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陶都物語~赤き炎の中に~  作者: まふまふ
【独立編】
150/288

022 震災始末⑥






ジャッジは公平であらねばならないと思う。

颯太の主観的に見てここにいる大両替商たちは社会的強者であり、単純に被災者を泣かせている悪人たち、という感じであるのだけれども、公平な裁判を受ける権利が誰にでもあると教えられてきたおっさんの前世感覚で、双方の事情を「一応」問い質すことにする。

大人の社会にはいろいろと裏事情というのが渦巻いているものであり、もしかしたら町会所には余人には知られていない、例えば貸付金が大量に焦げ付いていて米が抵当化しているとか、古米が尋常じゃないくらいだぶついて食べられたものじゃなくなっていたりとか、金庫番たちの頭を悩ませるような問題が生じているのかもしれない。


「…それではこの義蔵の米を、相場で化けさせようと?」

「町名主様方が不在のいま、宝の山になるだろうこの米をただ眠らせておくなどとてもではありませんが我慢なりません。運用を申し付かっているわれらとしましては、一時の相場で会所運用金を太らせることで貢献させていただきたく考えております」


聴取した結果、言いにくそうにはしていたけれども、後ろ暗いなどとはあまり思っていないのか米相場狙いであったことを商人たちはあっさり白状した。

彼らは町会所の資産を運用する見返りとして、利益のなかのいくばくかを受け取ることが出来る。彼らも会所も懐が暖かくなる、けっこうなチャンスだと彼らは思っているのだ。

町会所にもよいことなのだからと、悪びれるふうもない。

おそらくたくわえが充分にある彼ら自身は、義蔵の米など当てにしなくてもある程度安定した生活が約束されているのだろう。

意識のかみ合わなさに、颯太は頭を掻き毟りたくなった。

商人が金儲けを考えるのは間違ってはいないけど、そんなものは時と場合があるに決まっている。子供にでも分かる理屈だ、いい歳した彼らだって分かっているだろうに、なんだろう、彼らの目はお上の人間である颯太たちに『理解』を求めているような気配さえある。


「…岩瀬様」

「なんですか」

「…普通、店の金蔵に金銀がうなっていたら、余裕をぶっこいて身綺麗なことを言い出すのが人というものやと思うんですけど。何千、何万もの小判を右から左する彼らのような大店であるのならなおさら……いまをときめく『大名貸し』の御用両替商が、こんなどさくさに庶民の怨みつらみを引き受けてまで金儲けしようとか、いろいろと違和感がありまくりなんですけど。…正直、彼らのほうにも何か『事情』があるように思えるんですが」

「………」

「…その様子は、何かあるんですね」


なにを言い出すのかと面白がっていた岩瀬様の目が泳いだのを見逃さない。

きたよコレ。この時代の経済の最上流にあるのは彼ら大商人ではなく、目の前の岩瀬様が所属する『幕府』であることは間違いがないのだ。


「こっち見てもらえますか」

「…いや、まあなんだ」

「心当たりがありまくりなんですね、分かります」


颯太の生暖かい眼差しに、


「商人どもを鬼の首取ったように一方的に難詰するものだと思っていたんですが、なるほどたしかに食えない鬼子ですね」


岩瀬様が面映そうに鼻の頭を掻いた。

ビンゴである。


「…やっぱり、まだぼくを試してたんですね」

「その歳で青臭い正義感からも抜け出しているとか、ちょっと早熟しすぎだと思うんですが……ふふっ、実務家の伊勢様が気に入ったのもなるほど分かる気がします」


この岩瀬様自身もまたそうした実務家の阿部様に気に入られた人材であるのだろう。颯太の見せた『官僚』としての妥当なバランス感覚を確認した上は、その判断を曇らせぬようさっさと検討材料を提供してくれた。

説明と言っても簡単なものだ。

非常に端的な言葉であったそれは……その言葉の取るに足らなさからは比較にならないほど恐るべき重さであったけれど……すぐに胸に落ちる内容のものだった。

なるほど、世間で思われているほどに両替商たちがこの世の春を謳歌しているわけではないというわけか……って、なにやってんの幕府さん! そのひどいたかり構造はいかがなものかと思いますけど!


(聞いといてよかった……これでずけずけやってたら理不尽だったよなー)


江戸という時代は、商人にとって……颯太自身も経営者であるので多大な実感とともにいうけれども……夢のような時代である。身分制度の壁はあれどもいったん商人としての地位を確立できたならば、その才覚次第でどれだけでも身代を大きくできる……言い方は悪いけれども武家の怒りにさえ触れなければ、国内マーケットは公的な法整備も何もない『無法状態』に近かったりする。

所得税もない。法人税もない。消費税もむろんなく、現代では当たり前な企業への課税がほぼ放置状態。銭勘定は卑しいと突き放している武家ロジックの陥穽であるといえたであろう。まさに商人ヘヴンな時代であった。

なにそれ、他が年貢でかつかつになるほど吸い尽くされてるのに優遇されすぎじゃん……とか思ってしまうのだけれども。商人への課税を法制化する頭のないお武家たち、彼らがそのプライドゆえの過大な生活費にあえいでいたのも事実であり、家臣団という暴力装置を持った彼らが刀をちらつかせて、過分に豊かな者たちにたかるようになるのもいたしかたない成り行きであったのだろう。


『御用金』……それが幕府諸藩の魔法の呪文だった。


「…で、ことあるごとに『御用金』を申し付けていたと」

「背に腹はかえられぬときもあります。なければあるところから融通させる、ということです」

「…で、彼らからはどのくらい引っ張っているんですか」

「まあ100万両ではきかないですね」

「………」


法整備がない分、たかる側のお武家様にも自重が効かないというわけである。

どれほど立派な大木でも、宿り木に養分を吸われ尽くされれは立ち枯れするしかない。財政関係に疎いお武家にノーカンでたかられ続けるのはある意味生き地獄であったろう。

専門家ではない颯太には詳しく知るすべもないのだけれども、実際にあの三井財閥の前身である三井越後屋ですら、無体な『御用金』ために幕末に倒産の危機に直面していたという。御用金ラッシュで累積300万両近い金額をたかられて、金蔵に1万数千両しか残っていない……その危機的状況でさらにたかってくる幕府と倒産の危機を賭けて交渉にしのぎを削るエピソードはなかなかに泣けてくるシロモノである。必死になって稼いだ金をいじめっ子のジャイOンに奪い取られ、蒸気船というラジコンで遊ばれているさまを想像してもらえると分かりやすいのかもしれない。

こちらを見つめる両替商たちの愛想笑いのその目が笑っていない。金をやってるんだから引っ込んでろといわれれば、ごもっともと受け入れるしかないのだろうか。ああ胃が痛い。面白そうに眺めてくる岩瀬様のおなかを一発殴ってもいいですか。

あー、こほんっ。

わざとらしく咳払いをしておのれのなかの気後れを追い払う。

彼らの事情は事情として後で対処するとして、いまは江戸の食糧事情を何とかするのが喫緊の事案である。

すばやく両替商たちに提示できる代替の『儲け話』を思案しつつ、颯太は両替商たちを集めて一度ゆっくりとメンツを見回してから、試すように口を開いた。


「…ここの米の移送は勘定所の権限で差し止めます。倉のいくつかは崩れているようですが、それで盗みを恐れるくらいならばいっそのことここの米を配ってしまってください。これは岩瀬伊賀守様、さらには老中首座阿部伊勢守様から市中復興を任されたこの陶林颯太の名において……それでおさまりが悪いのであれば支配勘定並としてこちらの勝手掛様(岩瀬様)に相談して、そのお名前でもよいのですが……そのように処置すべきである、して欲しいと要請いたします」

「配るのはよろしいですが、そのようなことを言い広めれば江戸中から人が殺到して大変なことになりますが」


すぐさまもっともな意見が返ってくる。

まあ彼らもそのあたりについては十分に検討し、理論武装も済んでいるのだろう。住民を統制する町会所が機能していないいま、50万の町人が一斉にここに押しかけてくればパニックになるのは想像に易い。


「お救い米を配るにも、段取りというものがあります。この住む家もなくした状態で煮炊きもままならぬ者たちに籾米を配ってもどうにもなりますまい。ある程度町が回復して暮らしが立ち直るまでの時間を考えれば、その間の籾米の保管をおろそかにするわけにもいきませんし……ゆえにわたくしどもは…」

「そうでございますとも! 崩れた倉はここだけでもございません! 配る手立てもなくこのまま寝かしておくのもあまりにもったいない話、ならばわたくしどもに取り扱いを委託していただければ…」


…で、復興までの時間差を有効活用して、高騰する米相場で金を抜くつもりなんでしょ?

ないない、やらせませんって。それでは結局、米のエンドユーザーである被災者たちがむしられることになる。颯太は両替商らの言葉を手で制して、


「もちろん、始めは炊き出しを増やして暮らしを助けます」


言わずもがなとばかりに鼻を鳴らした。


「その炊き出し自体を町ごとの代表者に分散委託します。町の状態をもっとも把握できる立場の者に、その地区の世話を切り盛りさせるのが一番理にかなっています。彼らを呼び集めて、炊き出しに当面必要なだけの籾米を分配することから始めてください」


まず市中の治安維持に本来必要である奉行所の手を空けさせる。炊き出しを各地区の小グループに担わせるわけだけど、彼らもまた被災者であり、この時代の人間の善性を信じて米はざっくりと渡してしまう。

むろん一度にすべてを分配するわけでもないので義倉のセキュリティの問題はどうしても残るのだけれども、颯太はそこについても心配する気は捨てていた。

自分だけがよければ後は知ったことではない、という個人主義的な考え方は、持ちつ持たれつで営まれている江戸という町にあまり合わないのではないかと思うのだ。いや江戸といわずこの時代、苦しいなかでの助け合いが必須である庶民にすさんだ独善がはびこるはずもない……そう信頼しようと思い決めていた。


「義倉の入口や崩れてあやういところには、町会所からの札を立てましょう……『米が足りねば会所(町会所)に尋ねよ』、とでも書いておけば、盗るものはたぶん出ません」


貰えるのが分かっていれば法を犯す必要もない。お上が、町会所が町人たちを信じるというのだ。人は信用には信用で返そうとする。そうした善性を期待してよいと思うのだ。

言ってしまった後で、颯太は改めてそれが正しかろうと確信しつつ、その後の対処の話へと言葉を継いでいく。

あとは復興が進み始めた後の、個々人への『お救い米』としての籾米の配給であるが…。

颯太は考えをまとめると、いったん岩瀬様にそっと耳打ちして……その内諾を得た後に慎重に口を開いた。


「御用両替商たるあなた方に依頼があるのですが…」


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