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陶都物語~赤き炎の中に~  作者: まふまふ
【独立編】
167/288

039 リア充というやつです






ひと月あまりと見込まれている長崎行において、颯太が渇望しいる帰郷に割ける時間はあまりにも限られている。

捻出できて、安全マージンを込みで最大で10日……それが地元滞在のリミットだと考えている。

江戸に米を届けるのが主任務であるこの廻船が往路で尾張に寄る用は本来なかったのだけど、お上の御用という神通力が船頭の便宜を誘い出した。江戸を出て3日目の昼前には宮宿の沖合いにまで至り、そこで近くを通りかかった漁船を捕まえて颯太たちを移乗させた。


「西向きの船は、この辺じゃどこによく停泊してるの?」


菱垣と呼ばれる斜め交差の飾りがある舷側を見上げて颯太が船頭に問う。

西向きの廻船にとって尾張は寄港地ではなかったから、再アクセスの情報は握っておかねばならない。


「船足にも因るが、勢州(伊勢)はどこも津波でやられちまってるから、荷の集まる桑名の辺でいったん留まって、ひといきに大阪まで回していくのが多いな!」

「桑名ね!」

「天狗を乗せるといい風が吹くらしい! オレらも助かったぞ」


わずかな間に打ち解けた船頭と別れを惜しみつつ宮宿を目指す。この時間ならば楽々と名古屋の浅貞屋まで行き着くことができるだろう。

なぜか江戸で流行りだしていた小天狗のうわさが船中でも広がり相当にこっ恥ずかしい船旅となったが、順風のすこぶる快適な航海となったようで、初日の遅れをあっさりと取り戻した水夫たちには都合のよい『神通力』と映ったようだ。

そのおかしな風評から逃れる上でも、帰郷は胸の軽くなる思いである。

宮宿に上陸した颯太らは、何事も験担ぎと新製焼取引成功のご利益があったのかもしれない熱田神宮を参拝した後、足早に名古屋を目指した。

長崎行きの旅でなぜ途中下船したのか、なぜ名古屋になど向っているのかと疑問に思うことは多かったであろうが、偉いもので後藤さんは余計なものいいを挟まず黙ってお供してくる。対照的に、庫之丞はきゃんきゃんととうるさかったが…。


「自家の所領を実際に見聞しておくのも後学のためにいいんやないの……なに、もしかして足が痛いとか?」

「…いや、だから寄り道の理由を」

「まだ半日も歩いてないのに、マジで」

「いっ、痛いなどと誰が言った! …それよりも大切な任を放って寄り道など……寄るのなら急ぎでない帰り道にすればいいじゃないか!」

「…もちろん、帰りも寄るけど」


公務の合間のやりくりは裁量のうちと、常識の範囲内ならば目を瞑ってもらえるという言質を得ている颯太に揺らぎはない。むろん行きだけでなく帰り道も寄ってくつもり満々の颯太である。

許される日数の間に発てれば辻褄が合う話なので、庫之丞をいじるその顔もどこかドヤ臭が漂っている。

宮宿から名古屋までの距離など、旅慣れた足にならばご近所に行くほどの近さである。名古屋に近付くほどに繁華になっていく街道筋の風景に、次第に庫之丞の不満も散っていく。

堀川筋にある浅貞屋は、もはや勝手知ったる知人の家である。冷えた手に息を吐きかけている丁稚の小僧(むろん年上だが)に、ひょいと手を挙げて挨拶すると、暖簾をくぐって帳場台の番頭に声をかける。ああ、と座を引いた番頭さんがお辞儀をして、さっと奥にいるのであろう主人に取次ぎにいった。


「これは陶林様! いつこちらへ」


気さくに挨拶を交わす主人と颯太の様子に、同行者の二人がやや面食らったように目を丸くしていたが、さすがは庶民からの敬意に慣れているお武家、すぐに落ち着きを取り戻し、促されるまま黙って颯太のあとに続く。


「あら……颯太様」


案内される廊下で、期せずして浅貞屋の娘お伊登に出会う。

とたんに顔に血の気をのぼらせて余裕の吹き飛んだ様子の颯太に嫣然と笑いかけ、会釈のみで消えたお伊登であったが、さすがに商人の娘というか目配せひとつにいろいろと意味深なメッセージを添えて残していった。

彼女の柔らかな眼差しに一瞬で目を奪われていた庫之丞が、無言の対話があったであろう颯太にいろいろと聞きたそうにしていたが、むろん相手にはしない。男女のそうした関係に過敏になりすぎる思春期というのはほんとうに厄介なものである。


「…江戸でのご活躍、この尾張にも届いております」


座に着くなり軽くネタ振りを始めた浅貞屋の笑顔に、硬直する颯太。

え、マジで。

どうやら急ピッチで復興を進めている江戸の需給状況は現在特需に近いものがあるようで、東海地方の集散地である尾張の商人たちにとってもかなり身近な話題であるらしい。出入りの人間も多く、その不特定の人口を介して小天狗の逸話も持ち込まれつつあるようで。状況があまりに悲惨であっただけに、そうした吉兆めいた話題はより噂になりやすい環境なのだそうだ。

笑うしかない颯太の脳裡に、先ほどのお伊登の目配せの意味がおぼろげながら形を見せる。


(…江戸の小天狗と聞いて、すぐに颯太様と分かりましたわ)


知恵のめぐりがよいうえに抑制も利いている、商人の娘とはこのようなものなのかと感心しつつも、瀬戸物町でのもうひとりのお嬢を思い出して、いやいやそう一概に言えたものではないとリスペクトの相手を適切に限定する。

やっぱり嫁にもらうのならお伊登さんみたいな人がよいなあとか妄想するのもそこそこに、主人の話へと意識を引き戻す。


「尾張様が根本新製の認証を行う件についてですが、最初は手間を厭うて乗り気でもなかった様子が、このところ急に風向きが変わったようで、先日お呼び出しが掛かりその方向で話が進むことになりました。…どうやら南蛮国との取引によく効く《鼻薬》であると、雲の上のほうで伝わったようです。尾張様としても、宗家の取っておきの特注品の『喉元』を握っておきたいところでしょう……上様(慶恕)のご関心も相当に高く、どうも新たな役どころまで作られるようですよ」

「…まあ、この手の『認証』で金子をひねり出せることが分かれば、焼物に限定せずともと色気が出てくるのはしかたないですね」

「藩の特産はほかにも多岐にわたります……その真偽に検印という『認証』を与えることで偽物紛い物を駆逐し、かつ上等品と値付けを引き上げられるのならば……簡単な話でないことは()を見るよりも明らかですが、思いついてしまったからにはやるでしょうね。…すでに瀬戸の窯元にも同様の話が伝わっているようですし」

「瀬戸のほうにも、ですか……産品の性質を考えれば、する意味があるのかどうかはすぐに分かると思うんですけど」


瀬戸新製は、根本新製と違い有田などの既存高級磁器の価格帯の下をもぐることで販売を増やしてきた品である。多量かつ薄利の商売であるから、検印をつけるお役人の人件費と、その検印作業という余分な工程で生産性を削ぐようなことが容易に想像できるのだけれど。

財政が火の車である尾張藩としては、藁にもすがる思いでやってしまうのだろうな……これでお役人の手間賃まで上乗せされるようなら、瀬戸新製の価格競争力までマイナスに傾きそうだ。


「…尾張様に対する手当ては、当分浅貞屋さんにお任せするしかないのが心苦しいのですが、頼まれてもらえますか」

「いずれにせよ尾張様に対しては、この藩御用である浅貞屋が根本新製の窓口。こちらに関しては、むろん請け負いましょう。…ただそろそろ天領窯の生産量を引き上げていただかないと……取引の玉もなくあちらとやり取りするのは、少々神経が削られますので」

「浅貞屋さんの手元にも多少の在庫は必要でしょうし……準備が整い次第になりますが、月に一度は最低でも納品させましょう」

「そうしていただけると助かります」


成り行きから颯太と同室し、茶を手に取ったまま固まっている庫之丞と後藤さんの所在無さ感がMAXになっている。

商売は卑賤のものと蔑むお武家にあっても、その道の厳しさ、険しさまで否定するほどの脳筋はさほどにいない。時代が商人の台頭を許してしまっているだけに、金という刀で身代を切り取っていく商売人に対する一定のリスペクトは存在する。相手が大店を構える大商人であるのならばなおさらであった。

話すべきことを話し合い、屈託のない談笑モードに入った颯太と浅貞屋の様子を眺めつつ、一行の主任者ならば当たり前かと割り切ったように茶をすする後藤さんとは対照的に、庫之丞は息を詰めてこぶしを握り締めている。

彼のなかの偏狭な価値観は颯太という6歳児のエイリアンに侵食され、いままさに槌で叩くように破壊されている最中であるのだろう。こうして子供と大商人が和気藹々と談笑するという刺激の強い光景を前にして、彼はなにを感じたのか。

颯太一行は、その日浅貞屋の勧めでその客室で泊めてもらうことになった。

仲がよいためなのだろうか、ひとりだけ離れに通されることになった颯太を見て、護衛役である後藤さんがその離れを一望できる部屋を所望した。むろん不審者の接近を監視するためなのだろう。

離れに通された颯太がいやに落ち着きがないことに彼らは気付いていたが、子供がひとり寝を怖がっているぐらいにしか捉えてはいなかった…。




「失礼します……颯太様?」


すっと引かれた障子の向こうには、三つ指立てたお伊登のはんなりとしたお辞儀姿があった。

顔を上げた彼女は、布団のなかにもぐりこんで丸くなっている颯太を見つけたことであろう。くすっと小さな笑いが漏れたあと、お伊登は何の恐れ気もなく颯太の布団のなかにもぐりこんできて、なかでダンゴ虫のように丸まっている彼の脇にするりと腕を差し込んできた。


「そうやって相手にしてくれないのでしたら、…こうです」


わき腹のあたりを繊手でまさぐられて、そのこしょばゆさに耐えられなくなった颯太がじたばたともがくのを、今度こそがっちりと抱え込んだお伊登の腕。

ぎゅっと引き寄せられて、その柔肌を押し付けられた颯太は男の習性として硬直する。布団のなかであるのでこもった甘やかな匂いに息苦しくなって、またじたばたともがいた。


「江戸鯰を退治してしまう小天狗様も、まだ女性に関しては物慣れないみたいですね……ふふっ、父と話すときはあんなのも雄々しい様子ですのに」

「はっ、離れて! むっ、無理だし!」

「無理って、なにがですか」

「いろいろと! ともかく!」

「あらあら」


身長でだいぶ負けているとはいえ、女性にあっけなく制圧されてしまう軽量ボディが呪わしい。もう5年したら興味津々かもしれんが、リビドーに乏しい現状、相手が少女とは言えど感覚的には母親のそれと感覚は変わらない。

おいしい状況を楽しめないのがもどかしくも腹立たしいのだ。

布団を跳ね上げて脱出を果たした颯太が、開いた障子から外を眺めやったとき…。


「こりゃ失礼を」


後藤さんがにかっと笑って奥へと引っ込んだ向かい側の部屋の障子には、もうひとり顔を真っ赤にしてぷるぷると震えている庫之丞の姿があった。

同様にぷるぷると身震いした颯太の目の前で、向かいの部屋の障子がぴしゃりと閉められたのだった。


今日はここまでです。

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