015 屋敷を建てよう
陶林家の屋敷は、生家の名の由来ともなっていた渋柿の疎林が枝を伸ばす高低差5間(約9メートル)、長さ20間(約36メートル)ほどある土手に建てられることになった。
そこに屋敷を作るという颯太の宣言を、案の定子供の妄言ぐらいにとらえていた伊兵衛は、翌日代官所の手配で集まってきた男手の数に仰天して「祭りでも始まるんか」といささか以上にズレたままそわそわとしだした。
よく分からないがタダ酒が飲めるとでも思ったのだろう。むろんその勘違いはすぐにただされることになったのだけれども。
「屋敷って、ここは先祖代々の…」
ここに来てようやく颯太の発言がそのまま現実に実行されるのだと理解した祖父は、農家の家長的発想で「なんでわしの許しもなくそんな大事なことを」とぷりぷりと怒り出したが、母のおはるや義父の五郎太どんはさすがに代官所のお役人に気後れもせず偉そうにしている颯太を見てただ事ではないとようやく気付いたようである。
「その上手の柿は大事にせないかん! いちばんええ実がつく木やぞ!」
「おじい! お役人様の邪魔したらいかんて!」
「わしはアレを大事にせえといわれとるんや! はなしゃあ!」
羽交い絞めにされながらも農作業で鍛えられた祖父の力はなかなかのものらしく、顎にいいのを一発くらって五郎太どんが鼻血を出している。
見かねた指図役の若尾様があらぶる祖父をなだめようと近付いたところで、それを颯太が押しとどめる。颯太の目配せにうやうやしく頭を下げるお役人の姿に、祖父の伊兵衛もようやく孫が何か不思議な神通力のようなものを振るっていることに気付いたようである。
「おじいさま」
「…どういうことや」
「あの土手の柿は先祖伝来のおじいさまのものかもしれんけど、あの土手も、うちの3枚の田んぼも、おつるさんちの5枚の田んぼも、あそこにある持ち合いの栗林も、林のお殿様の領地やったのをぼくが貰い受けたんや」
「………」
「ぼくは3歳のときに普賢下の家に貰われたけど、ほんの少しまえやんごとない筋の勧めで本家のお殿様の養子になって、すぐにまた新しい『分家』の当主として立ったんやよ」
さまよっていた祖父の眼差しが、ようやくちんまい孫の顔へと焦点を合わせた。生家の家族はみな同居させるつもりでいる。慎ましい暮らしぶりのこの一家を丸抱えできるぐらいの身代はあるはずなのだ。
「ここいら一帯はその『陶林家』の領地なんや。そしてその領主は、林のお殿様の分家当主になった、このぼく陶林颯太なんやよ」
おのれの薄い胸を叩いて、颯太はつらそうに訴えた。
幕府直参になりおおせたからといって、とたんに天狗になれるほど思慮のない人間ではない。それどころか祖父の信じていた世界を壊しかねないおのれの傍若無人さに、ただ心が痛かった。
胸が痛かったけれども、それでも現実から目を背け続けるわけにはいかなかった。
新たな窯を作るためには、登り窯しか選択肢のないこの時代の縛りゆえに、あの土手の斜面がどうしても必要となるのだ。領内にほかの適地はなかった。
「陶林家の家産を興さないかんのや。陶林家は焼物で食べていくんや……やから、新しい家も窯に並べてあそこに作る……おじいさまも、家ができたら一緒にあそこに住むんやよ」
「………」
「分かったし。どうしてもって言うんなら、あの柿は違うとこに植え替えさせるから…」
おのれの吐き出す言葉が、祖父の耳に入っていっているのかとても不安だった。
何か不思議なものでも見るように颯太を凝視していた祖父は、ややして何事かつぶやいて、魂がぬけ去ったように地面に目を落としてしまった。言葉にもならなかったその独白を聞かねばならなかったのに聞き損じて、颯太が唇を噛んで見上げところで、祖父は骨ばった手を颯太の頭に載せてぐりぐりと回した。
「いつのまにか、えろうなったんやなぁ」
分かったのか、それとも分かったような気になっているだけなのか……祖父はひとしきり草太を撫でまわした後、年季の入った手ぬぐいで顔を揉みこすり、そのままひょこひょこと歩いて家のほうへと引っ込んでしまった。
その急に老け込んでしまったような背中を黙って見送っていた颯太は、若尾様に「大丈夫ですか」と気遣われて、肩をすぼめるように小さく息を吐き出した。
出世したのにまったくうれしくないこの現実というものは、何か間違っている気がしてならない。
「縄張りのほうはそのままやりますか」
「うん、やらないかんことやし。日和見しとるような余裕はあらへんから」
窯の位置と屋敷の位置を、少し調整してみるか。
渋柿とか、たしかに干し柿にすれば貴重な甘味になる農村の財産ではある。柿の木を残しつつやれるだけやってみようか。
若尾様の指示で、男たちが巻いた縄を担いで土手の落ち葉を踏みしめながら登っていく。阿部様の好意で、かなりの支度金をいただいている。幕臣となった時点で、江戸市中の適当な住居もあてがわれることになっているので、もしかしたらそちらの支度も想定されているのかもしれなかったけれども、もらった資金は消費財にではなく生産性のあるものに還元しておきたい颯太である。
阿部様から貰った時間的猶予も半年でしかない。
その間におのれのゆるぎない拠点を築いておかねばならない。これからいろいろと政治的な危ない橋を渡らされていくことが予想される。そこで血まみれになりながらも得られる役得的なチャンスを、商機として確実にとらえ、資産に還元させていかねば嘘というものだろう。たとえどれだけ大きな国家的商談をまとめ上げても、肝心の商品をおのれで用意できなければ現世利益は運のよい他人のものとなってしまうのだから。
(オレの核心的錬金術は、結局焼物になっちまうだろうし、その自前のツールは準備しとかないかんしな)
よりフリーハンドが得られるおのれの領内で、量産化に向けた準備を始めておかねばならないし、焼物≒生活雑器というこの時代の発想の限界を易々と超えられるおのれにしかなしえない『セラミック製品』の生産を行ってみてもいいのかもしれない。
生家に戻ってきてあの懐かしい肥溜めを見下ろす機会を持ったことで、彼の中で新たな製品を作り出そうという意欲もみなぎり始めている。
(雪隠……いや、それをすっ飛ばして洋式水洗もアリか…)
そういうことをやるのならば、窯も相当に大型化しておかねば対応できない。レール付きの窯底引き出し型とか検討してみようか…。耐火煉瓦で十分な厚みを持たせて、基部の台車部分を耐熱性の高い鉄で作り出せるのなら十分に可能かと思われる。大砲鋳造の技術が確立したときに、鉄車輪の製造も試してみよう。
美濃の片隅でチートという名の龍が鎌首をもたげ始めていることを、時代はまだ知らない。
***
安政2年9月28日(1855年11月7日)、新領主の屋敷建設で騒がしくなり始めていた大原郷を、突如大きな地揺れが襲った。
昨年の恐怖が甦ったものか、子供が泣き出してしまうようなはっきりとした大きな揺れであったが、それで倒壊する家があったわけでもなく村人たちはすぐに平静を取り戻した。
ひとり、颯太のみが高社山の上空に現れたうっすらとした地震雲をとらえて、呆然自失としていた。
(…いまのは、大きかった)
颯太は、思い出していた。
そろそろ『アレ』がやってくるころであった。
予言者ではない彼がそんなことを口走るわけにもいかず、その予測はまだ誰にも話してはいない。話したところでまともに取りあっもらえるわけもないし、そのことについてはもう彼の中では整理のついた事柄であった。
安政の江戸地震。
『東海大地震』の危機教育で、類似した安政地震の東海、東南海、江戸と続く『群発性』は頭に刷り込まれている。
たしか江戸のは直下型で、関東大震災と同じタイプの地震であったはずである。
その江戸地震がいつ起こったのか、さすがの颯太にもはっきりとは記憶にない。この地揺れが江戸地震の発生を暗喩したものであったのかも定かには分からなかった。
半ば覚悟はしていただけに、颯太はすでに再起動を果たしている。この地震による江戸の混乱は歴史に織り込まれたものである。このせいで幕府が倒れたということもなかったので、いずれその報せも届くだろうと割り切って颯太は目の前の縄張り作業に復帰した。
彼の知るところではなかったが、この地震は遠州沖で発生した余震のひとつであり、距離が比較的近いこともあって大原での地揺れも大きかったのである。
その本震ともいえる江戸地震が発生したのは、その4日後、安政2年10月2日(1855年11月11日)のことであった。
皮肉なことに、その本震自体は、美濃までほとんど届くことはなかった。