004 名古屋城に呼ばれて
普賢下林家の家内でもそうであるように、草太を取り巻く環境は刻々と変化を続けている。
下街道を行き来する旅人たちの視線を集めつつ名古屋入りした草太一行は、例のごとく『浅貞』に立ち寄ったわけであったが、草太の顔を見た竹蔵という名の番頭が彼の顔を見るなり店を飛び出していったかと思うと、四半刻もせぬうちに大勢のこぶを従えて戻ってきた。
まぁ、こぶというのは失礼であったかもしれない。れっきとした尾張藩士たちである。
「…えーっと」
「そのほうが《天領御用窯》の勘定役、林草太殿であるか」
店の番頭がどこへなにをしに行ったのかむろん心得ていた主人にもてなされて茶をすすっていた草太たちは、突然ものものしい様子のお役人たちに囲まれてとりとめもない会話を途切れさせた。
おもむろに主人が座を立ち、お役人の最上位とおぼしき人物に上座譲ると、手を叩いて新たな客の分の茶を用意させた。譲られた上座に当然のように座ったその人物は、草太の記憶に人名とともにヒットした。尾張藩の財政を預かる御算用頭、名はたしか『岩倉』さまであっただろうか。
相手方の素性が知れたことで、草太のほうもようやく気持ちを立て直すことができた。
「その方らの作る『根本新製』とやらが江戸宗家より御用を申し付かったとさる筋から聞き及んだ。美濃焼は尾張藩差配の品、わが藩の産品が望外な栄誉を浴したことに上様(※この場合尾張藩主)がことのほかお喜びになられ、こたびその方らを御城に召して直々にお声をおかけ下されることとなった」
尾張徳川家、62万石。
水戸、紀伊に並ぶ御三家のひとつであり、なかでも筆頭格と目されている。
御三家筆頭にありながらその国力の高さゆえに警戒され、結局二百余年もの間ひとりとして将軍を輩出できなかった『尾張藩の屈辱』はことに有名である。
そのプライドの塊のような御三家筆頭の殿様が、名も知らなかった美濃の片田舎の窯元関係者に「褒めてつかわす」というのである。おのが差配のもとにある美濃焼のひとつが徳川宗家をして御用申し付けさせるほどに魅了したという話は、そうとうに尾張様の気を良くさせたらしい。
お殿様の気まぐれであることは間違いがなかったが、ことの内情を浅貞屋が知らないはずもなく、見れば興味深そうにちらちらとこちらに目をやっている。おそらく名古屋にやってくるタイミングを計ってのサプライズのつもりであったのだろう。
浅貞屋は尾張藩の蔵元であるので、この際草太を殿様に面通ししてしまおうという腹なのかもしれない。
こちらの視線に気づいて目で軽く促されると、草太もこの予想外のイベントに腹を据えた。
「急ぎ登城いたすように」
日を置いて、ということすらなかった。その場から草太たちは名古屋城に召されることとなった。
第14代尾張藩主、徳川慶恕(よしくみ/のちの徳川慶勝)は、まだ青年と呼んで差支えない少壮気鋭の藩主だった。
直臣でもない、しかも苗字帯刀ぎりぎりの庄屋風情に正式な面会などあまり考えられることではなかったが、やはりそこは江戸城での将軍拝謁の時もそうであったが『抜け道』的な面会方法が採用されたようだ。
どこか改まった形で一室に通されると思っていた草太であったが、実際に面会が行われたのは二の丸と呼ばれる御殿の廊下であった。幅一間(約1.8m)ほどの広い廊下の隅で待機させられること5分ほど。お小姓を連れた尾張藩主慶恕が通りかかり、そこで立ち止まっての『会話』としてお褒めの言葉が発された。
立ったままの慶恕と、平伏する草太の間でいくつか言葉が交わされたわけであるが、話している間に慶恕の言葉が少なくなり、やがて途絶えてしまった。
「顔を上げよ」
そういわれておずおずと顔を上げた草太は、そこになんとも複雑そうに眉根をしかめた殿様の姿を見た。
慶恕はそのまっすぐな眼差しを草太に投げ、そしてその後ろに控える浅貞屋と根本代官所の小役人たちをちらりと見た後で、再び草太の顔を見、そのわきに風呂敷に包まれた荷物を見る。
予備で1セット多めに持ってきた『根本新製』が、まさかこんなところで必要になるとは想像もしていなかった草太である。むろん手ぶらもなかろうと持参したものであるが、面会がここで終わるようなら顔色ひとつ変えずに持ち帰る気満々であった。殿様の視線が荷物にくぎ付けであることを重々承知の上で、草太は沈黙を守っている。
「…そのほうはたしか幕府直臣、林内膳の分家筋と聞き及ぶが」
「…(謹んでお答えいたせ)」
耳元でお役人にささやかれて、草太はわずかに目を伏せるように首肯して、
「わが祖は、遠く島原の乱で幕府軍監を務めました林丹波守勝正の裔と聞いております。ただ、分家というのもおこがましい、庶流の枝葉のものでございまして…」
「直参旗本の流れであるならば、相応の間に通すに何の問題もなかろう。…そういうことだ、かまわぬ、この者を適当な部屋に案内しておけ」
「上様!」
「余が決めたんだがぁ! つべこべ言わんということ聞けて」
急に地が出たといわんばかりの名古屋弁。まさしく鶴の一声。
そうしてこの謁見イベントは、再び場所を移して改められることとなった。
二の丸の中でもそこは比較的身分の低いものとの謁見に使う部屋なのだろう。『水之間』という名前で、中庭をめぐる廊下の奥手にその部屋はあり、団体さん相手の謁見間らしくけっこうな大部屋である。
「…なるほどの、瀬戸にも有田にもない、新しい材料を使った焼物であるか。確かにいまだかつて見たこともないほどにやわい白さよ。…ふむ、これが噂に聞いた南蛮茶器の形か。なかなかけったいな形をしている」
「あちらにはなんでも紅い色をした茶がもてはやされているとか。『紅茶』と申すもので、糖蜜や香草なども入れたりするようです」
「ほほう、紅い茶とはまたおかしなものを」
部屋に入るなり、さっそくご所望の『根本新製』を差し出すと、その丁寧かつ堅牢に作られた木製ケースに驚き、そして開けてみたら今度は器をきっちりはめ込んだクッションに目を見開いたあと、ややおぼつかない指先でティーカップをつまみあげてその雪のような白さと絵付けの美しさに文字通り言葉を失った慶恕は、ただ興味の赴くままに取りとめもない嘆声を連発して、しばらく我を失っていたように見えた。
ようやく気持ちの落ち着いてきたあたりで最前の会話となるわけだが、このお殿様の心をつかんだ確かな手ごたえを草太は感じていた。
「『根本新製』を見られたのは初めてであられますか」
「うむ、山城めがケチくそうてな。蔵に隠してしまいおって見せてもくれぬわ」
実は数ヶ月前、草太が『浅貞』に持ち込んだ最初の『根本新製』の皿は、あのとき揉めていた一方の相手、尾張藩付け家老の竹腰家(今尾3万石)にお買い上げと相成っていた。浅貞屋はおのれの権威の源泉でもある尾張藩にこそ売りたかったらしいのだが、7代宗春のバブル的な放漫経営以後大いに傾き苦境に陥っていた尾張藩の台所事情……その状況はけっして甘くはなかったようだ。質素倹約を奨励する家風が伝統化して、当代の慶恕もまた厳しい倹約家であった。
年賦にしてくれと岩倉様が泣きついてきたというから、そのころの浅貞屋は一種の修羅場であったに違いない。結局その成り立ちから幕府に優遇されている付け家老(※幕府が尾張藩の監視役としてつけた家老のこと)のほうが自由になるお金を持っていたというのが結果に結びついた。
まだしも『根本新製』が無名であった頃は、関係者が口をつぐめば殿様の耳に入ることもなく済んでいたであろうに。その後のあまりに突然すぎる『根本新製』付加価値急上昇と、それにまつわるいくつもの輝かしい風聞が、とうとう人の垣根を越えて殿様の耳に入ってしまったらしい。そのあたりが今回のお声掛りの顛末であると、草太は浅貞屋の主人とふたりしてある程度の予想を共有していた。
目をきらきらさせて焼物に見入っているお殿様をなんだか遠い目で眺めている草太と浅貞屋であったが、ことここに至ってはもはや当然のように無償提供を要求されるだろうことは目に見えている。幕閣相手とは違い、ここには任免権という鎖でつながれてしまっている『藩御用の蔵元』浅貞屋がいるために、商売上もっとも恐ろしい強請りたかりの通用する魔空間でもあるのだ。
ゆえにこの部屋に通されてしまった草太は、すでに居合いの体勢に入った抜刀術使いのような緊張の中にある。同じように、貴重な『根本新製』を失わせてしまう責任の一端を負っている浅貞屋もまた、なにがしかの狙いを秘めた鷹の目で一段上の殿様の手元に視線を注いでいた。
そうして殿様の満足げな様子を確認した後に、最初の攻撃ターンに入ったのは浅貞屋であった。
「その品はまだこの国に7つしかない、貴重なていかっぷの対のひとつにございます。老中首座阿部伊勢守様のお申し付けに応じました此度の製造において、この浅貞屋めが尾張様に献上すべく無理を言って余計に造らせましたもの、目の高いなじみの旦那衆に100両を積まれてもお売りしなかったものでございます」
「うむ、心遣いまことに大儀であった」
「それは藩是にそむくような、奢侈品でもございます」
「…ッ!」
殿様の手の動きが、止まった。
藩の質素倹約の陣頭指揮を取っているのが、ほかならぬ慶恕公その人であるのだ。浅貞屋の狙いを悟って、草太もまた舌を巻いた。
草太の知らぬところで、浅貞屋もまた尾張藩という枠組みのなかで殻を突き破ろうとしているのだ。武家社会というリアルのなかで地に足をつける大店の主人の巌のごときゆるぎなさは、草太の中にいまだに残る現代人の『甘さ』を容赦なく刺激する。
「長らくの藩是であります質素倹約の令のなか、これほどの奢侈品を取引するはいずれ商売敵からの誣告を呼びましょう……恐れながら、今後の『根本新製』は飛躍を前にした龍、この浅貞屋も身代を賭してその勝ち馬にしがみつく所存。『根本新製』が天下の名品となり、この浅貞屋が三国一の焼物商となれば、それを差配する尾張様のお蔵にも当然ながら相応のものがめぐってまいるようになるでしょう」
「…なにを言いたいのだ」
「『根本新製』は専売の約定によりすべてこの浅貞屋から売り出されることになります。尾張名古屋がこの名品の唯一の出所となるのです。…天下の名品の声望とは、それを欲しがる客の言い値こそが雄弁に示すもの……その品の高値こそが藩の誉れであるとのお言葉を、なにとぞ! なにとぞこの浅貞屋めにいただきとうございます!」
奢侈品を手に取らせておいての一撃であった。
質素倹約を推し進める藩主自身であるからこそ、その瞬間浅貞屋はがっちりと主君の尻子玉を掴んだのだった!