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陶都物語~赤き炎の中に~  作者: まふまふ
【独立編】
141/288

013 階梯を登る






人間、愚かなことをしでかしてしまったあとには、決まって賢者タイムがやってくるのかもしれない。

最近の自分はどうかしていたのかもしれない。冷静に思い返すにつけ、それはないだろうという判断ミスを繰り返してしまったように思う。


(…殴られて、とち狂ってたか)


ため息を何度ついても、それらはけっしてやり直しの利くものではない。

冷静であるつもりであったのに、心理的にどこか追い詰められていたのかもしれない。あれほど禁忌としていた時の政権に近付き過ぎる愚を犯してしまうとは……いささかチートな知識は備えていようとも、しょせんおのれは零細企業の経営者風情に過ぎないというのに。


(ありえないことになってきたぞ…)


人間、誰しも《分》というものがある。

社員十数人の会社を切り回せても、天下国家を運営できるかといわれれば、それはまた別の話だろうときっぱりと言い切れる程度の分別はあるつもりだ。

一万円札の人が人の上に人を作らずとできたことをのたまわったけれども、厳然と身分差別は存在したし、経済格差も存在した。草太の生家である柿の木畑の伊兵衛は田圃を3反持つだけの何の力もない農民に過ぎないし、村人たちが恐れ敬う庄屋、普賢下林家も本家の庇護の下にある半士半農に過ぎない。そしてその普賢下林家を庇護する江戸の本家も将軍の側近くに侍ることしかできない体たらくであるのだ。

そんな境遇の6歳児に天下国家を語る相応の《分》があるかといえば、否というしかない。一般人がおのれの才覚で社会的地位を這い上がっていく民主的な体制下にないこの時代にあって、このちっぽけな存在でしかない子供が桧舞台に上ることなどまずありえないことなのだ。

だというのに。


「おひとりだけ残られたので何かあるとは思いましたが……草太殿はやはり天へと昇る龍でしたな」


浅貞屋はひとしきり啞然とした後、おかしそうに笑い出した。

過大な饗応をされた上に再び娘のお伊登との縁結びを蒸し返されたのは対応に困るところであった。小禄の武士に嫁がせたいのかと遠回しに揶揄すると、颯太様は昇り龍ですからとニヤニヤとされたのは少し気持ち悪かった。くそっ。

その翌日には歩かせるわけには行かないと籠まで用意されて、颯太はとうとう逃げ出した。

慣れた下街道である。彼のような子供がまさか支度金などと称する大金を所持しているなど誰も想像できないだろう。ひとり息せき切ってかけていく子供を旅人たちはのんきに見送っていく。

昼を回った頃にたどり着いた内津峠のふもとにはすでに見知った顔が彼を待ち構えていて、


「江戸へ行くたびに何かしでかしてくるやつだな」


呆れ顔の次郎伯父が茶屋の婆からひったくるように白湯を渡してきた。

実家からのお迎えは3人。次郎伯父に父三郎、そして小者のゲンである。次郎伯父がからかうように背中をどやしつけてきたときには少しほっとしたものの、かなり引き気味の父三郎が茶を飲む振りをしてなかなか近付いてこなかったり、ゲンが地面に膝をついてお辞儀してきたのには結構ショックを受けた。

さらに大げさなことに馬まで用意されていて、そこからはさながら凱旋パレードの様相となったことで、彼は更なる覚悟を要求されることとなった。

峠道を越えた池田町屋の宿場あたりから盛んにかけられる祝いの言葉に精神がガリガリと削られ……林領の境では代官所のお役人たちに囲まれたあたりで血圧の低下に悩まされつつ……ほうほうのていで大原の屋敷にたどり着いた草太は、そこでらしくもない言葉を吐き出した。


「…ジーザス」

「…なんだ、草太」

「……別に」


大原の林邸の周りを村人たちが囲んでいたのはまだいい。それは予想の範囲内だ。代官所のお役人様たちがいたこともまだ許容できる。


(西浦のクソ爺がいることも、まあ許すけど…)


門の前で草太たちを出迎えた当主である祖父と祖母が立っていたのはいい。

その横で当たり前のように立っている笠松郡代様の姿を見て、草太は馬上でわなわなと打ち震えた。

馬に同乗していた次郎伯父に促されて下馬した草太は、そのまま地べたに平伏しそうのなるのを慌てて後ろから抱きかかえられる。


「もうおまえの身分は低くないんや。それはやったらいかん」


状況はすでに周知されているらしい。

笠松郡代の岩田様は、草太の顔を見るなりすぐに身を翻して邸内へと歩いていく。ここで挨拶をしないのはそれなりの段取りがあるということなのだろう。

笠松郡代様がこの屋敷にやってきている可能性は十分に考えられることではあった。直接関与することは少ないものの、幕領のうちに含まれる旗本領もまた郡代様の薄く広い権威の傘の下にある。

濃州の最高権威である郡代様のさらに上司が川路様だという事実がなかなかに腹にこたえてくるところである。勘定奉行という役職はその語感からそろばんを弾いている財務省の局長的な印象があるが、その下に全国各地の郡代、代官などがぶら下がっているという構造を見るに、その職権は相当な広範囲に及ぶものであるらしい。

幕閣での決定はその上意下達の脈絡から川路様⇒岩田様という流れでもたらされるのは当たり前で、今回の件に大きく絡んでいる老中首座阿部様のビッグネームも勘案すれば、今こうして郡代様が自ら出向いているのはある意味当然であるかもしれなかった。


「幕閣のご沙汰を申し伝える」


そうして普賢下林家の一等の客間で対面した郡代岩田様に畳にこぶしをついた状態で一礼した草太は、嫌な汗を気にしつつ畳の目を数えていた。


「このたび本丸小姓組林内膳殿より申し出のあった貴殿林草太殿に対する領の移譲を許可いたす。大原郷北辺の8戸40石を貴『陶林家』の封領とする。これがその書状である」


ぱっと確認のために広げられた書状には、草太に分け与えられた領民の名と田圃の広さ、石高が書かれている。書状の終わりには、まず江戸本家の殿様林内膳の名と花押、そしてそれを公認のものと認める阿部様の署名と漢字の『五』を崩したような花押が大きく書かれている。

これで林家の分家『陶林家』が成立し、その初代として草太が立つことになる。


「これでおぬしもまがりなりにも《直参》、徳川八万騎の一翼を担う身となった。文武両道に励み、よく上様にお仕えいたせ」

「肝に銘じましても…」


すでに幕閣の決定として、江戸にいるうちにその内容は草太にも聞かされていた。渋る江戸本家をなだめすかし脅しつけて、証文に判をつかせるための日時がそれなりに必要であったようである。

『根本新製』を作り出した功績と称して100石が加増され、かわりに40石を草太用に吐き出させられたらしい。同時に草太は江戸本家の養子となり、即座に分家当主として立った。まさに全国の大名を震え上がらせる幕閣の錬金術を目の当たりにした格好で、世の中の身分制度ってなんなんだろうと考えさせられてしまった草太である。


「名も頂いたそうだな。…つくづく破天荒な童よ」

「読みは同じく『そうた』でございます。右も左も分からぬ新参者でございますので、どうか厳しくご鞭撻くださいますよう」

「『ご鞭撻』する気も削ぐその長い舌を少し引っ込めておくのも世渡りというものぞ」


はっはと笑われ、それに恥じ入るふうを装う颯太。

気付かれた方、誤字ではなく『颯太』で合ってます。



『陶林颯太』



草はあんまりだろうともっともなことを言われて、阿部様から『颯』の字を贈られました。まあたしかに子供が早死にするのを恐れた幼名だと思うので、これを機会に名を改めても問題ではないだろう。こういうのは本来親から贈られるものなのだろうけれども、老中首座とかおかしなところから贈られた名にケチをつけるなど到底できはしないので、周囲はただ受け入れるだけである。

郡代岩田様に一礼して、颯太は膝を擦って向きを変える。向って左手に並んで座っていた祖父と父三郎に深々と首をたれると、遅まきながらの帰着の挨拶と、名も含めたおのれの境遇の変化を報告した。

颯太が本家に電撃養子した後なのですでに直接の家族としてのつながりは弱くなっているのだけれども、それでもかけがえのない家族である。


「よくやった。おまえはこの林家の誇りだ」


自分のあずかり知らぬところで孫を勝手に養子に出されて、内心は穏やかではなかったかもしれない。しかし祖父貞正は涼しげな目元をほころばせて、孫の栄達を寿いだ。


「陶林家か……焼物から『陶』をもらったか。…お上から40石もの所領を与えられたうえは、もはやどこに出ても恥ずかしくない直参だ。勝正公の末流に過ぎぬ普賢下よりもすでに格上、であれば早急にそれなりの屋敷を構えねば格好がつくまいな」

「…ご配慮いただいたので、領内には自分の生家が含まれてます。敷地も十分に広いと思いますので、しばらくはそこに寝起きして、新しい家を建てたいと思います」


そうなのだ。

今度陶林家の領となった40石の領民の中に、生家である柿の木畑の伊兵衛とその家族が含まれている。

ここの話が終わった後に出向かねばならないのだけれども、急な話にどんなリアクションされるのか恐ろしくて彼の気鬱の原因のひとつとなっている。

8戸40石とか町内会の班レベルとか思ってはいけない。1石=田圃1反であるから、田圃の広さだけで約12000坪、住人も子供を含めれば52人もいる。ファンタジー脳的に理解しやすいだろう西洋的な尺度に置き換えると、騎士爵の小領が土地の広さを度外視して(やつらは放牧するからな)だいたいそんな規模だったと思う。

むろん颯太の手で管理ができるはずもなく、徴税などの行政行為は引き続き江戸本家の預かりとして根本代官所が代行してくれることになっている。おそらくほとんどの領民が、おのれの支配者が変わったことに気づかないのではなかろうか。

ほっこりと笑んでいる祖父にようやく肩の緊張を解いて、颯太は


「名前が変わっただけです。これからもおじい様と呼ばせていただきますし」


そう言って自嘲気味に笑ったのだった。


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