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陶都物語~赤き炎の中に~  作者: まふまふ
【独立編】
156/288

028 迷惑な従者






江戸の町をどこへ行くにも、復興の槌音が賑わしい。

地震と大火による死者はおびただしい数にのぼっていたが、いつまでもその悲しみに沈んでいても腹は膨れないしたつきの道も立て直せない。失われたものを取り戻そうとする大都市の旺盛な生命力は、戻り始めた資本と物資を血流として、おのれの五体を健全な姿へと復活させようとしているようだった。


(…だいぶ外から物が流れ込み始めてるし、そろそろ軌道に乗ったかな)


立て直された蔵前に廻船から荷降ろしされた米俵が運び込まれていくのを颯太は立会いとして実見している。

状況次第ですぐにでも市場に溶かしていかねばならないと覚悟していた買付米は、結局町会所のお救い米が機能することで順調に備蓄が始まっている。百万の胃袋の消費力を考えれば焼け石に水のような量ではあったけれども、これらが幕府の一存で右左できる米であることがなんとも心強い。


(予想はしてたけど、米証文がかなり高騰し始めてるからなー)


やり手だとは思っていたけれど、あの両替商ども、ずいぶんと派手に立ち回って市場から金を吸い上げているようであったので、それを制御するための米が幕府の手元にないことでずいぶんと不安に駆られていた颯太であったりする。

冷える潮風に身を縮めながら颯太は足踏みする。冬はもうそこまで迫っている。


「…そっちの荷は、どこへ持ってくの」


盛んに荷揚げされている米俵を積んだ茶船の間を縫うように、一艘の小船が筵でくるんだ四角い荷を抱えて水路を目指している。


「童が何でそんなとこに偉っそうに」

「ええで教えやあ!」

「知るかよ。おらっ、おまえらちゃっちゃと漕げ」

「このっ、無礼者!」


腕組みした髭もじゃの水夫を飛び上がらせたのは、颯太の隣にいたそばかすの若侍であった。

刀の柄に手をかけ、今にも抜刀しそうに勢いでその小船の水夫たちをねめつける。林庫之丞(はやしくらのじょう)……なぜか近頃颯太の行く先々に粘着を始めた林本家の跡取り息子である。


「お上の詮議を愚弄するとは、ここに直れ! 手討ちにしてくれる!」

「あー、たんまたんま」


やや慌ててそちらを手で制しつつ、颯太は怯えを見せ始めた水夫に向ってフォローするように同じ問いを発すると、答えが返ってきた。


「こいつぁ、ついでの荷で瀬戸から運んだ焼物でさぁ」




廻船の船主は、運びうるキャパが限られているがために、少しの隙間も余さずに小口の荷物を積んできたりする。米を運ぶ廻船にも、少なからず便乗商品が載せられて江戸湊に運び込まれつつある。

四角い荷からそうだろうと予想した答えを得たことで、颯太は積荷の数だけ勘定しておのれの帳面にその数を書き加えた。


(焼物が増えてるな……『ワレモノ』だけになおさらか)


意外に業界的な品物が重宝されているのを知ると、その商機に乗るに乗れないおのれの立場が歯がゆくもある。

需要の筆頭はむろん材木であったが、それらは近郊の諸藩から送られてくるもののほかに筏の大船団を組んで海路をめぐってくるので、廻船の荷とはならない。上方から多く運び込まれてきているのが反物(布地)に酒、障子紙……そして各所の焼物……ご飯茶碗や皿などの生活雑器だけでなく建材としての瓦などが目立つ。

米証文のおかげで臨時の資金を調達できた江戸町人たちの旺盛な購買力は市中経済を驚くほど活性化させ、いろいろな商品が海路ばかりでなく街道からも、陸続と行商人の荷駄によって運び込まれている。資本の流れが人の流れを作り、母数の増した人の営みがさらなる消費行動を助長する。まさに経済復興の良きスパイラルだ。

焼物業界人なだけに、颯太は美濃焼の売れ具合にウサギのように耳を立てて情報を集めてしまう。販路がまさに海路である瀬戸物の流入量が尋常ではない。

復興の特需であるので割合に高級品である瀬戸新製(磁器)よりも廉価である本業物(陶器)の器が多く出回っているようである。地震によってだぶついていた市場の焼物がきれいにリセットされてしまったのだ。この流れは確実にしばらく続く。


(本業焼きに手を出してない天領窯にはあんまり関係ないとはいえ、なんかむちゃくちゃ悔しい…)


今頃浅貞屋は笑いが止まらない状態であるだろう。地震被害からの立ち直りにもたつく美濃焼とは違い、瀬戸は尾張藩の扶助で数段早く復興が進んでいる。そこから出荷され始めた焼き物はまさしく時宜(じぎ)を得て特需のビッグウェーブに乗るのかもしれない。


(美濃焼のほうは……やっぱりまだほとんど運ばれてきてないな)


美濃焼製品はいまさら言うまでもないのだけれども尾張藩の支配下にあり、東日本では江戸にある尾張藩勘定所支配下の『瀬戸物会所』というところに一括して荷揚げされる。日本橋に程近い福留というところに(※現アステ〇ス製薬本社付近)そうした問屋が立ち並ぶ瀬戸物町が形成されている。自然と集まったというより、尾張藩が管理するためにそうしたとしか思えないのだけれども、むろんその町の来歴など正確なところはわからない。

…知らぬが仏とはこのことだが、流入経路が限られているので、尾張藩の内情ともいえるその瀬戸物流通のおおよそは幕府勘定所にすっかり把握されてしまっていたりする。内部情報に接することができるようになった颯太は、情強(じょうきょう)の人間特有の上から目線で場の雰囲気を俯瞰している。

まあそれらを知られることで尾張藩も現金収入の多さをアピールしている節があり、武家の見栄とはまた奇奇怪怪なものである。


「…これで今日の分は終了なんですね? ではぼくはこれで」

「陶林殿、蔵奉行様が是非に一献どうかと……酒の代わりに甘酒を用意すると申されておりますが」

「お気を遣わせて申し訳ないです。…このあと所用がありまして」


蔵奉行は勘定奉行の令下にあり、ここ幕府のお蔵が立ち並ぶ蔵前の敷地内にその役宅がある。

颯太の荷揚げ実見はとりもなおさず老中首座阿部伊勢守の監視の目という向きが強いうえに、近頃江戸の町の『世直し』に獅子奮迅する勘定所の小天狗と人口にのぼるようになっている彼の功績の多大さが、後の出世街道の爆上げを周囲に予見させるのだろう。何かにつけよしみを結びたがる者が多く、ここ蔵前でも出向いたすぐに蔵奉行に捕まってなにくれと過剰なまでに親切にされている颯太である。

今夜はぜひ役宅で一献と、熱心な誘いを『子供ですので』とやんわりとかわしていたのだが、なるほどそれならばと子供向けに甘酒を用意したわけか。

もっとも、後々の身の振り方でも難儀を抱える颯太としては、これ以上のしがらみを作るつもりなど毛頭ない。

書き付けた帳面を懐に仕舞い込むと、颯太はあわあわと立ち尽くしているお役人を置いて歩き出した。少しかわいそうではあるものの、支配勘定並もそれなりの役職ではあるので、ときにつれない態度を取られても下役としては従容(しょうよう)と受け入れざるを得ない。蔵奉行の失敗は、上手にある奉行自身が捕まえにこなかったことであったろう。

颯太の目はもうさきほど漕ぎ去った瀬戸物を積んだ小船を追っており、その足も自然そちらへと向っていた。

彼の『所用』とは、まあ件の瀬戸物町の偵察であったりする。


「もう仕事は終わりましたが……庫之丞(くらのじょう)どの?」


さも当たり前というように、鼻息も荒く颯太の後ろにつき従う林庫之丞。

家格も年も従者が上であるのに、幕府役職という最も武家社会で重要な地位が転倒してしまっている二人である。

いまだ役職もなく猟官活動中の庫之丞にとって、出世街道のジェットストリームに乗っている颯太の存在は、まさに嫉視(しっし)の的である。あからさまに目は不満を含んでいるし、見せる態度もどこかけんか腰である。

主家と分家という関係上その主家の御曹司をないがしろにもできない颯太としてはきつい態度もはばかられ、目下(もっか)のところ静観を貫いているのだけれども、正直ただでさえ余裕のない精神をゴリゴリと削られている。

まあこの粘着の理由は知れているので対処は容易なのだが。


「…今日はもう『上の方』との接見は予定にないんですけど、まだついてこられますか?」

「…なんだ、そうなのか」


そうぶっすりとつぶやいた庫之丞の態度が豹変するのを、颯太は眉をひくつかせながら笑みを持って迎えた。

両者の関係的に、にこにこ接せられるよりもよほど精神衛生上ましというものである。


「所用と言ってたじゃないか。どこへ向うんだ」

「ただの寄り道なんで、もうここいらで庫之丞殿もお帰りになられては?」

「そう言ってまた俺を欺くつもりなのだろう? 貴様はまったく信用にならん」

「………」


主家の御曹司と分家当主。

どちらが社会的に認められているのかというと、一般的には分家当主のほうである。『お家』の主人であり、『陶林家』という直参武家の正当な当主であるからだ。かたや主家の御曹司はというと、御曹司というあたりに配慮はされても、しょせんは相続前の当主スペアにしか過ぎない。

颯太がお得意の口八丁で彼をぺしゃんこにしないのはそうした主家分家の背景ではなく、とりもなおさず林本家が握っている天領御用窯の株の力を慮ってのものである。颯太が10株分捕ったとはいえ、いまだに39株、筆頭株主の普賢下林家にほぼ匹敵する大株主であることは変わらない。

おのれの会社の、大株主の御曹司……これは配慮するに十分な理由となる。


「それで、どこへ向うんだ」

「瀬戸物町へ……商売の現地調査です」


にっこりと微笑んだつもりの颯太であったが、口の端のひくつきをさっそく見咎められた。


「下卑た愛想笑いだな……しょせん田舎(いなか)出の陶器屋風情か」

「………」


どれだけ偉いんだよおまえは。

現実から目をそむけたままにおのれの自我ばかりを肥大化させたそのさまは、時代を超えた『厨二病』と断じてよいのかもしれない。

きっと年下のキャリア官僚に無自覚に噛み付いているいまこの瞬間の風景も、十年後には痛々しい黒歴史となるのであろう。

(きた)る幕末をこの若者が生き残っていけるものか、父君にはお悔やみを申すしかないのかもしれない。


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