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陶都物語~赤き炎の中に~  作者: まふまふ
【独立編】
135/288

007 裃姿のふたり






草太の2度目の江戸行は、すでに相手のある行き来であったので事前に『お伺い』がやり取りされ、到着の日時も先方とある程度取り決めがなされている。

今後は外国船が下田に寄港するなどのイレギュラーでもない限り、江戸直行というケースが多くなるだろう。季節がら台風の接近もあったらしく海は時化気味であったが、波が一定以下に収まっていれば強い海風は返って船足を早くする好材料ともなった。

波を間切っていく和船の頼もしさを飽きることもなく見つめていた草太の脳裡に、メリケン行の想像がなかったはずもない。咸臨丸での訪米までおとなしく機会を待てば、あと数年国富の流失を指をくわえて眺めていなくてはならない。和船の船団で、あるいは戸田村で見たスクーナーで、資金に余裕があるのなら外国商船のチャーターでもいい、太平洋横断を成し遂げることは出来ないだろうかと彼は考え続けていた。


(駐留する人数を増やすならやっぱり自前の船団が必要やけど、となると船員も乏しいこの国でそれを成立させるには外国商船の船会社の買収しかないな)


来訪する商人をどうにかしてたらしこんで、契約で縛るか借金漬けにするか……何ならハニートラップでも…。

黒い想像をめぐらしているうちに、急に布団のなかで包まれたお伊登のぬくもりを思い出して、らしくなく悶々とする。ハニートラップか……あれもそう考えればそうなんだけど。


「うちの娘は親が言うのもなんですが相当に器量よし、商人の嫁は商人の娘が一番だとわたしは思いますがねえ」

「ホントなんにもなかったし……ホント勘弁してください…」


船旅の間ずっとそのネタでいじられ続けた草太であった。

じわじわと追い詰めてくる浅貞屋の笑みがトラウマになりそうである。




安政2年9月18日(1855年10月28日)、草太一行は江戸に到着した。

あいにくと草太が江戸に着くころ《天領窯株仲間》との窓口となっていた川路様は所要で逆に江戸を離れており、同席できぬことへの丁寧な断りをすでに書状にて受けている。


(取り上げられてしまったていぽっとの代わりの品を持ってきたんだけど、ご実家に置いてくるしかないか…)


周囲にはそれと悟られていないものの、失敗即破滅の覚悟で人生の取捨選択を続けている彼にとって、アシストを期待できる川路様の不在はなかなかに痛い。万一のときにすがる寄る辺を持つか持たないかは、追い詰められたときに気持ちの余裕のなさに繋がりやすく、そういうときに決まって見せたくない馬脚を現してしまうものだと彼は知っている。

若干嫌な予感がしつつも、草太らは無事江戸上陸を果たしたのだった。


「このあとは阿部様の上屋敷を伺えばよろしいのでしょうか」

「その案内の人が待ってるはずなんやけど…」


廻船から荷に混じって蔵前に立ちん棒していた草太たちであったが、空港の入国ゲートで出待ちしてくれるツアコンのように看板立ててアピールしてくれるわけでもないのでごった返す人混みの中に案内人をすぐには見つけられないでいた。

川路様の書状には「わが弟の手配にて」とあったので、なにがしかの役所についている弟さんの部下の人でも寄越されるのだろうと「それらしい人」を探していた草太は、よくよく考えれば見つからないのは向こうも同じなのだと気付いた。


「ねえ、ぼくを肩車してくれん?」


彼らが探しているこちらの『特徴』は草太という6歳の子供であり、それに付随する《天領窯株仲間》の集団であるのだろう。

同行のお役人の一人に肩車してもらった草太が人混みの向こうをきょろきょろとしているうちに、少し離れた辻のほうで彼の姿を指差して動き出した一団がある。ひと目でどこぞのお役人と分かる黒紋付の集団……中にはいささか場違いな裃姿も混ざっており、職種もごった煮な江戸湊の賑わいのなかでもやや浮き気味の集団だった。


「林草太殿とそのご一行か」


契約関係から言えばここに運んできている『根本新製』はすでに納入済みの浅貞屋の品であり、集団の顔となるべきは蔵元である浅貞屋その人であるべきなのであったが、なぜか草太を主として扱われることがほとんどである。浅貞屋本人が文句を言わないのでそのままになってしまっているのだけれど、いずれそのあたりは正す必要があるのかもしれない。

『子供』を視認してもらう用は済んだので肩の上から下ろしてもらい、草太は案内のお役人様たちと見上げるようにして相対した。

美濃の片田舎からやってきた商人たち相手の雑務に違いないのに、言葉遣いからして緊張感を適度に維持した様子のそのお役人様たちを見て、上司の薫陶が行き届いていることを見て取る。

そうした有能な部下を抱える『川路様の弟さん』の社会的地位についつい思いを馳せたのは、駆け引きに拘泥する商人っぽさが身に染みてしまった証左であるのだろうか。自分も値踏みされているのが分かるために、彼らに対する草太の値踏みも遠慮がない。

川路様が幕臣であるのだからその弟さんもむろん同じ幕臣であり、その部下たちも言わずもがなであったろう。兄の川路様が勘定奉行であることから、弟さんのほうもそれなりの要職についていることが推察されるため、その配下となっている彼らは小身の直参か旗本の次男三男あたりと見当をつける。

草太はこのときまだ知りもしないが、実はこの川路様の実弟、井上清直は阿部伊勢守の抜擢で安政2年8月9日付けで下田奉行へと就いている。数ヶ月前に稲田寺で御用を申し付かったときに同席した下田奉行伊沢政義は、その肩書きに『前任』を付け加えいまは普請奉行へと配置換えとなっていたりする。

知らぬ間に『阿部派』にべったりとなってしまっているわけであるが、いまはまだ知らぬが仏というところであるのだろう。


海外にも通用するという『根本新製』をたった6歳で作り出した美濃の鬼子に強い興味を持っているのだろう、お役人たちのややぶしつけな観察にさらされつつもふてぶてしく愛想笑いを張り付かせていた草太は、この案内人たちのなかでも上役と思われる裃姿のお武家のほうに何気に注意を払っている。

遠山の金さんが刺青を見せるときに着ているあの肩のとんがった肩衣と袴を合わせて『裃』といい、士分の最礼装であった。

草太の視線を見て取って、そのお武家ふたりがずいっと前に出てきた。


「美濃より遠路はるばるまことに大儀であった。草太とやら、そのほうの功績大なるは源兵衛からしかと伝え聞いておる。その功に免じてこの後の同行は差し許すが、分相応を心得みだりな言行は慎むように」


いきなり上から目線で差し許すといわれたあたりで、この人物が誰なのか草太には分かってしまった。

その肩衣に染め付けられた九枚笹の家紋。そしてどこか馴染みのある鼻筋の通った細面……分かれてすでに百年以上経ったというのにその容貌にはどことなく祖父貞正に通じるものがある。

ワンポイントのこだわりなのか白髪交じりのもみ上げが強く跳ねている。

林内膳……江戸本家、江吉良林2000石の現当主である。その横にいる若い方は、同じく裃という晴れがましい姿で同行していることからその総領息子であるのだろう。

15、6の元服したてという感じの若様である。


「おまえが草太という鬼子か」


同じ横柄さでも場をわきまえる世知がない分、かなりうっとうしい部類の居丈高さを見せる若様の名は庫之丞。よく日に焼けているので武術の鍛錬を欠かしていないのであろうが、額や顎に浮かぶ思春期独特のにきびが残念な感じに精悍さを削いでしまっている。

客である草太の本家筋、2000石の大身旗本の当主が江戸で敬意を払われないはずもなく、案内のお役人たちもどう接していいか当惑するように目配せを投げ合っている。江戸本家の人間が草太らのセールスに同行するかもとは代官様経由で聞いていたけれども、よもや当主本人が……しかも親子そろって裃姿とか、これから向う上屋敷の主人、阿部伊勢守の幕閣での権勢を考えればおのずと彼らの『魂胆』が見え透いてくる。


(うわー、尻馬に乗って猟官活動とかするつもりかな)


なるほど、老中首座に顔を売っておけば、改革のトレンドである人材発掘の流れに乗って顕職への抜擢もあるかもしれない。

前回の『将軍拝謁』まで果たした分家筋の『前代未聞の成功』を知った内膳は、なぜそんな大切なことをこっちに報せないといたくご立腹して代官様らを譴責したという。

それまでの窯株分与の提案とか根本窯の磁器焼成功とかそれなりに報告書は送られていたそうなのだが、代官様いわく「あまり関心のないご様子」であったらしい。その風向きが変わったのは、前回訪問時の『将軍拝謁』であったのはまず間違いない。いまではすっかりと変心して、草太らを突き除けて主役を張るつもり満々のようであった。

今回阿部様を焚き付けてメリケン進出の足がかり構築をもくろんでいた草太にとって、わけも分からぬ本家の人間が闇雲に表に立ってしまうというのは相当にがっかりな展開である。上同士の話をインターセプトしてくれそうな川路様がいないことも痛かった。




阿部伊勢守の上屋敷は、さすが老中首座を務めるだけあって江戸城のすぐ傍にあった。

和田倉門(現東京駅のまん前!)を出た突き当りがまさに阿部伊勢守の上屋敷であり、その敷地は実に1万坪……丸の内ビルがすっぽりと入ってしまうぐらいの広壮さである。

向う道すがら、内膳様にあれが何々藩の何々様、これが有名な何々藩の上屋敷よと異様なほど塀の長い大名屋敷街を観光案内よろしく自慢され、内心舌打ちしつつも合いの手を入れて聞き流す。後世では影も形もないきれいな水路をいくつも越え、阿部伊勢守の上屋敷にたどり着いた頃には草太もうっすらと汗をかいていた。

福山藩11万石の江戸上屋敷でもあるその建物には、多くの江戸詰め藩士たちが勤務している。すでに話の通っていた草太たちはとどめられることもなく中へと通され、玄関を上がったすぐの右手の部屋で待つこととなった。

部屋にはほのかに抹香が焚き込められている。


(しかし江戸の本家も大変なんだな…)


さっきまでの江戸自慢モードは完全終了したらしく、江戸本家の当主親子はまだ阿部様が姿を見せたわけでもないのにしきりに額の汗を拭って緊張しきっている。

行き道で軽く聞き知ったことは、いま内膳様が『本丸小姓組』という役職にあるということ。それが名誉であることは間違いないのだけれど、小普請組という不思議な役職に大勢の旗本たちが群れていたように、『本丸小姓組』も将軍の側に比較的近いというただそれだけの閑職に過ぎない。

何千家もある旗本の上位に分けられるべき2000石取りの林家当主であれば、黙っていてもそうした『名誉職』を与えられるのだが、優秀な官吏を輩出することこそが直参旗本のお家の『名誉』であり、能力を認められてこそが将軍家を守り立てるべき立場にある彼らの本懐でもあるのだろう。

背中から見ていて、肩衣が面白いほど糊が利いてピンピンしているのも、見えないところでの努力がしのばれて草太の気分を萎えさせた。

そのとき廊下の床板を踏み鳴らして何者かが近づいてきたのが分かった。

その床板の軋みの大きさから、この時代には珍しいメタボ体格の阿部様の闊歩する様子がすぐさま脳内再生される。


「待たせたな、鬼っ子よ」


開け放たれた障子の向こうに楽しそうな阿部様の顔が見えたのも束の間、室内の予想外の人口密度にうっとその足が止まる。

とくに最前列で額を畳にこすり付けている裃姿の場違いなふたりを見たときの阿部様の眉根は、眉間に向って富士山のように寄った。


「こたびの『御用』申し付け、まことにありがとうございました……わが林家末代までの誉れといたす所存にございます!」


誰だこいつら的ないぶかしむような眼差しを向けられているのにも気づかずに、内膳様はさらに言葉を継いだのだった!


誤字修正いたしました

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