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陶都物語~赤き炎の中に~  作者: まふまふ
【独立編】
171/288

043 緊急会合






たばかられた、で済む話ではない。

前回の与力衆の企みを叩き潰したときにわざわざ高札まで用意して注意喚起したのだ、藩校で学んだこともある代官様が問題の本質に気付くのにそう時間はかからなかった。

ようやく今何が起こりつつあるのか……技術漏洩に因り発生し得る莫大な《損》をわかりやすく数値化し、それを補填する義務を負う株主という相関関係を思い出させるだけで、代官様は必要充分な果断さを発揮した。


「一刻も早く、火の気を揉みつぶす」


代官様の鬼の形相に度肝をつぶされながらも、呼び集められた下役人たちが駆け出していった。

夕刻も近い暗がりの中で静寂を打ち破られた根本郷に、一斉にかがり火が焚かれた。まるでいくさ場のような騒擾(そうゆう)に村人たちが不安げに顔を覗かせている。


「その方らは先に元昌寺入りせよ! 株仲間の緊急会合を開く! …留守居は若尾、何か報せが入り次第、寺に届けさせよ!」

「…このような刻限に何事で」

「緊急の会合を開くとは…」


当惑を隠さない与力衆を「黙りやれ」の一言で沈黙させると、代官様は颯太に目配せする。それに応じた颯太が、今度はおのれの連れである庫之丞と後藤さんのほうを見る。

空気を呼んだ後藤さんが「それがしが」と進み出る。


「屋敷に戻って、緊急の会合があるとわたしの祖父と……『跡継ぎ殿』にも出席するようにと伝えていただけますか」

「心得た」


上意下達。

この簡潔な武家の指揮系統のありようを小気味よく感じてしまうのは、いまがまさに颯太にとっての『戦時』である証しでなのかもしれない。出来(しゅったい)した問題の重さを考えれば、まさに一家の浮沈がかかる恐るべき危機であった。


(…腹をくくれ、颯太)


代官様の目配せに応じて、颯太はともに株仲間の会所となっている元昌寺に足を向ける。

根本代官所から元昌寺までは2町(200メートル)ほど、天領窯のある丘陵を横目に見ながら少し歩けば、この片田舎にはやや異質な整備された庭園が見える。

留守居に名指しされた若尾様の先祖が領主であった頃に開基された寺だ。

わずかな時間であったが、その間も颯太は思案を続けている。

代官所から放たれた追っ手は、颯太の予想に沿う形で、ひと組は下街道を尾張名古屋に、もうひと組が今渡から木曽川を下って桑名へと……残りの役人たちが総出で天領窯を中心とした近隣諸郷へと散っている。むろん出来損ないの根本新製を手に入れただろう謎の仲買人を捕捉するためである。

浅貞屋に販売すると虚言を聾し、実際に試し焼きの湯飲みの何点かが行方知れずとなっている……その分かりやすいピースを繋ぎ合わせれば、何者かが第三者に横流ししたことは明らかである。ではその出来損ないをどこに流したのか……手っ取り早く現金化をするためには、近郊に入り込んでいた怪しげな行商人たちを相手するのがもっとも安易な手段であり、疑うべき筆頭に挙げられる。


(…ほかのルートも可能性はあるけど、いまは無視してもいい……皮肉だけど、西浦屋の販路締め付けが厳しかったのがこの際は幸いだった。既存の仲買人は西浦屋に少なくない金子を支払って鑑札を貰っているらしいから、自分の払った金に唾を吐くようなことは多分せんやろう。悪さした可能性は鑑札のない余所者の行商か、もしくは…)


西浦円治、当人が……こちらをかく乱するために手を出した可能性はある。

依然として天領窯は西浦屋などの美濃焼既得権者の権益を揺るがす存在である。ここのところ直接会話もしたことはあるし、祥子を介しての関係もなくはない。敵性は若干薄れてはいるものの、そう簡単に油断していい相手ではないのもその通りで、なかなかに悩ましいところである。

横流ししたのはおそらくあの厄介な伯父であるのは疑いを入れず、その伯父との縁談が持ち上がっていた間柄でもあるので、西浦円治の線は捨てがたい。…が、あのクソじじいなら目先の金になど目もくれず『商売敵の弱味』を握ることに重きを置くであろうから、手元に留め置かれて不良品流失などの喫緊の問題にはなり難い。

やはりいま恐れるべきは目先の金でコロコロと動く余所者の行商人であるだろう。尾張か、あるいは少し前に話に出ていた近江からの行商であろうか。

…などと、つらつら考えているうちに。

颯太は元昌寺の門前にまで至っていた。

流出した出来損ないの捜索はもう人に任せておくほかない。尾張に向った組には浅貞屋の協力を仰ぐようにと手紙も持たせているし、主人がよいように取り計らってくれると無責任に期待して。

いま彼がやるべきことは、天領窯株仲間の膿を取り除くこと……責任の所在をただし、組織のありようをより良き方向に改善すること……そしてもう甘いことなど言わずに颯太の手で経営権を完全に握ることであった。

もうためらってはいられない。

おのれの意志の弱さが、立場の中途半端さが、こうしておのれを滅ぼしかかっているのだ。

斬られる前に、斬る。

他人の愚かさに人生を揺るがされることはもう真っ平だった。




天領窯株仲間が一堂に会したのは、半刻ほど後のことであった。

すでに日も暮れた薄暗がりの中で、灯明の踊る光に照らされた株仲間の表情は明らかに強張っていた。

緊急、と言う召集に何かを感じ取ったか、あるいは出迎えた代官様の青筋を浮かべた憤懣の様子にぎくりとしたのか。

その一同の様子を眺め見た颯太は、なかなか湧いてこない唾を搾り出して、ごくりと嚥下した。

それぞれに1株ずつ所有する代官所与力衆。

1株主の窯頭の小助。

5株の代官様。

10株の陶林家。

そして筆頭41株、普賢下林家。

ただならぬ雰囲気に身を硬くしている祖父の後ろで、だらだらと脂汗を掻いている太郎伯父。この場で何が議論されるのか、さすがに察したのだろう。

自身が江戸に行っている間に何が起こっていたのか、詳しくとはまるで知らない。祥子との縁談が破談となったことにどれだけ恥を味わったのか想像に難くはないけれども、それと颯太の破滅にはなんら係わり合いがない。

伯父だ身内だと遠慮していたのももうこれで仕舞いだ。場の息苦しいまでの熱の高まりに反して、颯太の中の熱は急速に冷めていった。


「急な呼びかけに骨折りかたじけない。…斯様な緊急の会合となったのは、これなる勘定方陶林殿の警告を株仲間に周知すること。そして期せず発生した窯の《損》をいかように処置すべきか、それを議論するためである」


皆が来る間に、代官様とは擦り合わせを済ませている。議題はまさに火中に油を注ぐような苛烈なものであったが、外面的には議論も何もないシャンシャン総会になるだろう。有無も言わせずに馬鹿な反論は叩き潰すつもりであった。

代官様の目配せで、颯太は立ち上がった。6歳児が立ったところで、目線は胡座をかく大人たちの上背とおっつかっつの高さであるのだが。


「…窯焚きの忙しくなる大切な時期にここを離れてしまっていたことはお詫びのしようがありませんが、避け得ぬやんごとない筋からの御用であったことは……今現在それがし陶林颯太がおこがましくも公儀の勘定所詰支配勘定並を拝命していることでご理解とご容赦をいただきたい」


そう口火を切った颯太は、落ち着いた眼差しを列席者に配った。

人前でテンパると視線が上擦ってしまいがちであるが、こうして同席者たちを見渡せることでおのれの冷静さが保たれていることを信じられる。

颯太が幕府の公職についていることを初めて知ったのか、目を見開いて放心している者が現れる。小なりとはいえ所領持ちの直参御家人と言うだけでも片田舎では相当な権威であるのに、さらに真の幕臣たるの証明といえる役職を拝命していると言う事実は、相当に大きい。

こう言えば分かりやすいかもしれないが、例えばこの美濃一国を取り上げて、今現在そこに在する幕府直臣が何人いるのかと言うと……地域を治める美濃郡代(笠松郡代)とその下の代官職、もしかしたら幕領の材木などを管理する林奉行配下の役人が幾人かいるかどうか……そんな程度の数しかいない。すでに林家の陪臣でしかない根本代官坂崎様よりも颯太の立場は上なのである。

颯太と祖父貞正の目が合った。

まっすぐにおのれの孫を見つめ、誇らしげですらあるその様子に、今回のことの真相を知っている気配のないことにため息が漏れる。

祖父はこれからおのれの跡取り息子が弾劾されることとなる未来をまったく予想もしていないのだ。それは息子に対する盲信とかではなく、おそらくは問題そのものをまったく知らされていない無知から来るのだろうと予想する。


(…伯父上が、代理として出席していたというのはやっぱりほんとのことだったのか)


普賢下林家の家中で、どんな話がなされていたのかは知れない。

伯父と西浦家との縁談が壊れた前後で、筆頭取締役たる貞正はおのれの健康不安を理由に株仲間の会合に跡取りを同席させるようになったという。

そうして、数回前から完全に伯父が当主代理として単独で出席するようになっていたという。その後の会合の内容は、おそらく知らされてはいないのだろう。

まだゆっくりと話していなかったから分からなかったけれども、祖父は明らかにその頬から肉を削がれていた。祖父の抱える心労に思いを致し、颯太は泣きたくなった。


「…それでは株仲間勘定方の任を果たすべく、最近計上されたという『利益』の詳細、報告を聞きたく思います。…詳しい報告をされる予定であると伺っています、筆頭取締役代理、林太郎殿」


颯太は祖父の後ろに控える太郎伯父のほうを見た。

伯父はちらりとその視線を見返した後、今度はおのれの『賛同者』たちを探すように列席者たちを眺めやった。そうしてそこにある地元有力者たちの他人事のような反応の薄さに、ぎゅっと顔を引き歪めた。

いま一度発言者の颯太へと戻した視線をそのままに、伯父は懐に差し入れていた手を引き出した。その手に握られていたわずかなふくらみを持つ銭入れ……その確かな重みに、伯父は気持ちを持ち直したように薄い笑みを浮かべた。

…まずは言い分を聞いてやろう。

颯太が発言者の場を譲ったことで、天領窯株仲間の会合は波乱の幕開けを迎えるのだった。


今日はここまでです。

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