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陶都物語~赤き炎の中に~  作者: まふまふ
【独立編】
142/288

014 陶林颯太






小なりとはいえ封建領主となった颯太は、腕組みして考える。

目の前には、おのれの領地だといわれた田畑が広がっている。


(まさか知行地持ちになるとは想像もしてなかったなー……断られると踏んで我侭言ったのに、通しちゃうんだもんなー)


8戸40石。

むろん上を向いたらきりがないんだけれども、大身旗本である江戸林家の分家として生まれた『陶林 (とうばやし) 家』は幕府に分治を認められた時点で将軍家の直臣となり、扱いの上では直参旗本の端くれということになる。


(あれ以上断り続けたら、絶対阿部様キレてたよなー……笑いながら静かにキレるし、今度は間違えないようにしないとなぁ)


異例中の異例。

当初、阿部様のサプライズとして颯太に用意された待遇は、200石取りのなにがしという旗本の家に養子で入り、そのまま家督相続というものであったが、知行地が上総になってしまい美濃焼と縁切りになってしまいそうなので泣きの反抗で押し返し。

ならばと知行地縛りのない江戸定府の80俵5人扶持のなにがしという御家人の跡目を持ち出されてむせび泣き首を振る。江戸定府じゃ結局身動き取れないし!

それなら致し方ないと、林本家に養子跡目をごり押しって……ああ、阿部様! 待って、待ってください!

煮え切らない颯太はその後「なら最低条件を先に言え!」と足を掴んで逆さに振られるようにして言質を引き出され、大原在住、窯株プリーズ、半年モラトリアム(猶予)という条件のもと現状のような仕儀となったのである。


「その田んぼは今年ようけ採れたええ田んぼや。来年も一等上等な肥を鋤き込んでやらんとなぁ」


数年前までは颯太にとって世界で一番力持ちであった祖父……柿の木端の伊兵衛が腕組みした孫の横で歯抜けのような笑いを漏らした。

そこは伊兵衛の田んぼ……つまりは颯太の生家の持ち田であるわけだが、別の次元の話に頭を悩ませている彼にはそのささやかな自慢話が届かない。


(…家をそばに作るんなら、この田んぼをつぶすしかないんだけど……もったいないかなぁ)


いちおう久しぶりに訪れた生家でおのれが40石取りの幕臣になったということは説明したのだけれども、それをきょとんとした様子で聞いていた家族たちが過不足なく理解したかどうかについては非常に怪しいといわざるを得なかった。

そもそもここがおのれの孫の知行地になったということすら理解していないに持ち点全賭けの心境である。

そのとき少女の呼ばわる声がした。


「颯太様~、牛醐先生がきとるよ!」

「ん、分かった」


庭先の崩れかけた石垣の上にある石榴(ざくろ)の木のところから颯太を呼ばわったのは、主人が家を出るのなら自分もついていくのが当たり前とわずかな荷物をまとめて同行したお幸である。

伊兵衛家のあばら家には、現在絶賛8人が住んでいて、彼女の背後にある庭には末の赤ん坊をあやしている母のおはると、その裾をつかんで鼻をたらしている2歳の異父弟鮒太(ふなた)が、そのさらにうしろには藁を編んで筵を作っている祖母の姿が見える。

なかなかの人口密度といえる。

祖父、祖母、母のおはるにお隣のおつるさんの縁者という義父五郎太、弟の鮒太、妹のおはな(赤ん坊♀)、そして颯太とお幸の主従8人があの狭いあばら家で寝起きしているわけであるが、大家族というものに非常な耐性を持つこの時代の農民たちに、過密によるストレスの影はない。なんとものどかな風景であった。


「颯太様!」


絵師の牛醐がまた新作でも生み出したのか、紙束を持って手を振っている。

大原郷に戻ってからまだ2、3日であるというのに、《天領御用窯》は颯太という原動力を取り戻してその組織活動を活発化しているようである。

すでに新たな発注も舞い込んでいる。

今回の露西亜との一件で海外での商品力を改めて印象付けた『根本新製』は、幕府の戦略商品として定期的に備蓄されていくことになったのだ。大口の固定需要が獲得されたわけで、《天領窯株仲間》の先行きは明るさを増しているようにも見受けられるのだけれども、手放しには喜んでいられない颯太である。

外交上の貴重な贈答品として政治的な色合いを強くしてしまったがために、自由な販売もまた差し止められてしまい、幕府、もしくは美濃焼を差配する尾張藩の許可の降りた相手にしか販売できないということになってしまったのだ。密貿易を盛んにやっている九州あたりの諸大名から別ルートで海外に持ち出されることを恐れた措置であるので、その辺の事情を知る颯太としても飲まざるを得ない条件だった。

当面《天領御用窯》は幕府のひも付きとして生きていく以外にはなさそうであったが、絵師不足で上絵付け工程がいまだ量産化に対応できていない現状、そうした限定生産が続くことはある意味都合がよかったのかもしれない。

ただ明治維新(来るかどうかはなはだ不安になり始めてるけど)を契機に爆発的に取引量が伸びることが分かっている美濃焼業界で、量産化能力を保持していないことは致命的である。女神の前髪を掴み損ねること請け合いというものである。

窯唯一の上絵マスターである牛醐には絵付師予備軍である周助らを教育してもらっている最中なのだが、何度となく試験を行ってみたものの颯太の眼鏡にかなう者はいまだ誕生していない。


「…先生もずいぶんと上絵付けに慣れられてきましたね。どの図案もうちの器にきれいに映えそうです」

「寝ても覚めてもそれのことばかり考えてますから。…それよりもこれ見てくれまへんか。…これ、この生き物、なんやと思われます?」


牛醐が指差した図案の中に、竜と鹿のキメラのような生き物が伏せるように身構えている。なかなかかっこいい聖獣である。


「…麒麟、ですか」

「さすがは颯太さま、その名前がすんなりと出てきますか」

「まぁ、(…缶ビールで)見たことあるし」


昔から絵師の画題になっているだけに、古来からの聖獣、妖怪の類は絵としてさまになりやすいものである。龍や虎が画題として特に頻出するが、あれも聖獣のくくりである。

牛醐のうずうずするような視線を感じて、颯太もようやく相手の意図するところを読み取った。


「今後こいつらを使ってみようってことですか」

「ええ、ええ! 四聖獣(青龍、朱雀、白虎、玄武)とか妖怪とか、かなりかっこようなると思うんです。あれらの図案も昔からだいぶん研究されてますし、白い器にも映える思うんです」


なるほど、聖獣シリーズか…。

焼物の絵付けは技術革新が起こるまで基本手描きであり、一幅で価値のつく書画と違って量産を求められる焼き物はとにかく『見栄えがして、かつ簡略』という図案が好まれる下地がある。瀬戸の新製焼でよく見られる薄青い下絵付けなどがまさにそれで、慣れた職人が筆でささっと描き上げてしまう。

絵付け(印刷)技術が進み、制約が少なくなった現代においても、幻獣に題を取った製品というのはあまり見たことがない。トップ絵師の一点物であることが許される『根本新製』であればこそ、そのシリーズ化が可能なのかもしれない。


「『聖獣シリーズ』やってみますか」

「そうです、そうです、ほんまにいける思うんです。この真っ白い磁肌やからこそ、墨描きのような黒も映える思うんです。…そのしりいずというのはよう分かりまへんけど」


最近ポロリとやってもほとんど動揺しなくなった自分が怖い。

男らしくいいわけひとつせず完全スルーしときました。

聖獣図案はまず男受けがいいので幕閣のおっさん連中も気に入ると思うし、東洋趣味の外人などまさしくイチコロなのではなかろうか。

経営者に認められたことで意気揚々と引き上げていく牛醐を見送りつつ、颯太はすでに今後の『根本新製』ブランドについて考えをめぐらせている。

世間に認められたはいいがその評価ゆえに身動きの取れなくなった『根本新製』を、きたるべき海外販売時に量産に対応できる体制に仕立てておかねばならないだろう。

そのためには、現在の『根本新製』を最上位ブランドとして切り離し、そのマイナーグレード品としての『根本新製』を新たに作り出さねばならないだろう。グレードにSクラスとかアルファベットを使いたくなるところだけれども、ここは幕閣に説明しやすいようにいままでのものを『特上品』とでもしておいたほうがよいだろう。その下の廉価バージョンとして『上』もしくは『並』の量産品を作り出し、多少のチート技術を導入しつつ別ブランド名で生産体制を確立する。


(そのためには『陶林領』に窯を作るべきだな……いまなら阿部様が簡単に判をついてくれそうだし)


『陶林家』はその創立と同時に《天領窯株仲間》の一員であることが約束されている。阿部様が本家からむしりとった窯株10株が付録としてついてきたのだ。むろんむしりとる切っ掛けとなったのは颯太の我侭からであるのだが、これがなければ颯太とてこの状況を受け入れはしなかったであろう。筆頭取締役である普賢下林家当主の孫であるからこそ経営に参画できていたという現実があるのだ。本家の一員としてその持ち株に影響を与え続けるというやり方もなくはなかったのだけれども、幕閣のごり押しで家族に割り込んだ颯太を、本家が友好的に迎え入れてくれるなどという甘々な想定のない颯太にとって、窯株の分与は必須のことであった。

この10株というのは、なかなかに意味深い数字である。

普賢下林家の持ち株は41株。颯太の持分と合わせれば過半を超える。実質、本家から経営権を奪ったことになるのだ。

颯太は陶林家本宅予定地と見ていた田んぼから視線を転じて、伊兵衛の『柿木端』の名の由来となった渋柿の疎林が枝を伸ばしている土手を見る。

陶林家が窯を作るとしたらあの土手しかない。ならば草太の住居もそこに添うべきではないのか。

うん、と納得するように頷いて。


「来年からおじいさまの名前は、窯端の伊兵衛やよ」

「柿端かい」

「窯端」

「ここは柿端やろ」


やはりいろいろなことが伝わっていない颯太であった。


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