015 その知識、持ち腐れ
美濃焼を作る知識はある。
必要な粘土の種類から、釉薬の成分、焼成窯の構造知識。江戸末期という時代背景に影響を受けたとしても、この時代に手に入る物資と技術で、充分に陶器会社を興す自信はある。
草太は、ふとおのれの小さな手を見下ろして、そしてぐっとこぶしを握る。
この時代に生を受けて、わずかに5年。
気持ちばかりが先行しても、思い描く理想はまだまだ手の届かない遠いところにある。しかしそれは壮大なスケールの距離感ではない。
よちよち歩きの赤ん坊が、食器棚の上に置いてあるクッキー缶を指をくわえて見上げている……そんな程度の距離感である。
いずれはこの身が成長して、お約束のように手に入る程度の感覚だ。
(…5歳で焦っても仕方がないんだけど)
ゴールへと至る道筋は、すでに見えているというのに。
前世の記憶などというチートを持たない普通の人間にとって、人生とは壮大な迷宮に近いものがある。何度もやってくる分かれ道という選択肢。
将来の夢や理想像などあったとしても、その無限の選択がなされていくうちに思ってもない方向に押しやられていくのが常で。いずれは気持ちが折れて諦めてしまうことが大半だ。
だが三十路まで実際に人生を過ごし、誤った選択を過去の知識として俯瞰することのできる彼にとって、人生の迷宮などある程度道筋の見えた攻略済みのクエストでしかない。
前世の時代で挙げるなら、たとえばIT社長。
ネット化の時流に真っ先に飛び乗り、一世を風靡したIT社長が巨万の富を手にしていく過程をもしもその当時先取りして知りえるものがいたなら、そのサクセスストーリーを再現することはおそらく容易いだろう。その商売が成功することが分かっているのだから。ポータルサイトを立ち挙げるとか貧乏くさいこと言わずに、大阪の弱小ソフト会社の開発したOSを特許もろとも買い叩いて、○イクロソフトに成り代わればいい。そうすれば凡百の有象無象でも世界一の長者だ。
(いますぐに大人になれればなんだってやってみせるのに…)
そしていまは江戸末期。
有田や鍋島のブランドに押されて『粗悪品』のレッテルをはられた美濃焼が、近代産業としてその殻を破り勃興する明治が目の前に迫っている。ビッグウェーブがその白い波濤を徐々に見せているのに。
彼は依然として、まだ5歳なのだ。
貞正様に書写の筆運びを「なにを急いでいるのだ」とたしなめられ。
次郎に竹刀の打ち込みを「なんだその雑な打ち込みは! おまえ何か悩みでもあるのか」とか気持ち悪い気遣われ方をし。
お妙ちゃんには「さいきん草太さん笑わないね」と心配され。
母のおはるには鼻をつままれて、「またムツカシイ顔をして! もっと笑やあ!」とライトに説教され。
草太はとりあえず、悩むことを止めることにした。
(何にもできない子供でも、学んだり調べたりすることはできる。ともかくいまできることをやっていくしかないんだ)
やるべきこと、いまやれることをいくつか整理してみた。
そしていま、彼は多治見郷にやってきている。むろんこの郷に来たのは初めてだ。
大原郷から見て多治見郷は、水量の多い土岐川の対岸にあることもあり、5歳児にそう簡単にいきつける場所ではなかった。が、半ば溺れかけながらも川を渡りきり、彼はやってきた。
そこには大きな窯元があった。
《西窯》
加藤半右衛門景郷【※注1】というひとが興した窯だという。
場所は土岐川を基準に目測をつけるに、前世の多治見の市役所旧庁舎がある辺りである。たしかそのあたりに、製陶業者が集まる『窯町』というところがあったと思う。
目の前に、たくさんの窯が並んでいる。
連房窯というこの時代の窯であるらしい。いわゆる『登り窯』である。
丘陵の斜面に段々の坂を作り、かまぼこ型の焼成室を繋いで並べたような登り窯は、現代窯業を知る彼にとっていかにも不効率で旧式に見えたが、この時代では最新設備であるらしい。
一番下の窯が燃焼室で、そこで猛烈に焚いた熱カロリーを上へ上へと導いて一気に窯十数個分の焼ものを焼くことができる。
窯の表面をそっとなぞると、内部の膨大な熱量を感じることができる。
「中があんだけ真っ赤になっとるのに、よう触るなぁ」
そう感心したように声を漏らしたのは、例の粗悪品売りの弥助である。
彼の本名は、加藤弥助。多治見・瀬戸のあたりでは、焼もの関係者ならばみんな加藤姓なのではないかと思うほど多い苗字である。まあこの窯の創始者が美濃焼の開祖みたいに伝わる人だから、その苗字は一種権威を持っているのだろう。
「熱くなるとことならんところがあるのぐらい知っとるよ。このへんなら壁が厚いからそんなに熱くはならんよ」
「…なんでそんなこと知ってんだよ」
そうぶつくさつぶやきながら、弥助は燃焼室の窯口に薪をせっせと放り込んでいる。滝のように汗を流しながら、拭くことも忘れて炎の色を眺め見る。
赤い炎。
ろうそくの火のような生易しいものではない。めらりと嘗め尽くすような粘質な炎である。窯の中はすでに1000℃を越えているだろう。
必要な分だけ薪を入れ終わると、弥助は傍に置いてある瓶からひしゃくで水をすくった。なんとも水をうまそうに飲む。
「…まさか本当に来るとは思わんかったわ。冗談でも遊びに来いなんて一言もいっとらんのに、なんであったりまえそうにくんのかな」
「堅いこと言うなよ。友達やん」
「だ、だれが友達や!」
弥助が声を荒げたが、すぐに近くの大人に「静かにせい!」と怒鳴られて、むっつりとふくれっ面になった。窯焚きの実習中らしいのだが、監督する職人が常に傍に張り付いている。20代半ばの色黒の青年と、4、50代の年季の入った菅原文太似のおっちゃんである。青年のほうが怒鳴ったようだ。
「まだ薪が足らん! もっとくべろ!」
色黒の青年はぎょろりとした目を弥助に向けて、イライラしたように言葉を荒げた。
青年は燃焼室のひとつ上の房の、のぞき窓のようなところから中を見ているようである。
「この色や。よう見て覚えやあ」
決して意地悪しているわけではなく、弥助に窯焚きのイロハを教えようとしているのだろう。
草太は窯を通してつながる彼らの絆を感じて、少しだけうらやましくなった。前世の陶器工場では、彼と従業員とのあいだには、ただ雇用関係のみしかなかったように思う。
(オレも窯が欲しいな……自分専用のやつ)
窯に火を入れたのがおとついの晩だという。
焼き終わるのは3日後だというから、窯番は相当にタフなことになるだろう。窯の傍に薪が山のように積まれているのはその長丁場のためなのだ。
弥助は真剣な面持ちで炎の『色』を見極めようとしている。
いずれ自分の窯を持つようになったら、こいつを引っ張ってみようか。
そのときプーンと髪の毛の燃えるような生臭い臭いが立ち込め始める。
見ると、弥助の前髪が炎にあぶられて焦げてる…。
のぞき窓とか見てると、よくやるんだよねあれ。
あ、気付いたらしい。
監視の職人たちがげらげらと笑い、涙目の弥助を見て草太もたまらず吹き出した。
【※注1】……加藤景郷。多治見の陶祖、加藤半右衛門景増の子。