018 震災始末②
「つぎは、…米の手当てです」
阿部様の目力を押し戻すように、颯太は言った。
この当時、江戸の人口は100万を数えたといわれている。嘘かホントか世界最大級の都市のひとつであったようである。
その100万人が、一夜にして家財を失い路頭に放り出されてしまった。不幸にも災害そのものに命を刈り取られた数千の犠牲者を思えば死ななかっただけましと言えたであろうが、生きながらえた彼らを待っていたのは経済という血の巡りをとめてしまった、社会システムの壊死と食料の枯渇だった。
「ひと一人一日に最低1合の米が必要と仮定して、一日に100万合、1俵3斗半で換算して…」
すばやい暗算は、零細といえど経営者に必要とされる最低限のスキルである。
米1俵3斗半とすると350合、米1俵で350人が一日糊口をしのげる計算になる。その計算を100万人に拡大反映させると、おおよそ一日の必要量が3000俵あまりの勘定になる。
3000俵!
二百数十人の住人がいた根本郷全体からあのとき代官所が掻き集めた米が数十俵……それだけでも相当な量であったのに、その桁がふたつほど大きい大量の米が一日で100万人の胃袋に消えてしまうとか、数字上では理解できても気持ちのほうがなかなか受け付けてくれない。
あくまで3000俵は一日の消費量である。来年の収穫時期まで半年強をしのぐことを計算すれば、約60万俵という尋常でない数量がはじき出される。こうした巨視的な計算はたいてい現実感が伴わないもので、答えが出たというのにもかかわらず、颯太はそれが現実化できるとも思われず言葉に詰まってしまった。
町奉行所が悲鳴を上げるわけだ。
「…備蓄は」
泳ぎ出しそうになる目を阿部様に向けて、颯太は言った。
『詰み』を予感して背筋が凍ったのだけれども。
「幕府の備蓄米はいかほどあるのでしょうか」
「…50万石ほどだな」
はっ?
聞き間違えたと思って瞬きした颯太に、岩瀬様が真面目くさった顔で「50万石だ」と繰り返した。
50万石!
なんだ、あるじゃんか。心配して損しちゃったよ!
「もっとも……備蓄はあるが、江戸にそれらすべてがあるわけではない。それに昨年からの地揺れや津波の救済で幕領各地の蔵もほとんど払底しておる。…手元にある虎の子もすべてばら撒くわけにもいかぬ……市中の流通が細ると米価は高騰するのが常だ。価格統制の余力を温存するためにも、幕府の手元にそれなりの量の囲い米(備蓄米)は残しておかねばならん」
「そもそも幕府の囲い米は、すでに商人どもへの借入の抵当にも入っておりますゆえ。それに東海道各地の災害の手当てにすでに数万両を捻出したばかり……御家人の扶持米にも難儀する昨今の状況で、勘定方から言わせていただければ『他を当たってくれ』と真剣に申したきところです」
…絵に描いたような末期的赤字財政。
現場が財政出動を願っても、赤字まみれに青くなった財務省が予算執行を躊躇して金縛りになる構図に近いのだろう。この時代米はイコール現金のようなものである。幕府の府庫に収まった時点ですでにそれらの返済先が決まってしまっているような、典型的な自転車操業が繰り広げられているのだろう。
その無理を押して備蓄米の放出を達成するには、官僚たちを黙らせる『鶴の一声』が必要であり、ゆえに先だっての将軍への『お伺い』が試みられたのであろう。
カステラ将軍め…。
「市中にどれくらいの米が残っているのか調べるすべもありませんが、この様子だと早々に干上がりかねません。翌年までの必要量を考えれば最終的に数十万俵は掻き集めねば……他所から運んでくるにしてもせめて繋ぎの物資くらいは幕府の蔵から捻出してもらわないと」
すぐに思いつくのが関東近郊の諸藩に使者を立てて食料を買い付けることだが、こういうときの備蓄米すらピーピー言わねばならない幕府にその資金的な余力があるものかどうか。札差商に命じて西国の廻船をまわしてくるにしてもまず江戸湊の被害を常態に復旧せねばならないし、到着までにかなりのタイムラグが発生するだろう。
ああ、頭がこんがらがってくる。
ガリガリと頭をかきむしりつつ、落ち着け落ち着けとおのれに向かって念じ続ける。外部からの米の調達を急がねばならないのは当然として、ともかく目先の物資不足を何とかせねばならない。
「町奉行様は、町人への炊き出しにご自身の持ち米を持ち出しておられるのですか? 炊き出しだけで相当な量の米が必要になると思うんですけど…」
颯太に疑問に、意外にあっさりとした答えが返ってくる。
「町会所【※注1】だな」
「町会所ですね」
阿部様と岩瀬様は切り絵図を睨んだまま、おのれの気のない言葉が6歳児に及ぼした衝撃に気付いたふうもない。
なんですか、その町会所とか!
速やかに! 詳しく! とっとと情報を寄越しやがれです!
焦れて催促するように颯太が畳を叩くと、おやっという顔をして岩瀬様が簡単に説明を加えた。
「七分積金【※注2】を基にした町人会所の備蓄のことですが。…江戸では常識なのですが、鬼子ともあろうものが知りませんでしたか?」
「…まったく知らんし」
恨みがましい颯太の様子に阿部様が少しツボッたように吹き出して、「おかしな知識は仕込んどるくせにこういうところでは無知だな」とやや理不尽なことをのたまわった。あのですね、相手が阿部様でなかったら胸倉掴んでますから!
「町方の自助制度よ。大火に備えて町会所が毎年積み立てた資金から備蓄の米を集積しているのだ。…町会所を差配する町年寄衆は町奉行所の支配とされるゆえ、対馬(町奉行)の米の出どこもおそらくはそこだろうという話だ……お上が町方の義倉に手をつけるなどけっして誉められた話ではないがな」
「…市中の倉がどれだけ無事で済んでいるのかはいまのところ分かりませんが、町会所の義倉が無事であるなら相当量の米俵が寝かされているはずです」
「ちょっ、そこから引っ張れば済むじゃないですか! 悩む必要なんか…ッ」
「アレは町人たちのものだ。武士が手をつける筋のものではない」
「庶民の義倉に武士が手をつけるわけにはいきませんね」
「………」
…ああ、そうゆう論理ですか。
当たり前のように出てきた武家ロジック。
目下である庶民の財産を当てにするなど彼らの沽券に関わるという理屈なのだろう。もうその話はこれで仕舞いだ、別案の検討に入るぞと目配せしてくる阿部様に、颯太はかなりの自制をしつつ更なる説明を要求した。
『町会所』とか『七分積金』とか、かなり基本的なところから分かってないんで、じっくりご鞭撻ヨロシクお願いできますでしょうか。
…『町会所』とは、住人による自治組織の集まりのことであるらしい。
江戸町会所は家康の入府に従い土地を切り開いた喜多屋、奈良屋、樽屋が世襲することになる町年寄(区長)をトップに各町の町名主(町長)、長屋のオーナーである家主(町内会長)らで組織される。町内の治安維持や道路補修、民事の揉め事などの調停までしている大組織であるのだが、それらの経費はすべて町入用(町内会費?)から賄われているのだとか。
岩瀬様の言う『庶民の義倉』とは、その町内会費を集めて買い付けられた備蓄米の蔵のことだった。『七分積金』とか難しい話は割愛するけれども、ようは江戸で頻発する大火事などの災害に備えて、町人自らが転ばぬ先の杖として非常食を準備しているということのようだった。
なら、四の五の言わずそれを配ればいいじゃんか。
目先の食糧事情が改善さえすれば、それの出どこなど颯太にはどうでもいいことだった。少し気になることはあるのだけれど、とりあえずこの件はこれで解決の方向で…。
「…義倉の米に触れることはまかりならんぞ。…おまえが余計なことを言い出す前に念を押しておくが」
「………」
「ふん、図星か。…ともかく、町会所の勘定にはお上はいっさい手出しせぬものとされておるのだ。あれらは町役人たちの裁量で運用されておるゆえ、しかるべき必要が生じたならば町方の手で勝手に放出されよう」
「前の大火でもその義倉が開かれてお救い米が配られていたと聞き及びます。こたびも彼らの判断でよきようにするでしょう」
「…その辺は投げっぱなしなんですね」
「お上が町方の懐に手を突っ込むようなさもしい真似などできようものか。その話はこれで仕舞いだ!」
やや虫の居所を悪くした阿部様たちを生暖かく見やってから、颯太もまたむすくれたように脚を崩して胡坐をかいた。解決の手段があるのに、よく分からない筋論で最適解をうっちゃる話は前世でもよくあったことだ。有力者の誰かの都合で簡単な話が難しくなって、延々と議論した挙句に理解不能の気持ち悪い結論がはじき出されたりするやつだ。
武士の何たるかを知らぬ小僧がとドヤ顔の二人なのだけれど、相当に切れ切れのはずの彼らの才覚を持ってしても武家の因習を前にしてはこうも鈍くなってしまうのかと切なさがこみ上げてくる。
交わされた言葉のなかに浮き沈みする、この違和感に気付かないなんて。
(…胃が痛いなぁ)
急ぎの旅過ぎて、反魂丹を実家に忘れてきた颯太であった…。
【※注1】……町会所。作中でも簡単に説明入れましたが、この江戸時代という封建社会は、民間の行政サービスをまったく持っておろそかにしている世界です。まあ自尊心の強いお武家が下々の者のために行政サービスに粉骨するとかありえませんし(^^;) 。
お上がやってくれないものだから、自然とそういったサービスは民間が代行するようになったようです。町入用という町内会費(≒市税?)を徴収し、その資金から町名主さんたちは専門官としての給料を貰っていたようなので、彼らの集まる『町会所』は現代でいうところの区役所なのかもしれません。
【※注2】……七分積金。松平定信が寛政の改革で作らせた民間自助制度。上記町内会費である町入用を削減させる代わりに浮いた資金の七分(70%)をもしものときのために積み立てさせたのがこの制度。その資金のなかから、備蓄用の籾米も買い蓄えていたようです。