014 ああ、そのルートね
むやみに駆け出したりするとき、人はたいてい平坦か下り坂を走る。上り坂はすぐに息が切れてしまうからだろう……無意識に下り気味のルートを選択して走っていく。そういうものだとどこかで聞いた覚えがある。
お妙ちゃんは、草太の手を引いたまま、そのとおりに大原郷の下り坂を駆け下った。大原郷の地勢は基本、北側を流れる大原川に向かって少しずつ下っている。
「ソウちゃん!」
あっ、かあさんだ。
駆け下る途中で彼の実家のそばを通ると、赤ん坊を背負ってあやしている様子の母、おはるがいた。
飛び上がるように手を振って、存在をアピールしてくるのだが、いかんせん暴走機関車と化したお妙ちゃんはいっこうに止まることもなく。ほんと足腰の丈夫な子だなあとか感心する。
何気におはるの背負っていたのが彼の弟か妹になるのだが、最近実家はご無沙汰しているので詳しくは分からない。おとなりのつるさんの親戚で、根本郷の彦左とかいう野郎と結婚したらしい。新婚生活を邪魔するまいと彼が遠慮して近寄らないのだが、おはるはそんなことまったく気にしていないようだ。
「今度その子も連れてこやあ!」
いや、だから親に紹介するような関係じゃまだないんだけど。
走りながら、お妙ちゃんが聞いてくる。
「あれが草太さんのお母様やの?」
「…そうだけど」
「…今度……その、ごあいさつに…」
どうどうどう!
入れ込みすぎだよお妙ちゃんってば!
真っ赤になりながらそんな事を聞いてくる姿が結構かわいくてドキッとしてしまったのは内緒である。いろいろとまずい気がするので頭の中で九九を暗唱し始める。まだ大丈夫。生理的に愚息が反応するような歳ではないので。
大沢川にかかる小橋を渡って田んぼの畦をまっすぐに抜けると、大原川の河原に出た。そこでようやく足を緩めて倒れこむ。堤の草むらに転がると、乾いた草と土の臭いが鼻をくすぐった。
「ここでやすもっか…」
並んで坐ったものの互いの距離が近くて、なんだか妙な雰囲気だ。
これはいわゆるデートというやつなのかもしれない。が、7歳児とそんなことをしてもウキウキとするはずもなく。相手にやたらと意識されている分だけ、よけいに妙な気分にさせられる。
呼吸が収まってくると、言葉もなくただゆっくりとした時間がふたりの間に流れた。赤とんぼがやたらと飛び交い、そこらじゅうで交尾している。虫がせっせと子孫繁栄にいそしむ時期なのだ。作物の刈り入れが終わった人間たちもまた、そんな季節なのかもしれない。
まあ、しょせん幼児には関係のない話だが。
ぼんやりと大原川の反対の堤を眺めていると、通りかかる旅人の浮世絵っぽい旅装が珍しくていい暇つぶしになる。
その道は前世的には国道248号線。多治見からおとなりの可児へと抜けていくルートで、割と道幅も広くて整備も行き届いている。通りかかる旅人のなかでも馬喰とういうやつだろう、馬を引く馬丁の数が目立つ。
馬の背には、木箱が縄でいくつもくくりつけられ、何かを運搬しているように見える。
(あれは…)
帯同する商人の姿はないから、専業の運送人なのだろうということは分かる。
ただ、専業らしいというあたりに何か引っかかる。
(専業の運搬とかって、東海道や中山道じゃないんだからこの近辺の産物を運んでるんだろうけど……多治見の産物って、まさか)
そんなことを思っている目の前に、馬の後ろにちんまい同行者を連れている馬丁が通りかかった。子連れとは、また暢気なやつだなあとか頭にのぼせたつかの間の空白のあと、それがどこか見知った顔であることに気付いた。
むろん見たことあるのは、馬の後ろのちんまいほうである。
「あ、草太さん…」
いきなり立ち上がって河原へと駆け下りた草太に、お妙ちゃんが慌てて腰を浮かせるものの、完全に出遅れた。草太はそちらはまるで頓着せず、ばしゃばしゃと水を蹴立てて対岸へと渡り、草を掴んでよじ登る。
いきなり飛び出した子供に、馬を引いていた馬丁が「ひゃいっ」とか変な声を上げた。
「なんじゃ、村の小僧っ子か!」
ほっかむりした馬丁は汚い親父だった。隙っ歯のあいだから唾を飛ばしてぶつくさと文句を垂れ始めたが、草太は一顧だにせず馬の積荷に目をやり、そこに「西浦」とまんま漢字で書かれたロゴを見て、積荷が焼物であることを確信する。
西浦とは、以前土蔵で見つけた家計簿で判明した、林家1000両の大借金の債権者であり、江戸、大阪に店を構える東濃一の陶器卸商である。
「おい、弥助やろ」
「………」
顔を背けるその子供に、草太はしつこく顔を近づける。
もうばれているのにかたくなに顔をそらし続ける弥助に、草太はぼそりとささやいた。
「粗悪品売りの弥助さ~ん」
「粗悪品売りと違うわい!」
ぶうんとゲンコツが唸りを上げるが、喧嘩慣れしたこの時代の子供にはかわすことなど造作もない。
続く二、三撃をかわされると、弥助は荒くなった息に肩を上下させて、少ない語彙を搾り出して口撃を始めた。
「なんも知らんくせに! 大原のカッパ小僧! 帰れ帰れ、川に帰れ! こんな浅くてちっせえ川に住んでるから、丈も○○○そんなちっせえんだな!」
ちなみにこの時代、子供の着物の下はフルチンである。
大原川から飛び出してきたので「カッパ」と来たようだ。150年後に某有名漫画家の手によって爆誕するピンク色の河童うなぎ、ウナガッパを言い当てるとは、なかなか先見性があるのかもしれん。
しかし精神年齢が四十路近いおっさんにかかっては、その程度の悪言など痛痒も感じない。
「もう売ってないの?」
「売ってない! 売ってない! もう金輪際やったりせんわ」
言葉の応酬を軽くスルーして、草太は馬の周りをぐるりと回って木箱の数を数える。みかんとか入ってる段ボール箱みたいな大きさの箱が、計6個。
これを積んでここまで来たっていうことは、可児方面への出荷ということは確定なのだが、おそらく大原郷とはったはったの田舎に過ぎない可児のあたりに焼ものの商店などありはしないだろう。
江戸か大阪の支店に運んでいくのだろうが、なぜこっちに来たのかが理由が分からない。多治見郷なら、例の下街道を使って尾張まで運んだほうが近そうに思う。
「弥助の友達かい」
「うん、そーだけどさ」
「ちょっ、いつ友達になったんやよ!」
すかさず否定に入る弥助を生暖かく見つめてから、またにっこりとビジネススマイルを造って馬丁のほうを見る。
「これって、どこまで運ぶの?」
馬丁はかっかと初代水戸黄門みたいに笑って、道の先を指差した。
いや、あっちなのはもう分かってるんですけど。草太の心のツッコミが聞こえたのか否か。
「木曽川で海まで運んで、そっから川船で桑名沖まで行くやろ、そんでそこにとまっとる廻船に積み替えて、江戸と大阪に送るんやわ」
「木曽川って、あの三川の?」
「今渡っちゅうとこで船積みやわ。このへんの焼ものはたいていそうやって運ばれとるやろ」
なるほど。木曽川船積みルートがあったか!
新事実発見!
下街道整備構想とか、こうなると壮大に無駄だったなとか思う草太であった。