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陶都物語~赤き炎の中に~  作者: まふまふ
【独立編】
129/288

001 祖父の想いと鬼っ子の決意






長子相続は、世の習いである。

普賢下林家の次代の当主は、三兄弟の長兄のなかでも太郎伯父であろうと、当たり前のように家人たちは見做している。

太郎伯父の黙々と仕事をこなす愚直なまでのまじめさも、感情をなかなか吐露しない口下手も、『軽薄でない』という誉められ方で美徳のひとつに勘定されているのだろう。何よりも他の兄弟があまりに女癖が悪かったこともその評価を後押ししていたようである。


『総領息子』


という言葉がある。

本来は一族すべての土地を差配するという意味の言葉であったが、時代が下って分割相続が家の力を削ぐ愚行であるとみなされるようになってからは、一子による単独相続を暗に意味するようにもなった。

跡継ぎとなるべき長兄は生まれながらにしてその家の全財産を継承する権利を持っているのに等しく、当然のことながら祖父母をはじめ親類縁者から一段上の敬意を持って扱われ、(かしず)かれることになる。

太郎伯父は、すべてが約束された当主に次ぐ上座をおのがものとして、これまでの人生を大過なく過ごしてきたのだ。とるに足らぬ三男坊のこさえた卑しい娘の子に過ぎぬ甥を腹いせに打擲したところで、おそらく普通であったならば問題にさえされぬ些事として扱われたことであろう。

普賢下林家で草太が捨て置かれなかったのは、情実というあいまいな成分を引き剥がせばただ彼が積み上げてきた功績とその優秀さ、将来にわたって『お家』にとって有用であり続けよう可能性があればこそであったからに相違ない。

おかしな言い方になるかもしれないが、庶子の甥っ子が直ちに捨て置かれなかったことそのものが、普賢下林家の跡目をめぐる思惑に地殻変動が起こりつつあることを暗喩していたともいえる。

草太は考えを整理した。

あの暴行事件の背景に太郎伯父の危機感があったとするなら、その潮目を読み取ることで生き残りの道筋を捕まえられるかもしれない。

そうして草太の新たな『生き残りの模索』は、それらの考えを突き詰めた上で、出直しともいえる最初の一歩を記すこととなった。




「それでおじい様は、どうされるおつもりなんですか」


不愉快だと太郎伯父が座を立って、部屋を出て行った後。

残された妾腹の孫と祖父は苦い顔をして互いを認め合い、訥々と会話を再開した。

身内のことだからとか、年長者たちの間の話だからとか、そんな遠慮はもうすまいと決意している草太は、重ねて問いを発した。


「おじいさまの跡継ぎが伯父上だというのは分かっています。もともと妾腹の孫などがでしゃばる筋合いの話なんかじゃないってことも分かっています。ですけど、ぼくはおじいさまに呼ばれて、意見を求められたから思ったとおりのことを口にしました。…結果、だいぶ痛い思いをしなくちゃならんかったけど」

「もう怪我のほうは大丈夫なのか」

「将軍様から直々にいくつも注文受けてる大事なときに、寝てばかりなどいられません。ぼくがいないと、《窯場》が回りませんから」


気負いもなく、事実としてきっぱりと言う。

《天領御用窯》がその生産能力を十全に発揮するためには、『林草太』というパーツが不可欠なのである。うぬぼれでもなんでもない。


「ぼくの知らないところで、どの程度のお話が進んでいるのですか」

「………」

「伯父上の言葉から大体は推察できます。伯父上が後を継がれたら、ぼくはこの家から追い出されるんですか」

「…ッ。なにを馬鹿な! そんなことがあるはずなかろう! あれは太郎が勝手に…」

「おじいさまがそんなこと考えてないのはわかっとるよ。…でも、伯父上が跡を継いだ後は、その決定権はもうおじいさまにはなくなっとると思うよ」


この時代の『お家』とは、そういうものである。

当主の意思がすべてである。太郎伯父が否やといえば、妾腹の甥などすぐさま家から叩き出せるだろう。


「おじい様の答え次第では、ぼくもいろいろとやらなあかんことができてくるから…」

「……そうか」


少しだけ言葉を詰まらせた祖父は、しかしすぐに気持ちを立て直したようにまっすぐに草太を見返した。


「どんな話があったとおまえは思ったのだ」


質問に対する質問に、草太は試されていると感じて下っ腹に力を込めた。


「端的には、伯父上の嫁取りと、家産の継承について。それと手に余る『甥っ子』の処遇について」

「なぜそう思った」

「それしか理由が思いつかんし」


元来太郎伯父に約束されていた、普賢下林家の家督。

そしていままさに立ち上がろうとしている製陶業という新たな家産。

祖父がその座を退き、太郎伯父が当代として家督を握ったとき、旧来の生業である田畑の経営だけであるならばまだしも、まったく畑の違う製陶のほうまで伯父が舵取りできるのか……祖父の胸中に去来したであろうそんな率直な問い。

むろん草太をうまく使いこなせばさらに飛躍も可能であったろうけれども、口下手でいい言い方をすれば真面目一辺倒、とうてい社交的とは言いがたいあの頑なな伯父にそれができるかと問われれば首をひねらざるを得ない。

草太もまた、茶濁しの言葉などではなく普賢下林家当主としての意向を真剣に問うている。祖父はやや肩を落とすと、ひっそりと息を吐いた。


「西浦家との縁談を、おまえは円治翁の政略の一手だと警戒していたが、わたしは別のことを考えていた…」


祖父の言葉は、意想外なところから始まった。


「それは…」

「東濃一の豪商といわれる西浦家は、美濃焼の蔵元であるばかりでなく、江戸と大阪にたいそうな店を構えるれっきとした大商人でもある。東と西、あわせて二万両をくだらない商いをしているとか」


西浦屋が東濃一の豪商であることは知っていたけれども、そんな大金を商っていることなど草太とて知りようもない。

いまの価値に換算して10億円余。国全体の所得水準をかんがみれば、恐ろしい額であることが分かる。


「草太、わたしは《株仲間》の権利株だけは、おまえに譲るつもりだった。もともとはお前が稼ぎ出した金をもとに購った株だ。ゆくゆくは三郎とともに分家させて、おまえの立ち上げた製陶業を納得のいくまで存分に追わせてやるつもりだった。祖先の田畑を守るだけの古い林家のみを太郎に継がせておけばよいと……そう考えていた」

「…でもそれが林家の財産であるのなら、次期当主の太郎伯父が手放すことなんか認めるはずがないし」

「…まあ、継ぐ側から見れば、それが当然の考え方なのだろうな。説き伏せようにもいっこうに耳を貸そうとしないあの石頭にもほとほと困ったものだが……折りよく飛び込んできた西浦屋からの縁談を奇貨として、わたしはいまの《天領窯》など比べるべくもない、西浦の二万両の家産を太郎に示した。ひと一人の手では、二兎は追えぬ。ならば入り婿となって西浦屋の家産を切り取ってみせよ、と。大店の主人と成りおおせて《天領窯》の新製焼をその店先に並べて見せろ、と」


それがあの舞台の内幕であった。

あの縁談に草太が祥子の将来を懸念していた一方で、祖父は草太の将来を切り開こうとあの場に望んでいたのだ。想いが掛け違ってしまったために起こったあの一件が、祖父を内心どれだけ打ちのめしていたか……もともと痩身の祖父の、さらに肉が薄くなったようなその容貌が、悪い顔色が明らかな疲弊を示している。


「事前におまえには言っておいたほうがよかったのかもしれん。わたしの配慮不足がおまえを殺してしまうところだった…」


祖父の想いが胸に迫って、草太は知らず肩を揺らしていた。目から熱いものがあふれ出して、そして静かに泣いた。

涙は草太の中のどろどろした澱をきれいに流し落としていった。



***



(…オレはもう太郎伯父に『敵』と認識されてしまったにちがいない)


当主の諮問に堂々と受け答えし、あまつさえその意向に意見するわずか七つ(数え)の甥っ子は、太郎伯父の常識の範囲を軽々と逸脱していたことだろう。

権利の不当な侵害者……太郎伯父の怒りの向こうにある理屈は、そんなところであるのだろう。

次代の跡目と目され、将来安泰であるはずの太郎伯父が、才気煥発なこの『鬼っ子』を恐れたのは、儒教的な『長子相続の思想』とこの時代両輪となるもうひとつの別の価値観……『お家大事』と呼ばれる、特に武家社会において影響力の強い思想が、廃嫡の可能性を示唆したからに他ならない。

草太自身、笠松郡代の岩田様に、「養子にこい」と誘われたことのあるクチである。おそらくあの岩田様にもおのれの実子がいたに違いないのに、それでもなお草太の才覚を見込んで養子にとあのとき口にさせたのは、まさしく『お家大事』のためであった。


『お家大事』


それは太平の世の武家社会において、もはや信仰と呼んで差し支えないぐらいに定着した考え方である。

面子にこだわり見栄ばかり大きい武家は、実入りに対してとかく過大になりがちな『家格相応』の出費に苦しみ、どこも外聞には漏らせぬ窮状にあった。先祖伝来の血筋だけを誇っていても、家はますます困窮するばかり。由緒正しいおのが家の権威を守るためには、家格にふさわしい出費に耐えられるだけの才能ある跡取りが必要だった。

上役に才覚を認められ役職を累進すれば、おのずと役高と呼ばれる臨時収入が得られることになり、貧しさを解消できたからだ。

ぶっちゃけこの時代、武家は養子を取りまくりだったりする。先祖の血筋が絶えることよりも、お家の威光が保たれることのほうがより重要だったのだ。

ひるがえって、この普賢下林家では…。


(勝って当然の跡取りレースに、突然ダークホースが現れたってわけだ)


祖父の態度が微妙に変わり始めたのを、太郎伯父は敏感に感じ取っていたのだろう。それは太郎伯父にとっては青天の霹靂、もっとも信頼する相手の裏切りに近い感覚だったに違いない。

草太がおどろくべき手柄を立てて普賢下林家に新しい風を吹き込むほどに、周囲の家人たちはその功績をはやし立てる。当主はあの大地震のおりに家の差配をあんな小さな童に任せたりする狂いっぷりであった。口下手な太郎伯父は知らぬところでどんどんと追い詰められていったに違いない。

『跡取り』は、総領として財産のすべてを掻っ攫っていく。

そして廃嫡の可能性…。

それは太郎伯父にとって、約束されていた未来を根こそぎ奪われるのに等しい恐怖であっただろう。


(そうしておじい様は……林家の跡取り問題を解消すべく、西浦屋との縁組で太郎伯父を『娘婿』としてあちらへ押し込むつもりだった…)


祖父の意図に多少なりとも気付いていたのなら、あのとき太郎伯父が口にした「すべて父上にお任せいたします」という言葉は、当主の意向に屈従を示していたことを意味する。

祖父と太郎伯父との間で一定の妥協が成立しかかっていたあの瞬間、むろん太郎伯父の内心にはマグマのような怒りが煮えたぎっていたことだろう。

それを草太の不用意な提案が、一気に決壊させたのだ。


(全部、オレの浅はかさが呼び込んだようなものだ…)


すでに立場的に不安定になりかけていた太郎伯父にとって、林家の鬼札とも言うべき草太に対するあまりな狼藉は、一気にその評価を落としてしまう致命打となってしまっているだろう。

もはや草太の分家だけできれいに片がつく話ではなくなってしまったのだ。


(もう何が問題だったかは把握した……後は決めたとおりに動くだけや)


ようやくおのれのあるべき場所である《天領御用窯》の窯場に復帰して、牛醐の絵付け小屋で物思いにふけっていた草太は、牛醐に話しかけられたのを踏ん切りに縁側から飛び降りた。


「その唐草の模様はいいね。今度そいつで作ってみよう」


牛醐のうれしそうな返事に手を振って、草太は歩き出した。

その周囲ではしばらく姿を見せなかった鬼っ子の変わらぬ様子を見て、職人たちの表情に笑みが浮かんでいたことに彼は気付いていない。草太なくしてこの窯が立ち行かないというのもまた明白なことであったのだ。


たくさんの感想ありがとうございます(^^)

やっぱりひとの愛憎、人間関係のあやは、人の心を震わせるのでしょうね

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― 新着の感想 ―
あほくさ。 主人公を嫡男として登場させるだけでよかったじゃん。 そういうご都合展開というか必然性のなさがあほくさを感じさせる。 投稿してて恥ずかしくないのかな、こんなに立派な自慰行為を他人に見せつけて…
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