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陶都物語~赤き炎の中に~  作者: まふまふ
【独立編】
165/288

037 人それぞれに






「…長崎、だと」

「というわけやし、御父上にもよろしく言っといて」


水野様から想像以上の路銀をいただいて、出立の挨拶もそこそこに大手門をくぐった颯太。

門前の橋の袂に、いつものようにストーキング準備を済ませていた庫之丞が彼の出を待っていた。

「いつものように」という表現が示すとおり、この朝一の勘定所出仕のあとの外仕事に出向く颯太を捕まえることが庫之丞の日課となって久しい。

朝の四つから五つにかけて、門番に睨まれないよう大手門前を始終うろうろしている庫之丞は、この日普段よりもずいぶん御城内での時間が長かった颯太の姿をようやく発見して、ほっとしたように近づいてきた。10以上も年上のガキの御守りを押し付けられているようなものである颯太にとって、この尊大な若者の姿はかなり条件反射的にストレスを与えるようになっている。

会ったはなから開口一番、長崎行きが決まったことを突き放すように表明してしまったのはいささか大人気なかったけれども、本家分家の間柄で『猟官活動』のサポート期間が終了したことをアナウンスしないわけにもいかないのだ。ただ知るのが早いか遅いか、という差でしかない。


「ちょっ、急にそんなこと言われても困るぞ……まだ何にも」

「ただぼくについてくれば縁が繋がるとか、安易なこと考えとったら、たぶん百年経ったって切っ掛けなんか掴めへんよ……いろんなとこに顔は通してあげたし、あとのことは自助努力ということでよろしく」

「ちょっ、待てって!」


ストーキングを継続していたひと月あまりの間に、自覚できるような成果を持ち得なかったのだろう庫之丞は、真っ青になって後ろを付いてくる。その悲壮感に満ちた表情は、それだけ昨今の猟官の難しさを表しているのかもしれない。望まぬのに役職を押し付けられている颯太の倦みは無位無官の者たちから見れば殺意を覚えるほどの驕った感覚なのかもしれなかったが……まあそれは人それぞれ、颯太が気に病むべき問題でもない。


(…オレに付きまとって上流の人間とツテを作ることがこいつに課せられた一大テーマだったんだろうけど……期待していた内膳様には悪いけど、そもそも直接会って頼まれてたわけじゃないし、こちらから前のめりにサポートする必要はないんだよな……ふふ、これからどうすべきか、大いに悩めよ若者…)


思いも寄らぬ状況の急変と、親からの過大な期待に板ばさみになった庫之丞は、身分という安全地帯にいると信じきっていたおのれが追い詰められていることに気付いたに違いない。

時代が混迷を深めていく昨今、有力旗本の御曹司とはいえ既得権に胡座をかいて棚ぼたを期待しているようでは望む顕職など手には入らないだろう。能力なき旗本にあてがわれる仕事は、御城に出仕して立ってるだけ、あるいは座ってるだけという無意味な閑職のみ……それでもまだ役職があてがわれるだけまし、という脳筋武家にとってまさに冬の時代である。

江吉良林家2000石を継いで当主となれば、いずれは父親も通った小普請組⇒本丸小姓組などという最低保証的な未来図は約束されているが、それこそまさに絵に描いたような窓際閑職ルートでもあった。家運を隆盛させようとするならば、どこかの大官にその才能を売り込んで、出世のジェットストリームに身を投じる気概が必要であった。

庫之丞は、おそらく閑職の悲哀に嘆く父親から、未来の林家当主としてそのルートを確保すべしと厳命されているのだろう。その任を全うせぬまま颯太という突風を見失えば、皮算用している親の期待を失いかねなかった。林家の男子が一人だけならばまだしも、ほかに替えが利くような立場ならば存外に危うい。

まあその辺は、先にも言ったが彼自身の自助努力の範疇である。

貪欲に颯太のコネを利用しまくるつもりならば、例えばあんな大手門の前で待ってなどいないで、何かの用事にかこつけて勘定所に飛び込むぐらいのアグレッシブさを見せてもよかったはずなのだ。

しょせんは大身旗本の甘やかされた総領息子に過ぎなかったということだ。この青年は結局座して棚ぼたを待ってしまった。


(オレは待ったりなんかせえへんし……女神の姉さんが黙って通り過ぎようとしたら蹴倒してでも取り押さえるし)


人生はその時々の取捨選択で千変万化、人それぞれを個人差という名の隔絶した状況へと押し流していく。漫然とただ好みの道へ進むだけの者と、何らかの目標を実現せんと意図的に道を選ぶ者とでは、到達しうるゴールの高みが馬鹿馬鹿しいほどに変わったりする。

人生二度目のおっさんだからこそ、それが痛いほどに分かる。




「…へえ、長崎なんかに行くんだ」


そうぽつりと漏らしたのは、西浦屋のご令嬢、祥子だった。

「これは気がつきませんでした」と番頭が銭入れから「路銀の足しに」といくばくかの小金を差し出し、「おまえも悪よの」「お代官様こそ」的な大人の会話を交わしていた颯太と番頭が、アヒル口を尖らせている祥子のほうを見た。


「それで、うちにたかりに寄ったわけ」

「お嬢はん、言葉が悪うございます。これは長崎に旅立たれる陶林様への些少な餞別にございます」

「…なにニヤニヤ笑ってんのよ」


別にたかろうと思ってきたわけじゃなかったのに、思わぬ臨時収入があってホクホクの颯太である。旅の餞別、というのならこれは純然たる贈り物であるし、賄賂なんてうがった見方は是非にでも訂正を要求する(棒)。美濃焼の船便をひねり出してやった便宜への見返りを要求したりはしなかったので、これは番頭さんの裁量権内での『大人の付き合い』に過ぎない。

江戸に攫われるようにやってきた颯太は基本手元不如意で、手土産代にも事欠いていたので正直ありがたかった。


「…長崎かぁ~、ふーん」


手に持った染付けの反物を眺める振りをしてつぶやいた祥子は、年頃の少女独特の思わせぶりな目配せをちらりと颯太に向けてきた。

祥子が勝手に独占しているという帳場に続く小間には色鮮やかな内掛けが衣裄に掛けられている。自身でも言っていた着物デザイナーの真似事を始めているようである。

有言実行の彼女の行動力は、この時代の女性にあって非常に評価されるべきものであったろう。彼女の『女性』の部分に惹かれるわけではないのだけれども、その自律する心の強さは好ましいものだった。

長崎の先進性に憧れがあるのか目をきらきらさせている祥子が余計なことを言い出す前にと言葉を手で制して、郵便ポストに受け取り忘れがあるかどうかを確認する颯太。数日後に寄るつもりの地元で牛醐先生の出した絵図を受け取り損なっていたとかないようにしたくてわざわざ西浦屋に寄ったのだ。


「…いいな~、祥子も行きたいなぁ」


ちらっ。

もちろんスルーです。


「い、行きたいなぁ」

「番頭さん、どうせ大原に寄るつもりやし、多治見の本店(西浦屋)になにか言伝があれば請けおったるよ」祥子の声など聞こえぬげに帳場に座っている番頭さんに話を振ろうとして。

「………」

「いひゃい、…クビがいひゃいって」


頭をがっちり掴まれて、顔をひくつかせている祥子のほうに強引に向かせられた。児童虐待ダメ、絶対!


「つれてって」

「無理」

「邪魔しないから!」

「…ば、番頭さーん」


むろんご令嬢の勝手気まま旅など許可が降りるはずもない。まあ祥子自身もダメもとで騒いでいた臭く、番頭さんの説教が始まる前にあっさりと白旗をあげた。


「…仕方ないから、しばらくは待ってあげるわ。…旅先で変なのに捕まんないように、これお守りに持ってって」


祥子は首にかけていた小さな袋を懐からたくし上げて、それを外して颯太に押し付けてきた。展開的に突っ返せるような状況ではなかった。


「いい匂いでしょ。祥子、その匂いが好きなの」

「…いいよ、大切なものやったら…」

「いいから! 絶対肌身離さんとってよ! 約束やよ!」


刺すような視線を感じてそちらを見ると、どよーんとした庫之丞の眼差しにぶつかった。いつもなら西浦屋に寄ると待ってましたとばかりに祥子の視野に割り込もうとするのに、今日はそれどころではないのか店の間口に立ったままである。

祥子手ずから匂い袋を掛けられて、それからぎゅっと抱きしめられた颯太。この時代の女性ではありえないほどのあけっぴろげさであるが、それが彼女らしくもあり。しばらくの別離と受け入れた後は、気持ちよく送り出してくれた。




瀬戸物町から蔵前まではわずかなものである。

庫之丞との別れもいま少しのことである。

まだ時間は昼前、例の船頭が朝会った船宿の前でほかの水夫たちと無駄話に興じていた。颯太が声をかけると、船頭は「待ちましたぜ」と言って、尻についた砂を払うようにして立ち上がった。

見れば岸壁に空荷の茶船がもやってあった。そいつに乗って佃島沖に投錨している本船へと向うのだろう。


「…それじゃ、庫之丞殿。父上にもよろしく伝えてください」

「…ま、待てよ」

「本来ならご挨拶に伺うべきところですが、お上の急な命ですので……庫之丞殿」


最後に尻ぐらいは叩いてやるべきだろうと颯太は言葉を添えたのだけれども。


「偉ぶるばかりで結局なにもしない人間は、いないのと同じやよ。能ある鷹も、爪を隠したままやと結局トンビと何が変わるっていうの? 見せる勇気がないやつも……厳しい評価におのれをさらけ出す気概のないやつも、結局他人の目には同じ『有象無象』やから。…行きましょう、船頭さん」


ぷるぷると震えている庫之丞から視線を切って、颯太は縄を伝って茶船に乗り込んでいく。船頭に続いて水夫たちも乗り込み終わって、最初の櫂が入れられたそのとき…。

わずかに砂を擦る音に、颯太が岸壁を見上げた。


「そッ、颯太様!」


そこには岸壁の際に手をついて、颯太を除き見るように膝をついた庫之丞の姿があった。

どう見ても子供にしか過ぎない颯太に従うことに割り切れなさを感じていただろうに、その気恥ずかしさに顔面朱に染めて、庫之丞は頭を下げていた。


「どうかその道行きに、それがしをお連れくださいッ!」


涙が、鼻水が。


「お連れくださいッ! 颯太様ッ!」


庫之丞はいままさに、その身を颯太にさらけ出したのだった。


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