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陶都物語~赤き炎の中に~  作者: まふまふ
【独立編】
139/288

011 蒸気船ください

更新再開です。






「そちらの蒸気船をいただきたい」


こともなげに吐き出された草太の言葉に、ボリス・イワノフばかりか幕府の代表団たちすら絶句した。

むろんそのような流れになることは事前に打ち合わせていたとはいえ、たった一対の茶器で蒸気船を交換できるなどとは誰も想像もしていない。物々交換の方針のみが定められた後、実際の交渉は草太のアドリブで行われることとなっていたのだ。

この時代幕府が喉から手が出るほど欲しがっているものといえばやはり列強の持つ恐るべき性能を持つ兵器である。巨大な船体を漕ぎ手もなくぐいぐいと進める蒸気機関はもとより、射程、威力ともに幕府のそれを大きく上回る大砲、新式銃などの銃火器の類である。

くしくも草太が今回上京したほんの少し前に、幕府は薩摩藩から国産第一号の蒸気船を献納されている。黒船の存在に触発されて薩摩藩が独自に開発したというその船、《雲行丸》を実際に検分した阿部様いわく、『かろうじて自走する』程度のものであったようである。

何が欲しいかと聞かれれば、阿部様ならずとも国の将来を憂えているならばやはり先進の技術の粋ともいえる「黒船」と言うであろうし、実際に阿部様は苦笑しながらも一番はそれ以外あるまいと内々に漏らしている。


(…まあ、吹っかけすぎなのは間違いないけど)


目の前の6歳児がなにを言い出したのかをようやく理解したボリス・イワノフは、反射的にテーブルを叩いていた。


「Это не может быть!」

「あ、ありえない言ってるよ!」


露西亜人たちの様子から同席した幕府のお歴々たちですら誤解しようもなく察したことであろう。熊のように大柄な露西亜軍人が発した『怒気』に身構えてしまうのは生存本能に根ざした反応であっただろう。

ただ予想外の展開とはいえ代表団に草太を叱責しようとする者はいない。このような国を代表するような大事な会合の席で、簡単にうろたえるような腰の据わらぬ人物がいなかったためもある。

もっとも、そんな『お仲間』たちからも、きつく張り詰めたような視線を送られたことは確かである。「口をつぐめとは言わぬが恥をかかせるな」と具体的な言葉が聞こえてきそうなほど明確な意思が、それには載せられている。


(…んなこと、分かってるし)


ボリス・イワノフの分かりやすい怒気を受け流して、背筋を伸ばす。

北方の熊と揶揄される露西亜帝国の海軍戦力はむろんのこと帝都のあるバルト海に集中しており、そこからこの遥かな極東の地にまで軍船を回航してくることの涙ぐましい努力は関係者にしか分からぬことであったろう。

この時代露西亜はこの地域に船を派遣するのに、アフリカ南端の喜望峰を回り、インド洋マラッカ経由の気の遠くなるような波頭を越えてこなくてはならなかった。途中に根拠地を持つ他のヨーロッパ諸国とは違い、露西亜は他人の庭をこそこそと横切ってくるしかない。精神的な消耗も尋常ではなかったであろう。

それでもシベリア東征がついに太平洋岸に到達し、植民地支配の基盤を固める必要に駆られた彼の国は、海洋戦力をこの地域に集めねばならなかった。

草太はその虎の子の艦船のうち、最新鋭の蒸気船を寄越せ、と言っているわけで、彼が怒り出すのもまったく持って当然であると言えた。


「わが国でもまだ配備が進んでいない新鋭艦を対価になどできるわけがない」


やや声を荒げつつわなないているボリス・イワノフが即座に席を立たなかったのは、彼がやはり『軍人』であったからだろう。シベリア総督から与えられた任務を遂行することが彼の本分であり、愚直であることが植民地獲得で出世コースを這い上がってきたであろう彼の軍歴を守ることにもなるのである。

ルーブルを積み上げれば容易に達成できると踏まれていた任務であっただけに、その失敗は上官の酷評を招きかねない。

実際、彼はそう簡単には逃げられないのだ。


(そうそう、そうやって軍人らしく、しばらく『任務』にしがみついていてくれればいい)


シベリア総督が誰かは知らないけれども、その認識不足が交渉に不向きな、かちかちの軍人を外交の場に上げてしまったのはあきらかな失着である。子供が商店街のお遣いのような感覚で、異国の外務省を訪れてしまったようなありえない状態なのである。

彼はシベリアの原野で北方部族相手に無双し続けてきたに違いないけれども、ここは銃に拠らない言葉の剣で切り結ぶ外交の戦場である。準備もなくその場に臨んだ者が当然ながら悪いのだ。


「だめですか」

「だめだ。だめに決まってる、言ってるネ」


顔を真っ赤にして震えている露西亜人を涼しげに見上げた草太は、わざとらしく急に思い出したというように手のひらをこぶしでぽんと叩いた。


「…ああ、そういえばたしかにそちらの乗ってきた船は、『蒸気船』ではありませんでしたね! 不恰好な煙突のない美しい帆船、港に浮かんでいるのを先ほど拝見していたのでした……あれはぱっと見の大砲の数からして、四等級のフリゲートあたりでしょうか。船足が速くて適度に火力もある型とうかがっておりますが、やはり単艦で使い回すのには便利な型なんでしょうね」


某イギリス海軍小説の生半可な知識をあからさまに匂わせてみる。

その作品自体は18世紀のイギリス海軍を舞台にしたものなのだけれど、蒸気機関による技術革新が進むこの時代でもネタとして通用すものかどうか。

通詞を介してなのでレスポンスは悪いものの、軍事ネタはボリス・イワノフの噴火寸前のガスを少しだけ抜いたようだった。


「よく船の等級などを知っているな、と言ってるネ。…あれは臭くてせまっ苦しい上に、舵を切るたびに棚の引き出しが飛び出してくるどうしようもない性悪だが、まだ新しいし船足も遅くない、悪くない船だ、言ってるネ」

「…船足が速いといっても、暗黒大陸【※注1】回りだと、こちらに回すだけでも相当に時間がかかるんじゃないですか?」

「回してくるだけでひと苦労ではすまない。スイビーリを歩いて渡ったほうが速いぐらいだろう。…もっとも、自分はもっぱら陸行であるから詳しくは知らない。距離があるおかげでこちらでは船が不足気味なのだ。なので対価に船を渡すわけにはかない……みたいなこと言ってるネ」


みたいなことって…。この通詞、胡散くさ。

突っ込みを飲み込みつつ、草太は何気ない口調で次の言葉を会話の池にそっと投げ込んだ。


「…船と言えば、全権使節エフィム・プチャーチン様の乗られた船はその後どうなりましたでしょうか?」

「ああ、その節は大変お世話になった。提供していただいたスクーナーはニコラエフスクの港にちゃんと係留されている。簡単な設計図から起こした初めての船とは思えぬほどしっかりした造りだと、腕っこきの水夫たちがずいぶんと誉めていた、言ってるヨ」


あの戸田村で設計図を頼りに建造した小型帆船……ちゃんと目的地には着いたようである。もともと全国の腕のいい船大工を幕府が集めたのだ。造りがしっかりしていないわけがない。

さあ、念のための確認は済んだ。心の中で揉み手しつつ露西亜人たちの様子を伺って。

そろそろ本題に入りますか!


「…船の手配でお困りのようでしたら、なんなら当方でご用意いたしましょうか? スクーナーという型の船ならば、その気になれば何艘でもご用意いたしますが」


言った端から、背筋を這い登る武者震いに草太は平静を保つのに苦心する。

この交渉において、クリアすべきテーマは、3つ。

金のやり取りをしない物々交換。

手に入れたいのは最新の武器。

そして幕府も得をし、ロマノフ家の歓心も買えるWINWINな取引…。


「いまのところ金銭による通商はいたしかねますが、物々交換と言うことであれば、スクーナー建造程度ならば請け負いますが。貴重な蒸気機関とは申しませんが、それなりに価値あるものを対価として用意していただければ…」


6歳児の突然言い出した驚天動地の取引は、その他同席者たちを非常な混乱に陥れた。

開いた口をふさぐのに必死の幕府代表団は、気が狂ったとしか思われない6歳児の発言の背後に老中首座阿部伊勢守の影を幻視して、難詰の言葉を飲み込み、露西亜『軍人』たちは降って沸いたような軍備拡張の話に思わず目を見開いた。

むろんロシア側代表のボリス・イワノフにそんな取引を決定する権限などありはしない。彼はシベリア総督の遣いであれども、今回に関しては一介の『商人』にしか過ぎないのだ。

受けた衝撃を隠しきれないボリス・イワノフをじっと見据えて、草太は反応を待つ。こういう交渉は一方的にただ言いたいことを浴びせかけるだけでは成り立たない。

商売の呼吸とでも言うのだろうか。相手がこちらの真意を理解して、食いついてきてくれなければ意味がないのだ。

草太はそれと自覚して交渉しているわけではなかったが、くしくもこの時期露西亜はクリミア戦争の真っ只中であり、イギリス、フランス、オスマン帝国らの同盟勢力と各地で衝突しつつあった。かく言うこの極東でも、カムチャッカ半島で火の手が上がりつつあったようである。

極東方面での艦船不足を漠然と読んだ草太の、実に幸運な予想外のクリティカルヒットであった。幸運の女神が微笑んでいた。


「…ちなみにその『対価』とは、なにを想像していますか、言ってるネ」

「最新式の『銃』を。…あっ、『大砲』でもいいですけど」

「………」


お遣いメモに書いてあるのは『ティーセット』であっても、軍人たちにとって価値あるものはやはりおのれを強大化する武器の類である。思いもかけぬ交渉の成り行きにその後そわそわしたままのボリス・イワノフをころころと手のひらで転がして、草太は最後まで主導権を握って放さなかった。

おそらく当事者たちのほとんどが予想もしていなかった交渉の成り行きであっただろう。ボリス・イワノフ個人に決定のできる案件ではむろんなかったけれども、幕府の造船能力を確認してしまっていたがために彼は尻子玉を草太に掴まれてしまったといえる。

『商談』が成立していないにもかかわらず提供できる手持ちの武器情報や軍事技術を言葉巧みに吸い出されて、なおおのれの立ち位置を自覚できぬまま露西亜人たちは始終ホクホクしていたという。

交渉の果てた夜、下田の船宿で浴びるように酒を飲まして露西亜人たちを歓待した幕府代表団は、次々に『言質』と言う名の人質を確保してこちらも大満足、ホクホクになっていたという。

翌朝、赤ら顔を真っ青にした露西亜人たちが船宿から退散していくその背中に、草太は合掌した。




さて、本来の主役であったはずの『根本新製』がどうなったのかというと。

無事、と言うか普通に取引されました。

ボリス・イワノフらが乗ってきたフリゲート艦(※帝政ロシアでは独特のカテゴリー分けだったようですが作者の趣向でイギリス海軍準拠)アリアーンダ号に積まれた大砲を分捕りました。

20門ほど積んでたので、バランスがよかろうと両舷5門ずつ半分貰っといてやりました。結構ぐずられたものの、各地の戦闘で沈む船も多いらしく、不幸な僚友の損害に書き加えることで処理されるみたいです。

出費の感覚が大雑把な軍人さんにお遣いは難しいと思います。

ごちそうさまでした。






【※注1】……暗黒大陸(あんこくたいりく)。アフリカ大陸の当時の俗称。大航海時代真っ盛りの時分にも、アフリカ大陸は謎の民族、多種多様な動物、千変万化の気候帯(砂漠/草原/密林)などなど、ヨーロッパ人には相当に不思議ファンタジーな大陸に見えたようです。魔王の存在は確認されていません。


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