013 モテ期? おそらく1期目
祭りも無事に終わり、大原郷は一気に秋の色を深めた。
野山には紅葉が色付き始め、緑と黄と赤……緋扇貝の貝殻をちりばめたようなにぎやかな色合いである。
大人たちがせっせと冬越しの準備……乾し野菜や漬物などの保存食を用意したり、集めた藁でわらじや筵を作る内職などをしている傍らで、子供たちがやいやいと騒がしく遊んでいる。
「…ぼっちゃん!」
小者のゲンが声を上げている。
落ち葉を掃く音が止んで、こっちに足音が近づいてくる。
「またきとるよ。あの娘っ子!」
なにがうれしいのか、声がやたらとはずんでいる。
ふうっと息をついて、肩にかけた手ぬぐいで顔の汗を拭う。ひと拭いしただけで、手ぬぐいが汗と土で真っ黒になる。今日は散々に転がされたから、すりむいた膝っこぞうがじくじくと痛んだ。
「それじゃあ、今日の稽古はここまでにしといてやろう。女子は大切にしてやらんといかんからな」
「そんなんじゃないから」
稽古に使った竹刀を受け取って、次郎がニヤニヤと笑いながら草太の頭を小突く。
「年上とはなかなかやるやないか」
「…だから違うって」
最近は、剣術の稽古も始まっていた。
地下とはいえ士分なのだから、剣術ぐらいは齧ってないと格好がつかないというのだが、このあとの歴史の激動を知る草太にとって、剣術など無用の長物に過ぎなかった。
否やはない。剣術の稽古は貞正様の指示によって始められたのであり、林家の子としては避けては通れない通過儀礼であるから、一応いわれるままに稽古をつけてもらっている。
「遊ぶのはええが、子作りするときは相手の家柄をちゃんと確認するんやぞ、ええな」
「…もういいよ」
剣術の師匠は、なぜか次郎が立候補してきた。すでに分家してこの家の人間ではない次郎が彼の稽古をつけているのは少々おかしな話なのだが、この男が3兄弟の中で一番剣が達者だったことと、そしてなぜだか彼を非常に気に入っているらしいことが理由として伝わってきている。なぞだ。
毎日、稽古の時間を狙ってこの屋敷にやってくる。片道小一時間はかかる距離なので、まったく物好きなものだと思う。もしかしたら折り合いの悪い嫁に、日中からぶらぶらしているのを怒られていて、その逃げ口上の方便に使われているのかもしれない。
まあともかく。
次郎の剣の技術は、確かにまずまず高水準だったので文句はない。
しかもその身につけた流派は、聞いて驚け。
《柳生新陰流》!
きました。
あの柳生です。そんなものが本当にあったなんて知りませんでした。
宮本武蔵とか出てくる時代劇に、『悪役の剣術』として名が出てくる感のある流派である。おっさん的に「柳生=柳生宗矩」【※注1】なので、きっと偏見なんだろう。尾張藩では柳生のひとたちが剣術指南役とかやってたらしいです。
普賢下林家に《柳生新陰流》を伝えたのは、渡辺某という怪しげな浪人者で、草太からみて五代前の曾々々爺さんの頃、尾張の実家を勘当されたやくざものの男が美濃に流れてきて、数年この普賢下林家に居座っていたという。そのとき伝えられたのが《柳生新陰流》で、尾張藩道場で習い覚えたものだったらしい。
まあ、そんなことは置いておいて。
次郎のニヤニヤ顔に少しムッとしながらも、門の外に出る。
林家の門前には枝垂桜が何本か植わっていて、その一本の下にひとりの女の子が手持ち無沙汰そうに小石を蹴っていた。
物音に気付いたのだろう。彼が近づくと、すっと顔を上げた。
とたんに顔が真っ赤です。とっても分かりやすい反応ありがとうございます。
名前はお妙ちゃんというらしい。馴れ初めは恥ずかしながら、数日前の祭りのときである。オハギをほおばるのに忙しかった彼のところに、友達の付き添いと共に近づいてきたのがお妙ちゃんだった。
まあ、ダンスもとい踊りのお誘いだった。むろん受けましたよ。だって勇気を振り絞って誘いにきた女の子をむげに泣かせたりなんかできないからね。大人ですから。
で、よく分からない盆踊りのようなやつを一緒に踊ったのですが。
どうやらそれがフラグだったようです。昔の農村部では、祭りがお見合いの場のような役割を兼ねていたのは聞き知ってたんだが。まさか5歳児の身の上に何かが起こるとは思わなかった。
まあ、なんとなく話の裏にある企みみたいのは分かってますよ。
彼は庶子とはいえ名字帯刀を許された庄屋の孫であり、縁組相手にはまさに優良物件に映ったことだろう。親が踊りに誘うようけしかけたのだ。その線でほぼ確定。
ただ、この時代の女の子はとってもしっかりしている子が多い反面、基本すれっからしてない分だけ初心なのだ。空気を読んで踊りを受けたわけであるが、その紳士的な態度が非常に大人びて見えたらしく、その瞬間にスイッチがオンしたわけだ。
「どうしたの? お妙ちゃん」
「……ッ!」
彼が近寄った分だけ、じりっ、じりっと後じさる。が、すぐに枝垂桜の幹に背が当たって追い詰められる。
「ぼくになんか用事なんでしょ?」
「あっ、あっ、あのね…」
「あそぶ?」
「うっ、うん!」
手を引っ張るまでは草太の意思だったが、その後は完全に主導権を持っていかれた。伸ばした手を握ると、林家の生暖かい眼差しから逃げ出すように、お妙ちゃんは走り出した。
まあこれは常識の話だから簡単に説明すると、子供の時期は女の子のほうがずっと早熟で、身体も筋力も強かったりする。草太に抗うすべはなかった。
手のひらも彼よりもずっ大きい。背も頭ひとつ分くらい高い。ただでさえ早熟なのに、年も2歳上らしい。まあその気になれば小柄な草太などどのようにでも引きずりまわせるだろう。
転ばないように必至に足を繰る草太と、喜色満面のお妙ちゃんが大原郷の道をひた走る。集落で騒いでいたガキんちょたちが、走る二人を見て追いかけ始める。
「や~い! デカ女とチビすけ夫婦!」
「ぶーす、ぶーす、ぶーす!」
子供のボキャブラリの貧困さは、どの時代にだって共通している。悪口を言ったガキたちが、こっちの反応を待つようにじろじろと見てくる。反撃待ちの様子だ。
要は囃し立てて、怒ったお妙ちゃんに追っかけまわされたいのだ。鬼ごっこの亜種といえるのかもしれない。
お妙ちゃんが、顔を真っ赤にしたままこちらをチラ見してきた。もうその目は旦那様の指示を待つ貞淑な妻の眼差しみたいなもので。
ちょっと待て。
5歳にして人生にリーチなんてかけやしないぞ! 遊び人の独身貴族! これが勝ち組の姿だ……けっしてダメ父ダメ伯父の影響なんか受けてないし、遺伝子のせいでもないからな!
「相手することもないと思うけど…」
「やっぱ、そうだね…」
むろんだからといってふたりっきりになりたいからなどとは思ってませんから!
お妙ちゃん、どこまで行く気なの!
【※注1】……柳生宗矩。柳生の名を不動のものにした大立て者。ただし剣術よりも権謀家として評価されているのではないでしょうか。腹のなかはたぶんまっ黒なオヤジ。