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陶都物語~赤き炎の中に~  作者: まふまふ
【独立編】
134/288

006 お伊登






「もはや驚くまい、と思ってはいたんですが」


尾張藩主徳川慶恕への拝謁を終えた草太と浅貞屋は精神的な肩こりをほぐしつつ堀川筋を並んで歩いていたのだが、名の知れた大店の主人とちんまい童が肩を並べて歩いている奇妙な風景は、なかなかに通りすがりの耳目を集めてしまうようである。

「浅貞屋さん、ごきげんよう」と声をかけられるたびに会釈する主人の反応は分かるのだが、それに付き合うように手を振ってくる童の正体を知らぬ町人は怪訝げに首をかしげている。丁稚ぐらいに思っていたのだろう幾人かは、その後も代わらず気さくに会話を続ける二人の背中を目で追って立ち止まってしまった。

もう五十路半ばの大旦那と並んで歩くのは背が半分にも届かない洟垂れの6歳児である。

親子か、下手をしたら孫と歩いているような取り合わせの二人であったが、交わす言葉の色あいで両者が気の合う『友人』同士であることが分かるのだから不思議なものである。


「よもや話をあそこまで持っていくとは思いもしませんでした。聞けば確かにそうした措置はなるほど重要なことだと膝を叩く思いでしたが」

「浅貞屋さんが尾張様相手にぐいぐいと詰め寄るところを見て、ぼくも負けてられんと思ったんです。いずれ俎上に上げるべき話だったんで、いい機会と浅貞屋さんの尻馬に乗っかってみました」

「草太様にかかれば尾張様も神社の狛犬扱い……おっと、大きな声では申せませんな」

「いやいや、まさかお殿様がアレを手に取った瞬間に倹約令に話を持ってかれるとか、尾張様もえらい御蔵元を抱えてしまったものです」


なんとなしに同じように袖口に両手を突っ込み、腹の黒そうな忍び笑いを漏らすこの凸凹(デコボコ)コンビは、年の差こそあれ同じ穴のなんとやらなのだろう。

予定してなかった名古屋城登城のおかげで気勢をそがれてしまった草太一行は、結局そのまま浅貞屋に一夜逗留していくことになった。

当然のように宴席が張られ、お互いの交流を深めるにはまず酒でも酌み交わしましょうということになった。前世の商工会議所がそうであったように、酒を飲んでバカ話すれば親交が深まるとこの時代でも信じられているようである。

まあ今回に限れば、それは当たっていたわけであるが…。

商売談義に花を咲かせた草太と浅貞屋のふたりは年の差という壁を乗り越えて友誼の絆を強くしたようである。


「うちの娘をもらってやってはもらえませんか」


小気味よい会話に気をほだされて、ついつい灘の清酒だというとろりとした甘い酒を一杯付き合ってしまった草太は、とたんに顔色を赤く染めて至極上機嫌で笑い続けていた。ほとんど真剣に聞いてもいなかった草太は案の定その振りを聞き逃し、別のくだらない話に「それはいいですね」などと相槌を打っていたりしたものだから、結果として会話は混線したまま思いもかけぬ方向に繋がっていったらしい。

そのときうわぁっと場が盛り上がったことにも彼は気付いていなかったのだから、まったくもって救いがなかった。




(どうしてこうなった…)


宴が果てて散会となり、なぜか離れに用意されたおのれの布団に何の疑問も持たずにもぐりこんだ草太であったが、それから四半刻ほど過ぎた頃。

嗅ぎなれない他人の家の匂いを感じつつまどろんでいた彼は、ふと部屋の外で起こったかすかな物音に目を見開いて、「草太様」と遠慮がちに呼ばわる声に身を硬くした。

気付いたときには後の祭りであったのかもしれない。

部屋の障子がすっと引き開けられた。


「…失礼いたします」


障子の向こうの人影が膝をついて坐ったのは分かっていたから、女中さんか何かだと思った草太は、身体を起こして「どうぞ」と言った。

が、そこに現れたのは女性であったのは間違いなかったが、女中さんらしくない襦袢姿が目に付いて、草太が声を上げかけたところで、


「お情けをちょうだいに上がりました…」


三つ指突いてお辞儀した女性が顔を上げると、そこにはまだ面影に幼さの残る少女の顔があった。

おしろいを引いてまるでデビューしたての舞妓さんのように緊張の面持ちであるその少女の名は、お伊登。

浅貞屋の後妻の末娘で、今年で15になるのだという。目元のやさしげな、ぽっちゃりと愛らしい顔立ちの娘さんだった。

…ってか、そんな冷静な語りを入れている場合じゃなかったりする。


(ちょっ、…えっ?)


中身が三十路のおっさんであるから、これが世に言う『据え膳』であることが直感で分かってしまったものの、酒宴での会話を混線させてしまっている草太は合点できないまま慌ててしまうだけであった。

成り行きがすぐに分かっただけにとりあえず丁重にお帰りを願ったのだけれども、少女は心遣いは素直に感謝しつつも、結局「戻るわけにはいかない」の一点張り。

とうとう彼女の必死さに根負けして、ひと組しかない布団で添い寝することとなってしまったのだけれど。どうしてこうなった。

お伊登ちゃんいわく、あれだけ知恵が早熟ならばあちらのほうもそうかもしれんというようなことをお父上がおっしゃっていたらしい。

あの、6歳児ですよ? 心が規格外でも身体は当たり前のように未熟な『小学校前』だし。可及的速やかに少しお父上と『おはなし』したいのだけれど。

西浦屋のお嬢とは対照的に、まっとうにしつけられたらしいお伊登ちゃんは、今回のいささか人権蹂躙気味な父親の言いつけを非常に重要なミッションととらえているようで、はにかみつつも慎ましやかにしばらく挑発をしてくれましたが、まあ相手が年端もない子供であることが分かってくるとそっちの方面はあきらめてくれたようである。


「…ほんとにお小さかったのですね」


念のためにいっておくけれど、おのが息子は死守したから大きさとか見られてませんよ。その大きさのことじゃなくて。

妙なテンションの中で安心を得たものだから遠慮の一線がおかしなことになってしまっていたのだろう。抱き枕のようにすっぽりと抱きすくめられて、頭をなでられてしまいました。


「お父様は紀文【※注1】の生まれ変わりのようだとかおっしゃってたのに、まだこんな小っさいなんて、なにか妙な気分です」

「紀文って、また適当なことを…」

「でも、将軍様まで手玉にとるような人なんでしょう? 草太様は」


頭をなでながらお伊登はくすくすと笑って、


「そんなお偉い人の頭をわたしは撫でてるんですね」

「………」


その暢気な『感想』にすっかり脱力して抗う気にすらならなくなる。

あーもう、どうにでもしてくれ。

草太は投げやりに目を閉じた。男としての欲求が乏しいものだから、いったん緊張を解くとお伊登のぬくもりの中に感じる息遣いと鼓動が『異性』というよりも『母親』のそれをイメージさせるようになって、返って気分が安らいできてしまったから不思議である。

もともと疲れが蓄積していたのもあっただろう。草太は次第に強くなる眠気にわずかに抗った後、いっそのこともう寝ちまえと、吹っ切ったように本格的に寝入ってしまった。後はあっという間である。

あー、人肌に飢えているとかそういうのではないから。

たぶん違うと思うから。

これ以上の突っ込みは認めない。




翌朝すっかりとおしろい臭くなってしまった草太は、そろそろ冬の気配の忍び寄っている早朝から行水をする羽目になった。ずぶぬれで震え上がっている草太に手ぬぐいを渡したのは化粧を落としたお伊登である。

大店の主人が後妻に貰うような女性が母親であるのだ。お伊登もまたその色香を十分に引き継いでいる。

やや垂れ気味のおっとりした瞳は笑みを含んで草太を見ている。おしろいなんか塗らないほうがきれいなほどに色白で、ぷっくりした唇だけが鮮やかな珊瑚色に色づいてその形のよさを印象強くしている。

なかなかの美人さんである。大奥を置いている尾張様が発見したら目の色を変えて欲しがりそうな美少女であったが、そうした『商品性』の運用には抜け目のない浅貞屋が、なにゆえ尾張様の寵愛の可能性を排除してまで彼女を草太に付けたりしたのか。


「…なにかわたしの顔に付いてますか?」


作為的なのか天然であるのか、男心を鷲掴みにするその小首傾げに、さしもの6歳児も精神的に片膝を付かされた。連想で昨晩のぬくもりを思い出してしまったものだからダメージ倍増である。

浅貞屋はたぶん自分のことを過大評価しているのだろう。おそらくはお殿様にかわいがられその縁故となる『名誉』よりも、商人の娘として磐石な基盤を固めた嫁ぎ先に入れたほうが経済的に幸せになれることを読み切った上でのことだろう。質素だ倹約だとうるさい城中で、たとえ殿様のご寵愛があれそこまで贅沢は出来ないご時勢なのだ。

浅貞屋のそうした実利的な商人的思考は嫌いではなかった。

が、仕掛けるのが三年早かったのだけはおしかった。

男として未成熟なことが幸いであったのかどうか、そのときばかりは草太も思い悩まずにはいられなかった。


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