たとえそれがどれほど小さな『利』であっても、人はいったん手に入れてしまうと守りに入ってしまうもので、なかなかにうまい手であるといえる。

『特権』の対価に金子を差し出させ、それを持って飼い犬の首輪とした西浦御大に対して、太郎は鑑札の売り買いをただ金の面でしか読み取れていない。比べるのも失礼なほど役者が違う。


「漠然と話しても分かりにくいと思うし、《損》が勘定しやすいようにざっくりと数字にして話していきましょうか…」


《損》という言葉に株仲間の目つきが明らかに変わっている。

最前まで予期せず入った臨時収益をどうやって分配しようか……そんなお気楽なことを考えていた者が多かったのだから仕方がない。

こんな片田舎では、庄屋や名主といっても金銭的にゆとりのあるものなどほとんどいない。わずかな《損》が発生しただけで一家の年間支出計画が破たんしかねない。


「細かいところから列挙するよ…」



【勘定】(※1両/4000文)


『土の損』    3分(30文×100=3000文)

『労賃の損』   4両((100文×3人(職人)+50文×6人(見習い)+200文(絵師))×20日=16000文)

『薪の損』    1両2分800文(10駄(約1.3トン)/1駄3匁5分×10=35匁=約6800文)

『薬(釉薬)の損』  約1分


《損》の合計  6両2分800文



「そこの売り金2両と鑑札代とかは、株仲間として受け取るわけにはいきません。よって、これら6両ほどの金がわれらの懐から消えた形となります」

「ろっ、6両やと!」

「器百個ばか焼いただけで、6両やって!?」


素早くおのれに降りかかる《損》を計算したのだろう、与力衆たちが血相を変えて食いついてきた。それぞれにたった1株、ひとり270文程度の損だというのに…。


「…うちはいろいろと要求が厳しいし、その分だけ抱えの職人たちには日当をはずんどる。土も特別やから高いし、上絵の焼き付けもあるから錦窯の分、何倍も薪もようけ使わなあかん。上絵ぐすり(釉薬等)の費用も余分にかかる。…やから言うけど」


颯太は座り込んだまま呆然としている太郎を見つめて、淡々と、しかし吐き捨てるように言った。


「2両ばっかやと、大赤字やわ」


太郎はこれ以上ないくらいに眼を見開いて、小さく震えだした。その手につかんでいた小判が零れ落ちる。

おのれが目をくらませていた小判という金が、実に取るに足らないぐらいに軽々しくなる経営者たちの世界が目の前にある。たった3両で途方もないと思ってしまった大金が、あの取り澄ました甥っ子にとってはした金に過ぎないことがこれ以上もなく分かってしまった。

そうしてついに、彼はへなへなと脱力した。


「…いちおう勘違いしてほしくはないんやけど、ぼくが気にしとるのはこんなはした金のことやないし。6両は大金やけど、窯を運営していくにあたって、これは必要経費やったと思えんこともないし、いままでの利益が貯められとるから、これは仕方のない損金として相殺して問題ないと思う。……ぼくがいま一等に問題に感じ取るのは、全く別のところ……《天領窯》そのものの『価値』を損なったこと……その《損》の大きさやし」


颯太は前回揉めた時に作らせた窯の取り決め……あの高札で謳った、株仲間への裏切りは、主家への叛意と同じであること、それには極刑をもってあたることがあるとの念押しは……まさに技術漏えいによる莫大な損失を防ぐためであった。

そして現在に至っては、『天領窯』の価値は比べ物にならぬぐらいに跳ね上がっている。列強国のひとつロシア人にその美的価値を認めさせ、たったひとつのティーカップセットを対価に、最新鋭のカノン砲(イギリス製らしい)を10門も要求し得た至高の逸品なのだ。その瞬間の実勢価格ならば、あの根本新製は千両を軽く超えていたことだろう。

その価値が幕府に『御用』を言い渡されるほどに高まったのは、生活雑器としてではなく美術品として、外国人受けする美しさとその希少性の高さを認められたからに他ならない。颯太という判定人が後世の美的センスで厳選に厳選を重ね、市場にさえまったく出回らないほどに出荷数を絞ったことも大きい。

さすがは幕府御留焼、どれも逸品ぞろいだと常に目の肥えた鑑賞者を唸らせねばならない、恐ろしくハードルの高いところに根本新製は足を踏み込んでしまっているのだ。


「この窯で初めてぼくが合格を出して、江戸へと持ち出した最初のひと組……皆に詳しく話したことなかったけど、この際知っておかなあかんと思ったから言っておくけど……あれは唐土の清朝さえも震え上がる北の大帝国、日の本を10個足しても半分にも届かない世界最大の領地をもった露西亜帝国の全権使節、エフィム・プチャーチン閣下に贈られとる。幕府側応接役であられた勘定奉行川路様が対価として10両……全権使節様がどうしてもと所望されて、急遽のお売渡しであったので、10両もの大金を出されてなお今はそれだけしか用意できぬと頭まで下げられた」


おのれたちの作り出したものが、世間でどれだけの価値を持つのか…。

それを踏まえてこそ、颯太の言わんとしている《損》の大きさを理解し得るだろう。


「ふたつめは畏れ多くも公方様……家定公に所望され、引き渡された。天下の将軍様が、その頃半士半農とはいえほとんど庶民にしか過ぎないそれがしと浅貞屋をわざわざ江戸の城内にまで呼び寄せて、直接お声掛けまでしてくださった。…みっつめはまた露西亜帝国の方だった。お帰りになられた全権使節様の土産を見て、これを皇帝陛下に献上したいと、露西亜極東地区を治めるスイビーリ提督閣下からのたっての願いで引き渡された」

「露西亜……おろしあ国か」


多少学のある代官様がぽつりとつぶやいている。

他は……まあ急に現実味のない壮大な話を持ち出されてあっけにとられている、という様子である。


「そのときのうちの新製焼の対価は……露西亜国の新鋭フリゲート艦のカノン砲……あの黒船騒動で、メリケンの軍艦がぶっ放した大砲とおんなじものだと思ってもらっていい……そいつを10門、まとめてぶんどった」

「「「「ッ!!」」」」

「幕府はおろか先進で名高い鍋島藩でさえまだ作ることができない鉄製の大砲、そいつが1門でもとんでもない価値がある……それが10門だ。うちの新製焼と南蛮列強の最新大砲が10門、そのとき同価値として取引された。…同行の製鉄に詳しいひとが言っていたけど、鉄製の大砲は国内ではまだ作れない……たとえ仮に韮山の反射炉で必要な鉄を溶かせたとしても、いまの情勢では1門100両かけても作るのは難しいそうだし」


聞きなれない単語はすぐに理解できなくとも、そこに顔を出す金銭の計算程度ならすぐにできる。

単純計算しても、1000両。

製造さえ不可能な列強の最新鋭大砲であるというなら、もっと高値がついて当たり前であるから、それでさえ控えめな数字であるということが同席者たちにすんなりと浸透していく。


「このぼく、陶林颯太が浅貞屋と組んでうちの新製焼を売り込むというのは、そういう世界でのことや。…ぼくや浅貞屋は当然だけど、幕府のお歴々も、根本新製がそうした途方もない価値を持っていることを信じているし、その南蛮人さえ欲しがる貴重な価値が失われないことを、外交上期待もしている」


もはや誰も声を出さない。

颯太が次に何を言い出すのか、どんな途方もない事実を持ち出すのか、期待と怖れを半ばさせたような表情をしている。根本新製の評判が上がっていることを、根拠もなくそういうものだとしか考えていなかった者たちが、その原因に初めて触れたのだ。

それはまさに評価されて当然。価値が上がって当然の状況であった。

怪しげな行商たちが窯に群がってきたことも、信じられない高値が……しょせんは1両程度のことであったのだが……飛び出してきたことも、そういう情報が彼らに出回っていたからなのだ。

そんな有象無象の提示したはした金に飛びつくことの浅薄さが、ゆっくりとだが理解となって株仲間の間に胸落ちしていく。

彼らは颯太を見、その視線を見返されると我知らずうつむいた。

《損》は途方もない大金…。

皆が理解した。


「…窯で『試し焼き』した練習用の器が、数点何者かに横流しされました。ひと目にさらされることさえ恥ずかしい出来損ないが、『根本新製』だと喧伝され、こんなちんけな焼き物がご大層なと世間に馬鹿にされる。…うちはもとより、持ち主の本家はかかなくていい大恥かいて、それを外国に贈ったお上は見る目のない大ばか者と囃し立てられる……それがどれほど恐ろしいことか、あなた方には分かりませんか」


ここまできて分からぬはずもなし。

そうして颯太はさらなる爆弾を投下した。


「…ご本家はこの件、どう思われますか、…『林庫之丞』殿」


颯太はにやりと笑って、ゆっくりと端に控えていた庫之丞を見た。

ひざ先の畳を爪で掻くようにしていた庫之丞は、颯太を見て凄絶なまでの笑みを浮かべた。


「それがまことの話ならば……わが父はお上に責められ、ことによっては腹を掻っ捌くやもしれませぬ」

「江吉良林家39株はいずれあなたのものです。普賢下林家が41株にて起こした動議、あちらも代理ならばこちらも代理が通るというもの。ここに偶然居合わせたのも天佑、天領窯株仲間の一員として、その権利を振るわれてみてはいかがですか」


意味ありげな颯太のまなざしに、庫之丞は小さく頷き、


「是非もなし」


そういって前のめりに膝を進めた。

突然の大株主出現に、その陪臣たる代官坂崎様が驚愕の表情を浮かべ、突っ伏すように平伏した。その激烈な反応に引きずられるようにして与力衆らもあわてて追従する。

そうしてまず最初の、陶林颯太の勘定方解任の動議が、59対41で即座に不支持の評決がなされたのであった!


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