表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
陶都物語~赤き炎の中に~  作者: まふまふ
【独立編】
172/288

044 会合は踊る①






太郎が取り出したもの……それはやはり見たままに『銭入れ』だった。

紐を解き、逆さに軽く振ると、3枚の小判と小さく折りたたんだ紙切れが転がり出た。

たいした造りでもない銭入れから思いのほか高額な黄金色がこぼれ出したことに株仲間たちがほうっと嘆声を漏らした。

それらの反応にようやく表情を緩めた太郎は、得々と3枚の小判を膝先の畳に並べ、折りたたまれた半紙を広げていった。なにかの書き付けであるらしいことがすぐに分かる。

わざわざ皆に見えるように紙を広げて、小判の横に並べ置いた。


「先日窯で焼かせたものを、売った代金が2両。…そしてこっちがわが天領窯の正式な仲買人となる鑑札取り交わしの約定書と、権利金の1両……金は都合3両」


小判など片田舎では早々見るものでもない。

その黄金色の怪しい輝きにうっとりするように目を落としてから、太郎はおのが功績を誇るように畳に手をつき、背筋を伸ばした。


「評判の上がったわが窯の新製焼を、何も律儀に尾張のお蔵元になど納めずとも、新たな焼物問屋や仲買人を増やして売り先を広めていけば、もっとたくさん数がさばけるようになるし、金も稼げるんやないか。…このオレに……それがし林太郎左衛門に任せてもらえれば、こんな得体の知れぬ怪しげな小僧に頼らずとも取引先を広められるし、もっとたくさんの器を売って儲けることができる。…この金と約定書がその証しやわ」


きっと、挑むように睨み付けてくる太郎を見返して、颯太は硬い表情のまま口を引き結んでいる。わずかでも口を開けたら出口を求めて狂い猛っている強烈な感情が安い罵声となって迸り出てしまうのが分かっていたからだ。

颯太が場を譲ったのは太郎が今回売り上げたという利益の詳細を報告させるため……少しでも実のある内容のものであるならフォローを入れるのもやぶさかではないと颯太は願っていたのだけれども……こちらを睨みつけてくる伯父が勢いに任せて事務報告のレベルをあっさりとまたぎ越えてきたときには、さすがの颯太も我が耳を疑ってしまった。

伯父が述べ出した口上は、陶林颯太に対する『解任』動議に他ならなかった。


「この得体の知れんガキの『勘定方』解任と、この筆頭取締役代理、林太郎の『勘定方』お役兼任を皆様方に申し立てる!」




ははは…。

もういろいろといっぱいいっぱいで、乾いた笑いしか出てこない。

得体の知れんガキ、か。

まあその辺はたしかに間違っちゃいないと思うけれど。

身内とはいえさすがにもうまともな付き合いは諦めるしかないのだろう。むしろ生暖かな身内意識を排除してくれたことで、かえってやり易くなってしまったことは皮肉というしかない。

たまたま颯太が江戸から戻っていたからこそ、その底の浅い企みにこうして対応できているだけで、もしもあのまま江戸で足止めを食らっていたら、このたった3両のわずかな利益に他の株仲間が手もなく転んで、知らぬ間に嫌な流れが出来上がっていたということにもなりかねなかった。

奥歯を噛み締めて伺うように周りを見回すと、容儀の軽々しい与力衆たちが早くも目の前の金の分配に言及している横で、初めてそうした話に接したらしい祖父が顔色を悪くして畳に目を落としていた。

その灰色がかった瞳がちらりとおのれの愛する孫を見、まさに視線がぶつかったことに狼狽したように逸らされる。


(おじいさま…)


老いては子に従え、そう世代交代を厳しく促す諺は、ひとの人生が50年にも届かない短命であることが当たり前の時代では至極当然のことであった。

何が切っ掛けでこんなことになってしまったのか……祖父の年齢を考えればそれなりに察することが出来る。

普賢下林家の現当主であった祖父林貞正は、その席を跡目に譲ろうと、少しずつ下準備を始めていたのだろう。まずは株主筆頭とはいえ顔を出すだけでほとんどオブザーバでしかない天領窯株仲間の会合で、おのれの代理として太郎を紹介した。そうして天領窯の経営に並々ならぬ熱意を見せる長男に、経営の難しさを身をもって体験させようとでもしたのだろう。

しかし親の気持ちも、ちゃんと伝わらねば結局意味はなかった。

太郎のやりようは、あまりにも愚かだった。彼本人の責任で納まる類のものなら何もいうことはないけれど、現実にはたかが様子見に代理を任されただけの身でやってよい範疇を逸脱した危険な判断を行い、当人ばかりなくその任せた親とその実家までも破滅に巻き込もうとしている。

周囲からの腫れ物を扱うようなやわやわとした接し方に……おのれの失点の多さに気付いて足掻くのはいい……ただその足掻きの時と場所をもっと選べと言いたい。

…ああ、愚かな身内というのはほんとに度し難い。


「もうこんな気味の悪い小僧になど頼らずとも、それがしに一任していただけば西浦屋のように仲買人たちを組織してどんどんとうちの新製焼を売りさばいて見せましょう! この約定を取り交わした者が、次に仲間を連れてくると申していたのでそちらのほうはもう成功が約束されたようなもの。仲買人は1年毎に鑑札を買わねば取引が出来ない仕組みにすれば、それだけでも毎年相当な金子を生むものと…!」


おのれの言葉に酔ったように吹き上がり出した太郎を放置して、颯太は畳の上に置かれた約定書なる書面を手にとってさっと流し見た。


(…これなら行く先は絞り込めるな)


まさにいま弾劾されている最中の颯太が、静かに書面を確認しているのを見て、代官様も小助も……金の分配を相談しあっていた与力衆らも、小揺るぎもしない颯太の存在感の大きさに自然と言葉を途切らせた。

祖父の貞正もまた、颯太の不気味な静けさに目に力をこもらせている。

書面を持ったまま颯太はついと立ち上がると、さっさと座を立って代官様の横に移動する。そうして片膝をつくようにかがんで耳打ちした。


「…本命は近江商人みたいです。逃げ足(・・・)を考えれば徒歩の中山道より、今渡から川船で桑名、そこから東海道っていう感じかと」

「…一応中山道にも馬を飛ばさせるか……歩きならばそちらもすぐに追いつけよう」


この書面にある近江商人というのが嘘でないのなら(※鑑札の取り交わしで正式な仲買人化が担保されるので、1両も払った上は嘘を書く理由はほぼない)、尾張様の御膝元である名古屋で無許可販売などどだい無理なので、近江あるいは京都、大阪あたりの金のある好事家のもとに持ち込むことが予想できる。

謎の仲買人の足取りがある程度絞り込まれれば、流失品の回収もかなり可能性が高まったのではなかろうか。

ひそひそと語らっているうちに、颯太はようやく場がしんと静まり返っていることに気付く。代官様に目礼して、すっと立ち上がる。

さっきまでうるさかった大元の男を肩越しに振り返り、そこで火の出るような憤怒の眼差しに刺し貫かれた。


「…どうぞ、話し続けとっていいし」

「…クソがぁ! どこまでも馬鹿にしくさって」


敬意を払うべき相手が多いこの場で、その言葉遣いはさすがに角が立ちすぎた。さすがにまずいと思ったのか、下手に言い直すことをせずさらに挑発じみた売り言葉を颯太に向けて叩きつけてくる。


「株仲間の議論は、意見に与する株数を揃えれば通る仕組みだとか! …わが林家の持ち株は41株! 普賢下林は役立たずの洟垂れ小僧を仲間から叩き出して、別のまっとうなやり方で商売を広げたいと考えとるッ! …ご一同の賛否をうかがいたい!」


祖父に任されたなりに、株仲間の流儀……株の過半を押さえることで意見を通すやり方は学んでいるようだ。

考え方はまったく持って正しいのだけれど、場の空気を読み違えてしまっていることが他人事とはいえあまりに痛々しい。もしも颯太を本気で株仲間から放逐するつもりであるなら、この場に臨む前に権利者の利益を取りまとめ、多数派工作を完了していなくてはお話にもならない。筆頭株主の41株? 全体の4割の株を握っていたとしても、過半にはまだ1割、さらに10株のとりまとめが必要になる。

欲深で近視眼的な与力衆たちですら、この天領窯という組織が颯太個人の才覚と、金脈人脈で成り立っていることを幾度かの痛い目から理解しているだろう。窯の産品である根本新製の評価をここまで比類なく高めることが出来たのも颯太の営業力あればこそ、ボーンチャイナの核心原料である骨灰の入手ルートを切り開いたのも、地元では職人さえいない上絵工程を上方から絵師を引っ張ることで実現したのも彼であり、販路を独占して美濃焼を支配する西浦屋のくびきを逃れ、許認可の網の目をかいくぐるように名古屋に販売ルートを繋ぎえたのも彼にしか成し得ぬ大きな功績だった。

そしていま天領窯が《御用》を名乗るに至ったのも、いままさに本人がその功績により直参旗本にまで成り上がってしまった颯太あったればこそ。その幕府直臣としての重い肩書きを背負っている陶林颯太という恐れ敬うべき有力者を前にして、その功をないがしろにするかのごとき弾劾に同調しようとする者などとうてい現れるはずもなかったのだ。


「森様! 妻木様! 昨晩はあれほど乗り気であったでは…ッ」


名前を出されて、与力衆たちは心底迷惑そうに口を引き結び、視線を逸らしてしまった。梯子を外されたことに太郎が気付いたときにはもう手遅れだった。


「太郎殿…」

「うちの新製焼ならば作ったら作っただけいくらでも売れて…ッ」


太郎は並べてあった3両を手にとって、その黄金色を見せ付けるように身を乗り出したがいっこうに視線は集まらない。しかしそんな微妙な空気も読めないままに、彼の鼻息は荒い。おそらく太郎自身もそうおいそれとは触れることもない高額貨幣の魔力に惑わされたままなのだろう。


「自分に任せてもらえばきっと…!」

「太郎…」

「この十倍でも百倍でも…」

「太郎!」


それまで黙して語らずにいた祖父がとうとう一喝した。

その右手が息子の肩にかけられて、引き倒すように無理やりに後ろに引いた。その力に抗おうとした太郎であったが、土気色をした父の横顔を見てついには言葉を失ったようだった。


「お見苦しいところをお見せしました。どうか話し合いをお続けください」


そう苦しげに言葉を搾り出す祖父貞正に、颯太は気遣わしげに頷きを返し、言葉を引き継いだ。


「この陶林颯太のやり方がまずいというのなら、それはそれとして後ほど議論するとして……まず天領窯の置かれた現状を正確に理解していない方が一部おられるようなので、基本的な知識を同じうするよう掻い摘んでご説明します」


現状を理解していないと名指しされたにも等しい太郎が怒りに歪んだ目を向けてきたが、その怒りの正当性がまず見当外れであることを教えねば、この愚かな伯父はいつまでもうるさく吠え立てるだろう。


「この濃州で産する焼物は、本郷(多治見郷)だろうが久尻だろうが一之倉だろうが、そのすべてが権現様のお取り決めで御三家尾張様の専売と定められています。尾張様の独占とする品物を取り扱うことを許されたものを蔵元といい、それがうちの取引先である浅貞屋であり、くだんの西浦屋であるわけです。その尾張様ご許可の筋を外した品物の販売は明確に『抜け荷』であり、ご定法やぶりであることをまずはご理解ください。…そして悪いことに、当株仲間の一部の人間の独断により尾張様御専売の筋をはずした者がいるようなので、後日株仲間そのものが尾張様のご詮議に掛けられる可能性があることをまずは胸にお置きください」


きょとん、とした太郎の顔が本当に腹立たしい。

さあ組織の大改革だ。

天領窯株仲間の枠組みを再構築するために、ここでいったんちゃぶ台をひっくり返してやろうか。


「知らなかった、は通りません。株仲間は天領窯の経営者であり、その程度の知識には通暁(つうぎょう)していなくてはなりません。その暴挙を止めなかった者にも、等しく罪はあります。そこで発生するすべての《損》は、全員でかぶることになると思います」


すべての人間を《損》という枠組みで当事者として絡め取る。

颯太はゆっくりと株仲間の面々を眺め見て、乾いた唇をぺろりと舐めた。


渡る世間は鬼ばかり(^^;)


誤字脱字、少しずつ対応しています。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ