表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
陶都物語~赤き炎の中に~  作者: まふまふ
【独立編】
140/288

012 調子に乗ってました






人の運命とは、かくも激変するものなのか。

自重を忘れてやりすぎていたことは否めないのだけれども。

下田での交渉が終わり胸をなでおろした草太であったが、そこで無罪放免というわけにはやはりいかなかった。


「むろん江戸まで同道してもらおう」


川路様の弟さん、井上様がなかなかいい笑顔で草太の腕を捕らえて放さなかった。

異国との折衝という張り詰めた危機感を共有したためなのか、6歳児でしかない草太を見る代表団の目に『戦友』的な生暖かさがある。

長い間窯を離れていることもいやなのだが、なにより漂ってくるきなくさい臭いに及び腰になっている彼の肩をばしばしと叩いて、ほとんど連行されるような勢いで船にまで乗せられてしまった。抵抗しようにも子供の軽量ボディでは如何ともしがたかった。

同じく船積みされた露西亜船から分捕った大砲は、船底に縄で縛り付けて固定されている。この大砲10門を積み込んだだけで船頭が顔色を変えたくらいなので、やはり相当に重たいのだろう。

いわゆる前装筒型、カノン砲というやつである。


(1門で1トンぐらいあるのかな…)


木製の小さな車輪がついていて、取り回しに重宝しそうな雰囲気をまとっているのだけれども、それは非常に凶悪な罠であった。硬いし重いし曲がらないしで、未舗装路ではいとも容易く自重でめり込んでみせる。船積みのときに人足たちが「この悪太郎が!」と悪態をついていたのを思い出して苦笑がこみ上げてくる。

車輪は砲撃の反作用を減殺するための『駐退機(ちゅうたいき)』に過ぎない。運びにくくても文句を言う筋合いのものではないのだ。

この手の大砲の撃ち方は、まず砲口から火薬と弾を込め、砲手数人掛かりで大砲を舷側へと押し出し、そして合図を待って点火する。発射するとその反作用で勝手に後退してくるので、そこは砲手の人力で押し戻し、以下再び装填の作業に掛かる……そうした反復作業で成り立っている。

イギリス海洋小説の醍醐味ともいえるリアルな海戦では、これら艦載砲の射程を少しでも延ばすためにわざと波に乗って船体を傾げ、射角を水増ししたりする。練達の艦長と操舵手、砲手たちの技術が合わさってはじめて可能となる高度な砲撃術は好き者にはかなり胸熱なのだけれど。

当然のようにここにはその手の話題を共有できる相手などいはしない。


「…これが露西亜の大砲か」


大砲の口を覗き込んでいる筒井様の真剣っぷりが、現代人にはなんともほほえましい。背中から「バーンッ!」とか驚かしたら面白いことになりそうだとか埒もないことを考えていると、草太の後ろで井上様と勘定吟味役の村垣様がひそひそと金勘定の話をしている。


「…これ1門作るのに、『韮山』だとどれほどかかる」

「鉄材を集めるだけでも相当なものになるかと……鋳型がすでにあったとしても、燃料とあわせて100両ではきかぬかと」


別にこの交換が生み出した利ざやを計算していると言うのではなく、その量産性についての論議であるようだ。

2年前、国中が大騒ぎになったあの黒船騒動で、大砲ひとつとっても射程距離に数倍の開きがあるなど海外との技術格差を痛感したであろう幕府の危機意識は強い。そのとき武士たちを震え上がらせた列国の大砲が目の前にあるのだ、国内の遅れた技術と引き比べて論じたくなるのも無理もない。


「やはり青銅製ではいかんともしがたかろう……鉄を鋳流して作らねば対抗もかなうまいな」

「これだけの鉄の塊を溶かすだけでもこちらは府庫を傾けねばならぬというのに、あのような茶器とこれだけの数の大砲をぽんと交換してしまうとは……列国ではその程度の価値でしかないのだろうか」


弾を遠くまで飛ばすためには、より爆発力のある火薬を用いる必要があり、そうなると砲身そのものの耐久力も格段に要求されてくる。融点の低い青銅であるならば国内でも製作可能らしいのだが、こちらは当然のように耐久力が芳しくない。

いまから二百有余年前の戦国群雄割拠の時代、鉄製の大砲自体はすでに登場していたりするのだが、火縄銃を巨大化させるという発想から発展したその技術はもっぱら一部の名工でしか作り得ない『鍛造』(ハンマーで叩き成形する)をベースとしていた。

人の手で叩いて作るわけで、当然のように工業製品的な精密な成形にはあまり向いた作り方ではなかったようである。この科学技術の未発達な時代、一定の品質の大砲を量産するには、やはり溶かした鉄を流し込んで作る『鋳造』こそが最適解であっただろう。

むろん、鉄は耐熱強度がある分、溶かすには1600度近い非常な高温が必要となってくる。先に井上様が口にした『韮山』とは、前世でも観光スポットになっていた伊豆の韮山反射炉のことであろう。黒船騒動をきっかけに建設許可の下りたような施設なので、まだこの時点では稼動もしていなかったはずである。

まあ、たかが茶器一対を求めるのに大砲を10門も差し出せる露西亜人たちの感覚こそが、ある意味海外の鉄生産量の巨大さを暗喩しているわけで、彼らのため息も仕方のないことであった。


…虎の子の大砲を失うことを恐れての慎重な航海であったが、三日後には江戸に到着し、蔵前へと上陸を果たした一行は、そこに集まった異様な人だかりに驚かされることとなった。

まだほとんど知られていないはずであるのに、江戸詰めの大名や藩士たち、幕府の役人たちも大挙して押し寄せていた。


「幕府がメリケンの大砲を手に入れたのはまことであったのか!」

「あれが配備されれば江戸は安泰であるな!」


異様な熱気に包まれた人波が陸揚げされた大砲に押し寄せるのを壁役の役人たちがかろうじて食い止めているものの、いつまで持つか不安になるほどの状況である。呆然としている一行に、そのとき救い主が現れた。

先に報せを送っていた阿部伊勢守本人が出迎えに姿を現したのだ。その幕閣の主たる阿部様が声高に一行をねぎらい出したとき、これが市中の不安を取り除くための政治ショーの一幕なのだと草太は理解した。

目立たぬよう大人たちの影に隠れながら、彼は嘆息した。




「みな、ようやったわ」


代表団のリーダーであった筒井様からひと通りの結果報告がなされた後、阿部様から改めてねぎらいの言葉が掛けられた。大砲を10門も分捕ってきたのだから幕府としては望外の大戦果であっただろう。

いまは阿部様の上屋敷であるのだが、内々に将軍様からもお褒めの言葉がある旨伝えられているらしく、筒井様たちは今日明日にでも御城に登城することになるのかもしれないと漏らしていた。

むろんそこまでは付き合うつもりのない草太である。知らぬげに自由に食べていいと言われたかなり上等そうな饅頭をぱくついていると、大人たちの話が終わったのか、阿部様に手招きされた。

膝を摺るように前に出ると、ここでもばしばしと肩を叩かれ、襟首をつかまれてそのまま阿部様の膝の上に抱きかかえられた。相当にうれしかったのだろう、まるでカキ氷機のようにぐりぐりと頭をなでられて絵に描いたようなネコっかわいがりな状況となった。

うわー、マジか。


「話は聞いた。あちらには『すくうなあ』を作って渡せばよいのだな」


阿部様はもうおおよその事情を把握しているらしい。

抱っこのままではまともに報告もできないとうまいこと言って逃げ出して、草太は居住まいを正して平伏する。


「まだ、確とは約定を結んではおりませんが、遠からず打診は来ると思います。それまでにやれるだけの準備を進めておいたほうがよいと思います」

「技術の進んだあちらから本当に注文がくるのか? ほとんど船造りの実績もないのに」

「彼らはすでにプチャーチン殿に引き渡した《ヘダ号》を見ていますので。造作に関する不安は乏しいと思います。購う対価次第では、むしろ大量の発注もありえるかと」

「渡した船で、逆にこちらが攻められるようなことはないか」

「対価にあちらの武器を手に入れていけば、少なくとも陸地で彼らに負けぬ武装を手に入れられると考えます。上陸さえ許さねば、どれだけ精強な黒船だろうと水の中でしか生きられない鯨と同じ。最低限の領民の安全は守られることとなります。それに…」


ちらりと阿部様の表情をうかがって、言うべき言葉の取捨選択をする。

発言は抑え目にいきたいのだけれども、阿部様の健康を害するほどの内懊を和らげてあげたいという想いもある。

そうして草太はまた一歩、甘さゆえに足を踏み込んだわけであるが…。


「なにもあちら用の船ばかり作る必要はありません。幕府の海防用の軍船も同時に製造すればよいだけのこと」

「…うむ」

「それにあちらはあちらで、『スクーナー』クラスの船ばかり持っていても困るのは明白、いずれそれを超える大船も欲しがり出すでしょう。そのときにあちらの設計図もせしめればよいと思います」

「………」

「あの煙を吐き出して進む蒸気機関も、機会をとらえて働きかければいずれ手に入れることも可能かと…」


阿部様が黙り込んでしまった。

阿部様のじっとりした眼差しから逃げるように瞬きして後ろを振り返ると、筒井様たちも難しい顔をしてこちらを見返している。

あ、やりすぎたか…。


「まさに鬼子……いや、この場合は鬼札か」


阿部様がぽつりと漏らす。

目を逸らし続けようとする草太の頭を掴んで、ぎぎぎっと無理やり正面を向けさせると、恐ろしげな阿部様のまなざしがそこで待っていた。


「どんな小便たれだろうが、使える者を放っておけるほどの平時ではないのでな」

「…えーっと」

「役に付ける前に、体裁を整えねばなるまいな……どこか適当な者と養子縁組させて箔をつけさせるか」

「ちょっ、あのっ!」

「林家の2000石ならちょうど手頃なのだろうが、あの親子の中にこいつを放り込んでうまくいくとも思えんな……信濃(※井上様)、適当に後継ぎのない家を見繕って…」

「あっ、阿部様! 恐れながらッ」

「…なんだ、小僧」


阿部様が面白そうににやにやと笑っている。冗談三割、本気七割という感じなのだろうか。ああ、くそっ。

どんなお偉い家に養子に貰われようと、育て上げた《天領窯》から切り離されることだけは死んでも御免であった。

焦りで涙腺が緩んで涙目になりながら、洟をすすり上げる。


「…すいませんでした。勘弁してください」

「なにを勘弁するのだ」

「美濃から……大原から離れとうございません」


『根本新製』と離れ離れになるなど絶対に拒否する!


「美濃焼を発展させることが自分の夢なのです……どうかお許しくださいませ」


草太は涙を畳にこすりつけた。

どうしてこうなった。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ