012 貧乏徳利と職人
「草太。おまえ結構嫌なやつだぞ?」
「………」
買い物を終えて、大原への帰途についた次郎と草太。
草太は1升入りの貧乏徳利【※注1】を両手に抱え、次郎はウナギの入った底の深い手桶を右手、タン切り飴を包んだ紙の袋を左手にぶら下げて、来た道を黙々と歩いていた。
「ありゃあどっかの窯元の見習い小僧かなにかやろ。あいつらはほとんど給金も当たらんし、ああやって練習に焼かせてもらったてめえの焼物を売って小遣い稼がにゃならんのやろ。…ものが失敗作なんてこたぁ充分に知った顔だったぞありゃあ」
「だめなものはだめやよ」
「相手は子供やぞ。おまえだって子供やけど…」
言い募ってから、自分が5歳児相手にものの道理を必死で説いている構図に気付いたのだろう、腹立ち紛れに甥っ子の尻を蹴っ飛ばしてたたらを踏ませた。
「いったいなあ…」
危うく転びかけたものの、腕の中の徳利を落とすわけにもいかず無理やり踏ん張って尻もちをつく。徳利がたぷんと水音を立てた。
「落とすなよ。高い灘の酒やから」
「これで転んで割ってたら、責任は次郎おじさんやんか!」
「おまえがもたもた歩いとるから、足が当たっただけやろ。また蹴られたくなかったら、さっさと歩いていけ」
そっと地面に置いていた1升徳利をよいしょっと持ち上げる。
中身は1升(1.8リットル)の酒で、それだけで約1.8キロ。貧乏徳利とは、あの信楽【※注2】のタヌキの置物が持っている酒瓶に似ていて、たぶんこれだけでも1キロぐらいはありそうだ。
合計3キロ。
5歳児に中身と入れ物合わせてその重さを持ち運ぶのはなかなかに重労働で、手のひらはすでに汗でぬるぬるになっている。手を服のすそで拭った草太は、
「この貧乏徳利は、どこで作ったのか分かる?」
唐突に、そんなことを次郎に訊いた。
急になにを訊いてくるんだといぶかしそうに次郎が、
「そりゃ、このあたりの徳利といや、さっき見た煙のもと、高田【※注3】の徳利やろう」
と答えると、草太はさらに質問を返した。
「虎渓山からさらに奥に入ったところにあるその高田の窯元で、日に何個これと同じ徳利を作ってると思う?」
ここにきて、次郎がおやっという顔をする。
帰る道すがらの会話である。それが格好の暇つぶしになるかも知れないと、次郎が記憶の底を探るように、とつとつと答え出す。
「1日に100や200は造るだろうな。あれは馬場の殿様【※注4】のめしのタネみたいなもんやからな。ろくろ職人もたくさんおるやろうし」
「何人もいる職人が、同じ徳利を何個も作り寄って、それだけの数をそろえるんやけど、形がばらばらなんてことはあるの?」
「…酒屋が2合4合と計り売りするためのもんやから、大きさが違ったらまずいやろう。木曽屋でもようけあるけど、みんな同じ形しとったな」
「お店で使ってて割れたりする徳利はあった? 大忙しの時なんて荒使いが当たり前だと思うけど」
「…あんまり割れたりとかは聞かんな」
ようやく次郎にも、草太がなにを言いたいのかが見えてきたようだ。
見上げる草太の目を見つめたまま、次郎の喉仏が唾を飲み込むように上下した。
「この1升徳利だって、高田の工房で焼き上げた雑作りの徳利だけど、一人前の職人がろくろを引いてるから、器の大きさも重さも、中に入る酒の量だって百個作って百個ともほとんど変わらない。…あいつがこれを焼いていたら、中の酒の量も当てにならないし、形も百個全部が不ぞろいで、きっと落としたら強度不足ですぐに割れちまう不良品になってる。…そんなもの、小遣い稼ぎだからって口を拭って素人騙すように売りつけるなんて、窯元の家人に知れたらあいつ殺されるよ」
それは道理だった。
この時代、焼物はだいぶ庶民に浸透しているとはいえ依然として高級品であり、幕府や大名が貴重な財物としてその窯元の産品を年貢として徴収している。
小銭で買うことのできない高級品が、不良品であることを許す風潮はないのだ。
農民が年貢米を誤魔化して罰されるのと同じように、窯元だって、支配者に納めた焼物に不良品を混ぜれば厳しく罰されるのは道理というものであったろう。
草太はあのときのことを思い出す。
彼は筵に焼物を並べて売っていた子供……恥じたのか姓までは名乗らなかったが、弥助という少年は、「それは不良品やろ」という剛球気味の指摘を受けて顔を真っ赤にしたあと、「ものの分からんやつに売りたないわ」と、商品を筵ごと乱暴に丸め込んで走るように去っていった。
弥助はあの時、彼の指摘に腹を立てて店を閉めたのではない。
彼は「不良品は叩き壊して世に出さない」職人たちの掟を思い出させられて、虚勢を張って逃げ出したのだ。窯元にはたいてい焼物の割れクズが山になっていることが多いが、あれはまさしく「不良品を世に出さない」ために叩き壊したものの残骸なのだ。
むろんこの時代の窯元など、草太は見たこともない。
あくまで前世の、陶器工場の経営者だったときの経験に基づいている。組合に顔を出せば、そうした窯元経営者の不景気な話にはこと欠かなかった。
「…オヤジ殿が自慢していたわけがこれか」
ぼそりとつぶやいたその言葉は、草太の耳には届かなかった。
そのとき彼は、重い徳利を地面に置いて、ぜはーっぜはーっと体力的にテンパッていた。
(これを大原の屋敷まで運ぶのは不可能だろう、オレ的に)
前世では当たり前の平らな道などなく、天地開闢の時よりあるがままの地形がそのまま道のうねりとなり、歩幅の狭い5歳児を苦しめる。
そのときふと徳利の腹に呉須【※注5】で書かれた模様に気付いて、天啓のように彼の脳裏に妙案が降りてきた。
「ちょっとちょっと」と次郎を呼びつける。
「なんだ、草太」
「ここに書いてある模様、なんて書いてあるの」
徳利を差し出して、腹の模様を次郎に見せる。
さすがは大人。彼が疲労困憊となった1升徳利を軽々と持ちあげて、模様の観察を始めた。
「…これはだな。たぶんあの酒屋の屋号を花押に似せて模様にしたものだろうな。この棒三つが『三河屋』の『三』やろうな…」
悩んでいるあいだに、草太は素早く次郎が左手に持っていたタン切り飴の紙袋を奪い取っていた。
「うおっ」とか、次郎が間抜けな声を出しているが気にしない。
「おいっ! これはおまえの荷物やろうが!」
「これで右のうなぎ桶と左のそいつで重さのバランス取れたんやない?」
ここでまともに会話していたら次郎がごね出すに決まっている。
ここは『こどもとっけん』として、遊び半分に逃げるに限るだろう。
「まて、こらっ!」
次郎の怒鳴り声を置き去りにして、草太の足は軽やかに坂を駆け上った。
【※注1】……貧乏徳利。酒屋が客にリースで貸し出した酒瓶のこと。その字の通り、貧乏人が持ち歩くケースが多かった。
【※注2】……信楽。滋賀の焼物産地。愛嬌のあるタヌキの置物が有名。
【※注3】……高田。徳利の三大産地のひとつ。
【※注4】……馬場の殿様。土岐郡釜戸に城を構えた旗本。木曽義仲の後裔とされる馬場半左衛門昌次を祖とする。作中年代当主は馬場大助。間違いならすいません。
【※注5】……呉須。焼物の下絵の具。顔料。