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陶都物語~赤き炎の中に~  作者: まふまふ
【独立編】
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042 怒れる小天狗





無情に、鎚を振り下ろす颯太。

いままさに生まれ出でたことを否定された器たちが、最後の悲鳴を残して砕け散っていく。

作業台の上に並べられ、ただ死を待つように息をのむ器の列を見下ろして、その生みの親である職人たちも断末魔の叫びを聞くたびに身を竦ませる。


「…ちょっ、作るのにどれだけオレらが」

「周、だまっとれ」


この廃棄品たちの上絵のいくらかを担当したのだろう周助が声を荒げかけたが、颯太はそちらをちらりと見ただけで、すぐに廃棄作業へと戻っていく。

目線は手元に落ちたまま、颯太は苛立つ周助に問いかける。


「…これが人様に売れるほどのもんやと思っとるの」


窯場の責任者である父親の目を気にして黙り込む周助に、「答えてみてよ」と返答を強いるように投げかける。颯太の許しが出たことで、周助が関を切ったように激しい言葉を並べたて始めた。


「手にも持ちやすいし地の白さも悪うない。…それにこの辺では見かけん彩りの上絵が珍しいやろうから、売れるにきまっとろうが! このぐらいに仕上がったやつなら、西浦屋に持ち込んだってそれなりの値段が付くやろ」

「見てくれも普通の本業(陶器)みたいなもんやし、本郷(多治見郷)や高田や一之倉の窯元から運ばれてくるそいつら旧来の美濃焼と一緒くた、っていうわけか」

「ぎょうさん作って、ぎょうさん売ればそれなりに稼げるやろう! 理屈はなんもおかしいことないやろ!」


自分が懸命に描いた上絵が目の前で全否定されていくことに耐えられず、反射的に噛み付いてきているのだろうけれども、その商売に対するあまりにものノーカンさが颯太のなかのマグマを押し上げてくる。

もしも本気でそんなことを信じているようなら、…もしもそれに同調するものがあるのならば、即刻天領窯から叩き出したほうがいいだろう。


「こいつ一個、いくらで売るつもりやったんや。…参考までに教えてくれん?」

「…んなもん、あれだけ怪しげな行商らが群がってたんだ、1個1両とか言うやつだっていたんやから……百個二百個売れりゃあかなりまとまった金額になるやろ」

「こいつを、西浦屋のクソ爺が1両で買ってくれると」

「…さすがに西浦屋さんに持ち込むなら、1個1分ぐらいにせんといかんかもしれんけど……それだけでもたいした金に…」

「話にならん」


どの程度の考えがあるのか試しに聞いてみたのが間違いだった。与力衆のときもそうだったが、しょせん情報も入ってこない片田舎など、浅い考えは浅いまま、愚行は論理の深化を見ぬまま常に浅はかさを伴ってしまうものなのかもしれない。


「西浦屋が1分も出すわけないやろ」

「西浦屋さんだって、ここの新製焼の価値ぐらい分かって…」

「西浦屋は美濃焼の総取締役やぞ。ほかの窯との公平を乱すようなことは絶対に出来ん。本郷の西浦屋敷の前を通ったことはないの? あそこに掲げられた買取価格が揺らぐことなんかあらへんて。どんなに値がついても1個10文20文の世界やわ」

「それは売方のおまんの仕事やろ! 話つけて値段を上げてもらえば…」

「ふざけるなっ!」


もう見る価値もないといわんばかりに、割り砕く器から目を上げることもせず颯太は声を荒げた。販売は颯太の専権事項であり、名古屋の浅貞屋との専売の約定については職人たちも知っているはずである。その販路を築くためにどれほどの綱渡りをしてきたか……命を張って殴り合ってきたのか知りもせぬ若造が、さしたる考えもなく旧態の既得権者に搾取されろと暴言を吐いているわけだ。颯太の怒りのほどは推して知るべしである。


「こいつの考えに賛同する人はほかにいるの」


淡々と器を割りながら、颯太が発する声は恐ろしいほどに感情が抜けて平板だった。賛同するのがいたならそいつは即刻叩き出す。

しばらく待つが、同調者は現れない。言いだしっぺの周助だけが、焦ったように同僚たちを見回している。


「…うちの新製焼の土がべらぼうに高いのは知っとる? このバカみたいに重たい湯飲み1個作るその土代だけで、たぶん30文くらいかな…」

「さ、さんじゅう…」


職人の中から驚きの声が上がる。それはそうだ、破格である天領窯の職人の日当でも、3個分の粘土で吹っ飛ぶ計算になる。

こんな鈍重な湯飲みを作っていたら、1キロで10個作ってやっとだろう。


「それにあんたたちの日当に窯の維持代、薪代、…笠松郡代様への冥加金予備費に江戸までの運送代、…まだあるぞ、尾張様の取り分に浅貞屋さんの取り分、そして当然だけど株仲間……江戸の本家への配当も合わせれば、1個1分貰ってぎりぎりのとこや。…そこの馬鹿の言い分どおりに、西浦屋に持っていった時点でうちは大赤字やわ」


そうしてまた器を割る。


「こうして下手なもん作ると、土代、職人代、窯代、薪代全部パーだ。これだけで2、3両が消えてなくなったんや」


田舎者が小判を目にすることなどほとんどありえない。その途方もない金がおのれたちの手で浪費されたと言う事実だけで、職人たちも血の気が引いたことだろう。

それでもまた何か言い出そうとしていた周助を、とうとう父親の小助が殴り飛ばした。腰砕けになった息子の頭を押さえ込み、強制的に土下座させる。

本人は分かっていないのだろうが、株仲間に損を与えたということはとりもなおさず地元の有力者たちに損を与えたと言うことであり、ここでなお声を上げ続ければその卑近な怒りを一身に向けられかねないのだ。閉塞した田舎社会というものは人を縛る。

そこからはもういっさい口を開かずに、颯太はすべての器を割り終えると、黙ったまま作業場をあとにした。怖いほどに感情を欠落させた颯太が建物から出てくると、入口で待機していた後藤さんと庫之丞が黙って従ってくる。


「こっからは大忙しやよ。覚悟して」


颯太のつぶやきに、二人は力強く頷いた。




まず現有の《不良品》を自ら処分して消し去り終えた颯太が次にやらねばならぬこと……それは紛失した残りの器を追跡回収することだった。

颯太は窯場から近い根本代官所に顔を出すと、お役人のひとりを捕まえて代官様への目通りを願った。

『様』などと敬称を付けているが、実際のところ40石とはいえ幕府直臣となった颯太と旗本陪臣にしか過ぎぬ代官とではすでに立場が逆転している。颯太の願いはすぐに聞き届けられ、奥の応接間に通された。

姿を現した代官様は、分をわきまえて上座を空けた状態で対面した。じっと代官様の様子を観察するようだった颯太に、困惑した相手のほうが先に口を開いた。


「長旅でお疲れでありましょう。…挨拶ならそれがしのほうから後で向うつもりでありましたものを。株仲間も陶林様がご不在の間も、うまく取りまとめられ順調に利益を上がっているようなので、そのへんのいろいろを肴にささやかな宴でも…」


なんとなくそうでないかと想像はしていたのだけれども、こうして予想通り天領窯に起こっている災厄にまったく無自覚でいる代官様にため息をつきたくなる。

少しだけ調子を合わせてやると、問題を起こしたつもりのない代官様はなにはばかることなくぺらぺらと喋ってくれた。そうして透けて見え始めた問題の表面的なところに、今度こそため息を我慢できなかった。


(…やっぱりか)


颯太不在の会合で、なにがしかの提議がなされてそれが過半を押さえ決議されたという時点で、考えられる可能性はあまりなかった。

与力衆と小助の持ち株はしょせんあわせても5株にしかならない。前回の謀叛劇で裏切ったときの代償の大きさを教え込んでいるので、損得勘定に素直な与力衆がこういったリスキーなスタンドプレーを主導するとは思えない。

岩村藩の藩校知新館で培った経営学的なものでも持ち出して、代官様が若さゆえの顕示欲の赴くまま颯太のいない株仲間会合でついアイディアをぶってしまったという線がこれでなくなり……消去法で一連の問題行動を起こし得たふたりの人物の残り……最大株主にして筆頭取締役たる祖父貞正が残ることとなった。

むろんあの何事も熟慮する祖父が、孫の不在に場を引っ掻き回すなど考えにも及ばない。すべての黒幕は、やはりあの人だったということだ。


「まだ詳細には知り得ていないんですが、ぼくのいない間に100個ほどの器を焼いたとうかがっていますが、…いま『利益が上がっている』と聞こえたような気がしましたが、まさかそれらを浅貞屋さんの承諾もなくほかに売りさばいたとかいうことはありませんよね?」

「名古屋の浅貞屋との専売の約定は周知のこと。少量ながら浅貞屋との取引が成立して些少の売りが立ったようです。正確な数字については、次回の会合の折に報告されることとなっています。…陶林殿?」

「…そうですか、品は浅貞屋さんに売ったと」

「普通に見慣れた形の焼物にすれば売れるのではないかと……陶林殿がおらねば窯の作業も滞りますゆえ、われらの判断で100個200個と習作を作らせ、特にみばのよいものを選んで浅貞屋に見せようということになりましてな。さすがは陶林殿のお身内、大原の跡取り殿もなかなかに頼もしい舵取りでござった」


浅貞屋に売った?

さすがにはそれはバレバレの大嘘だ。

磁器ものに厚手の品はあまりない。磁器は陶器と違ってほぼガラス化してしまうので、薄手でも充分な強度が得られる。ガラス化が不完全な陶器は強度不足を補うためにそれなりに厚みが必要となってくるので、土の特性を生かそうとすると磁器と陶器は求める『美』の方向性を違えざるを得なくなる。

壷や大皿などの強度が求められる場合を除いて、磁器ものは薄手で羽のように軽いことが当たり前であり、あの本業もの(陶器)のような肉厚の野暮ったい湯飲みを、長年瀬戸新製を扱ってきて目の肥えた浅貞屋が商品として認めるわけなどないのだ。

そもそもそんな商品を浅貞屋が引渡しされていたなら、先日会ったときに話題にぐらい上ったはずで、あのとき浅貞屋が『取引の弾がない』ことを嘆いていたことと矛盾してしまう。

少しだけこめかみのあたりをさすってから、颯太は気だるげに口を開いた。


「…坂崎殿。この世に未練はございますか?」


散逸した出来損ないどもが噂の『根本新製』だと足を生やして全国津々浦々を駆け回り、同業者の冷笑と世間の不評を集めてしまった後のことを少しでも想像できれば、それがいかに破滅的な結果を招くかに気づくことが出来るだろう。もはや幕府御用の『根本新製』には、死んでも守らねばならない一線が出来てしまっているのだ。

淡々と語る颯太のカタストロフ……天領窯を半身とする颯太自身の打撃はもとより、不名誉をこうむった主家の怒りが陪臣にしか過ぎぬ坂崎家を、さらにはその主家自体にも幕府の叱責が雷雨のごとく降りかかる……それもあくまで『最悪』のシナリオではないと申し添えたものであったから……聞いていた代官様の顔色が見る見る悪くなっていった。


「…浅貞屋に、売ったのではないと……まさか」

「やられましたね、坂崎様」


ぶるぶると震えるばかりの代官様の様子をただ見つめる颯太。

それを後ろから見ていた庫之丞は、そのとき初めて目の前の問題がおのが家へと飛び火する類のものであると悟ったように、眼を見開いていた。


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