002 私が守るから
普賢下林家の家内は、どこか形容しがたい重苦しさに包まれていた。
家人の誰もがその重苦しさと自分は無関係だと考えていたが、その実全員が明らかにその空気を醸成するのに関与していた。
刈り入れの終わった大原の田圃を、帳面を片手に熱心に見て回る林太郎の姿を多くの人間が見かけた。
田植えから収穫までの数ヶ月の間、大原の庄屋である林貞正とその嫡子である太郎は、まめまめしく田圃の様子を見て回って具合はどうだ、用水のぬくみは按配よくいっているか、人の手が足りていないところはないかと心砕きすることを日課としていたが、むろん農閑期に入ればそうした見回りは必要がなくなるものである。
「また若旦那が見てまわっとるけど、なんぞ面白いことでもあるんかね」
「さっきはゆるんどった畦をひとりで直しとったけど……声をかけてもなんも返事してくれんし」
村人たちは黙々と田圃を見て回る庄屋の嫡子に「ようがっんばっとられる」と好意的な印象を抱いていたらしかったが、その地味な見回り作業から屋敷に帰ってきたその姿を林家の家人たちは熱の乏しい平板な眼差しで見つめていた。
もう田圃を見回らねばならない時期でもないのに、あんなわざとらしく忙しそうにしなくたっていいのに……見定めるようなまなざしで『若旦那』のやりようを見て取っている。
「太郎様、お足をお濯ぎしましょう」
「ああ、頼む」
小者のゲンがたらいに水を汲んで運んでくる。
水を手にとって足の指の間を濯ぐゲンの様子になんら変わったところは見られなかったが、太郎はやや固い面持ちでかまちに腰を下ろしている。
「太郎様、お戻りになられたら部屋に来るようにと、旦那様がお言付けを」
「ああ、分かった」
みな態度には表さない。おのれが何か不自然に対応を変えているなどとも思っていない。いたって平静さを装い得ていると信じていた。
家内では太郎のことを『若旦那』と呼ぶものが目に見えて減った。
その変化が意味するところを、周囲はほとんど自覚していないように見えたが、そう呼ばれることでおのれを肯定されてきた当人だけは相当に重く受け止めているようだった。
「ぼっちゃん、そこにいらしていたんですか」
ゲンにその所在を見つけられて、草太は廊下の隅に立ち尽くしていた。
その目が自然と太郎伯父のそれとぶつかって、お互いに同極の磁石が反発し合うようにすぐに逸らされる。
太郎が血の気がなくなるほどにきつく握り締めたこぶしを震わせ、それを見た草太が条件反射的に怯えを見せて半歩退く。
「…俺のいないところで、なにを企んでいるのかは知らんが」
「…ッ」
「さぞや満足なことだろうな」
それほど狭い廊下でもないというのに、太郎は草太を突きのけるようにその横を通り過ぎ、床板を踏み鳴らしながら祖父の居室へと向っていく。
たたらを踏んだ草太はきっと眼差しを強くして、
「伯父上、少し冷静になられたらどうですか」
「ふん」
それに一瞥さえくれることなく、鼻を鳴らして太郎は去っていく。
そうして数日前に草太の身の上に起こった『事故』のことを知っている家人たちは、太郎の背中を無言で見送ったあと草太に目配せで「お気になさいますな」と宥めてくる。自分たちは全部心得ていますからと、見ているだけで落ち着かなくなるような『共感』の色を示して見せた。
『家』という共同体にもしも一個の生き物としての意識があるのなら、それはずいぶんと水臭く陰湿なものだと草太は感じざるを得なかった。
草太は家人たちに気にするなと手を振ってその場を離れると、いまでは唯一彼を安らがせる窯場に向おうと庭に出た。ちょうど庭では庭木に生った栗の実を、竹ざおで無心につついているお幸の姿を発見した。まだ完全には熟していない青味のあるイガ栗を多少突いても簡単に落とせるものではない。
背後に近づく足音に気付いたお幸は、肩越しに振り返って草太の姿を目に留めると、慌てたように竹ざおを投げ出してもじもじと棒立ちになった。
「その栗はまだ早いよ。…食べるにしても早いし」
「えっと……熟れ加減を確かめてただけです」
ずいぶんとそれらしい語彙の増えたお幸は、こっそりと栗を手に入れてつまみ食いしようとしていたことがまる分かりなのに、まだ見透かされていないと信じているようにすまし顔である。
この家にやってきてからずいぶんと肌も白くなり、長くなったくせっ毛もちゃんとまとめるようになったので、数ヶ月前のあのなりが信じられないぐらいに身奇麗な印象である。もともと大柄で今ではほとんど他の女中さんと変わらぬぐらいの背格好になっている。まだ色気よりも食い気のようであったが、意外なほどに器量がよいことがすでに誰の目にも明らかになりつつある。
「10個ひと束銀1匁半の皿が20束、店売りで6掛けで納めたとき、代金はいくら?」
「あっ、えーっと、…1匁半が20で銀30匁やから……6掛けは」
指折り数えてから、
「銀18匁」
「あたり」
草太が褒美の金平糖を一粒渡すと、とたんに喜色をあらわしてすぐに口に放り込んでしまう。暗算に慣れてきたお幸の計算力はすでにそのへんの大人など顔負けの水準になっている。計数だけならばもうこの時代的には十分に戦力になるだろう。
まだ物欲しげにこちらを見てくるが、菓子は彼女を満腹にさせるためのものではないし、多少の飢餓感があってこそ計数に対する真剣味が増すであろうと草太は思っている。
それには気付かない振りをして門を潜ろうとした草太がうっかり門扉の敷居で足を取られてよろめくと、彼女が激烈な反応を示した。
「草太様!」
すばらしい反射神経で草太を背中から抱きとめて、そして力余ってぎゅっと掻き寄せる。祥子よりもずっと年齢が近いというのに、体格差は同じくらいある。
お幸の腕のうちにすっぽりと包まれて、体温の温かさを感じた草太は少しだけおのれが人肌恋しくなっているのを実感した。胸の鼓動が背中越しに伝わってくる。
「お幸」
そのまま身をゆだねてしまいたい欲求を振り払って草太が名を呼ぶと、お幸が慌てて彼を解放した。多少残念を覚えつつも、「大丈夫やから」と手を振って門の外へと歩み出す。
「今度は、お幸が守るから」
残された彼女の口から漏れたそのかすかな呟きが、草太の耳に届くことはなかった。その真剣な眼差しも、悔しげに引き歪んだ口許も、振り返らなかった草太には気付かれなかった。
歩み出した草太はもう別の思案に深く沈んでしまっていた。
幕府に納品するための『根本新製』はすでに徐々に準備が完了しつつある。
絵師牛醐の精力的な創作活動により図案が冊子になるほど蓄積され、草太の指示もカタログを見ながらというレベルにまで簡易化している。その焼物に合う合わないの判断は彼の前世が蓄積した美意識とノウハウによるものであり、比較対象物をカタログとして所持することはその説明の難易度を大きく引き下げる恩恵を彼に与えることになった。
(見た目に美しく、かつ見たこともないものを…)
それが今回の基本テーマである。
想定ライバルは有田であり、さらに言えば絵付け技術のゴール地点に非常に近い位置にいる鍋島である。焼物の絵付けというものは基本古今の和画、唐画をモチーフにしたものであり、とくに草花ものが多かった。
唐画の王様の『牡丹』に、和画の『もみじ』や『梅』など、いかにも『らしい』オーソドックスなモチーフは、長年使い続けられてきたことから証明されるとおり、色数の限られた上絵具の限界を知悉した職人たちが考案した『最適解』のひとつであった。
いずれ海外進出を果たした後にはそれら絵柄は『東洋趣味』として大いに力を発揮するものとなるであろうが、現状国内で既存名窯との差別化を迫られている《天領御用窯》にとって、それらは極力選ぶべきものではない『封印モチーフ』でもあった。
それでは『根本新製』ならではの絵柄とはなにか……その問いが草太のなかには常に居続けている。
そして草太が独自性の確立に参考としているのは、後世の世に発想の翼を羽ばたかせた新進の才能あるデザイナーたちが立ち上げた各地のブランド商品群である。
たとえば、これなどは…。
「小さな花を全体に満遍なくちらしてみたらと言われて最初はピンと来てませんでしたが、なるほど、これはこれでアリですな」
「大きくて派手な花を使わないのがミソです。見栄えのする花図案はたいてい使い古されてまっとるし。…この白いスズラン、なかなかいいと思う」
「この朝顔も、ええ感じですわ」
カップ自体は簡単な指示を出しておけば、職人たちも対応できるようになっている。後はどんな絵付けをするのかを草太が決めて、焼き付けて完成するながれである。
こういう小さい花を模様としてあしらったかわいらしい感じの絵柄は、どちらかというと女性受けのするものである。次回の登城時には、ぜひ阿部様の奥方をでも巻き込んでみたいものだ。むしろ御城に登るよりも、阿部様の上屋敷にでも訪れたほうが都合がよいのかもしれない。
むろんかわいらしいものばかりを用意して受けが悪かったときのために、男受けのよさそうな花鳥ものも用意する。今度は白鷺の図案である。牛醐の絵師としての引き出しの多さには驚かされる。
(林家の跡継ぎとかどうとか、そんなものどうだって良いのに)
すでに東濃の片田舎を飛び出して、世間の広さを知ってしまっている草太には、内輪の揉め事があまりにもくだらなく、井戸の中の嵐のように矮小にしか感じられなかった。
草太の今後歩むべき道の先に、片田舎の半士半農の庄屋の跡継ぎなどというゴールはまったく想定もしていない。べつにおのれの実家を馬鹿にするわけじゃないけれども、それでは夢がないと感じた。
(いずれメリケンに、《林商会》をぶったててやるし…)
おのれの拠って立つ地歩がないのなら、自分で造ってしまえばいい。
子供の勝手を受容する器が社会に存在しないのならば、その外に出て行って自分でその器を作ってしまえばいい。
アメリカ西部のウェスタンな酒場で、拳銃片手にミルクを飲んでいるおのれの姿を想像して、草太は小さく吹き出したのだった。
いやはや、ご意見が飛び交っております。
作者にとっては一度越えた鉄火場なのでまだ平静さを保っております。
谷が深いからこそ生まれるドラマもあると作者は信じています。