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陶都物語~赤き炎の中に~  作者: まふまふ
【小天狗起業奮闘編】
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039 縁談






人の口に戸は立てられないものである。

将軍と草太ら《天領窯株仲間》の面会は、身分の差から本来ならばありうべからざるものであり、偶然を装ったとはいえ交わされた両者の非公式な面会は次第に尾ひれを付け加えながら周囲に伝わり、全国津々浦々に拡散していったようである。

地元に帰郷し生産体制の強化に腐心していた草太のもとに、噂の『根本新製』を一目見ようと向学心の高い同業者や好事家、笠松郡代役所からの視察役人に美濃焼に専売権を持つ尾張藩の勘定方役人など、まさに千客万来のていで来訪者があとを断たないようになった。

いささか過剰なほどに価値付けされてしまった『根本新製』に群がる人々は、概して身分の高いものや資産に恵まれた富裕者であることが多く、対応も門前払いなどもってのほか、上客として扱わねばならないことが多かったものだから、その対応に草太は大いに難渋することになった。

『根本新製』が国内で他に例を見ない未知の原料による新磁器であること、製品のラインナップが本来あるべき和食器だけにとどまらず、海の向こうの南蛮食器にまで及んでいることなどもすでに知れ渡っており、たいていの来訪者はそれらの基礎知識を当然のように仕込んでやってくる。生半可に知識があるものだから余計にたちが悪い。

お決まりのように仕込んできたにわか知識を客に披露され、それを接客側はやや引き攣りつつも受け答えするという状況があまりに多くなったことで、草太は頭を掻き毟りつつも見学者用のサンプルを用意して、システマチックに対応する前世工場見学的な体制を整えることとなった。

むろん国内ではほとんど未知の物である『洋食器』の秘を極力漏らすまいと、和洋どちらにも相通じる『皿』に絵付けを施したものを幾点か用意し、実物を見せねば揉め事の起きそうな厄介な客に対して『あなただけ特別ですから』的に閲覧許可レベルを数段階に分けて、極力出し惜しみしつつ『秘蔵品』をチラ見せすることにした。


「ほほう、これが噂の『新製焼』ですか…」


洋食器の形状についての情報は開示しなくても、見る者が見ればその磁器の肌色が他の産地の自然陶石を原料としたほの白いものと違うことにすぐさま気付いてくれる。

骨灰(リン酸カルシウム)を主成分とする『根本新製』は他の国産磁器に比べて暖かな乳白色をしている。さらにはよりガラス質で、透明感も強い。

じろじろと穴が開くほど検分していく客らは、なまじ精通しているがゆえにその磁肌の性質の違いが『根本新製』の高評価に繋がっているのだと勝手に評価してくれる。海外に対して『洋食器』であることの訴求力の強さを誤解してくれれば、『根本新製』の優位性はしばらく崩れることもないだろう。

客らがおのれの理解しやすい方向にコロリと勘違いしていく様をわずかな清涼剤として、草太は面倒な接客に耐え続けていた。



***



安政年間(1854~1859年)は、まさに幕末の激動を予感させるなかなかに賑わしい時期である。

『嘉永』から『安政』への元号の変更は、当時の孝明天皇による。

理由はあの大原の地も襲った大地震、安政東海、東南海地震……激甚な被害をもたらした天災を『厄』とみなして、元号の名とともに厄払いを行ったわけである。

安政の地震を境に『嘉永7年』が『安政元年』と改められ、国の祭司としての天皇の祈りが天に捧げられたわけであるが、この『安政』という元号が江戸時代二百有余年のなかでもとくに政治的な騒憂の激しくなる季節に当てられたのは皮肉というしかない。

黒船の来航に始まり、鎖国体制の崩壊、改革派と保守派の思想的確執の始まり、そして井伊直弼による安政の大獄……まさに時代がカタストロフに向って流れを速めていくあわただしい年間であり、『まつりごとを安らかしむ』願いとはまさに対照的である。

美濃の片田舎にいても、時代の趨勢は口さがない庶民の噂となって盛んに流れてくる。草太の耳にもいくつかの歴史的キーワードが、出入り業者経由で届いている。

いわく、幕府が泡を食ったように奇天烈な政策を乱発している、と。

黒船に対抗すべく技術者を養成する後の海軍となる『長崎海軍伝習所』、軍制改革に対応するために設けられた同じく後の陸軍となる『講武所』、進んだ西洋の技術を研究する後の東京大学となる『洋学所(蕃書調所)』などが次々に開所され、西洋砲術の積極導入、和船の発展を阻害していた大船建造の禁もあっさりと解かれてしまうのだという。

この当時の老中首座阿部伊勢守を始めとする幕閣の有能さを示し得る、矢継ぎ早な改革……歴史上でいう『安政の改革』は、鎖国というゆりかごで惰眠のなかにあった中世封建社会をしたたかに蹴っ飛ばすこととなった。おそらくその幕府が示した危機意識は、雄藩の陰に隠れて国難を他人事のように眺めていた蒙昧な中小大名家も横っ面を張り倒すように目覚めさせたことだろう。

脳内で幕末カウントダウンを続けている草太ですら、動乱の予感に戦慄したのだから、何も知らされない一般庶民に不安が広がっていったのも仕方のないことであった。

《天領御用窯》を警護する役人たちもどこかしら雰囲気が刺々しく、行き交う村人の顔にも緊張が貼り付いている。熱気のこもる窯場で立ち働く職人たちもどこか落ち着きなく、普段ならやらないケアレスミスで物を取り落としたり小屋の入口で躓いたりという絵をよく見かける。

絵付け小屋の縁側に腰を下ろして腕組みしている草太に、新作の絵柄を幾点か示しつつその指示を仰いでいた牛醐は、ひとつまみ塩を利かせた白湯をすすりながら、


「黒船いうんは、それほど恐ろしげなものなんですかねえ」


とつぶやいた。

草太は偉そうに口をひん曲げて、


「それひとつでどうこうってもんやないけど、それなりに数を持ってこられると、海ではとても勝てんと思う」


などとつぶやいた。 

何気なく言っているようで、実はそれなりに詳しくないと口に出来ないような内容であり、この場合は完全に無自覚である。


「黒船を見はったんですか」

「黒くはなかったけど、すくうなあは見た。ロシアの紅毛人も見た」

「徳川様だけでも与力が八万騎もいはるんでしょう? 海がダメなら陸地で戦えばええんじゃありませんか」

「単純に戦うだけなら負けんけど、ダメやわ。大砲撃たれただけでもうすっかりびびってまっとるし」

「南蛮人はそんなにもすごいんですか」


少しだけ口をつぐんだ草太が、肩越しに牛醐を見返して、


「…先生も、興味あるんですか」


と問うと、牛醐は赤面して頭を掻いた。

安政2年9月1日(1855年10月11日)、草太たちが江戸から帰郷して数ヵ月後のことである。


「先ほどからなにを考えておられるのですか」


腕組みして難しい顔をしている草太の様子に、なにか窯に問題でも起こっているのではないかと牛醐は心配したらしい。黒船云々は草太が好きそうな話題であったために軽いネタ振りのつもりで口にしたのだろう。


「黒船もそうだけど、世の中いろいろあるものだなって、少し物思いにふけってただけやよ」


少しだけ苦笑いして縁側から飛び降りた草太は、


「その草花の模様はいいね。今度そいつで作ってみよう」


と牛醐の膝先に置かれた図案のひとつを指差した。「やってみましょう」と請合う牛醐に手を振って、草太は絵付け小屋を後にした。

物思いにふけっていたのは本当のことである。ここのところ頭を離れない悩み事で、気がつくとそのことをよく考え込んでいる。

端緒はほんの数日前のことである。

歴史が動き出そうとしているその地方の片隅で、普賢下林家にも家運を左右しそうな座視しえぬ動きがあったのだ。

その動きとは、降って沸いたような意外な『縁談』であった。




「西浦家との、縁談ですか」

「おまえも知っている相手だが、あのご令嬢だ」


笠松郡代、岩田様からのそれとない『お話』であったらしい。

交流のない普賢下林家と西浦両家の間で自然発生するような話でもなく、それは笠松郡代様のお取り計らい……利権絡みでぎくしゃくする両家と美濃の焼き物業界繁栄を(かんが)みてのお話であるそうで、筋的に断れるような話でもない。

祖父の貞正に呼び出されたのは草太だけではない。隣には同じように長男の太郎伯父が背筋を伸ばして正座している。

それはなぜか。


「お話、お受けすることにした……太郎」


林太郎左衛門貞利……普賢下林家三兄弟の長兄である。

次兄の次郎が結婚しているのだからその上である太郎が既婚でないわけもない。が、現状太郎に伴侶の姿はない。

なぜ独身であるのかその理由を草太は知らない。関心がなかったというのが大きな理由だけれど、まだ三十路に入ったばかりの年齢であるから、確かに普賢下林家の世子として再婚というのは当然あって当たり前の話だった。

ただ、その相手があの祥子お嬢様であったことがいささかの衝撃を草太にもたらしていた。


「草太の嫁にとも話はあったのだが、相手は13、7つの草太相手には少しつりあわぬと、改めて太郎、おまえの名を挙げておいた。…そろそろ新しい嫁を探さねばと思っていたところに渡りに船であったのかもしれん。どうだ、太郎」

「すべて父上にお任せいたします」


祥子お嬢様と太郎伯父との縁談……少し胸がざわつくことはあるけれども、話自体はそれほどおかしなものではない。なぜに自分までここに呼ばれたのか、そこに引っ掛かりを覚えていた草太であったが、次の祖父の言葉でそれは氷解した。


「西浦屋との縁組、おまえはどう考える。草太」


普賢下林家の家運を握る製陶業の指揮を取る草太の発言権は、祖父をして『お伺い』が必要と判断させるほどに大きくなっているのだ。

現状敵対的な商売敵である西浦屋との縁談である。経営判断というものがあってしかるべき話でもあった。

彼の言葉で、あのご令嬢の運命さえ左右されることになる。

あのとき語らったデザイナーの夢も、この時代の婚儀はおそらくは無残に蹂躙してしまうのだろう。


「ぼくは…」


草太はそこまで口にして、そして言葉を失った。


現在『賛否両論』あるシーンをああでもないこうでもないといじり倒しているところです。改稿作業でずっともみもみしていた二大区間でして、まだ開通しておりません。

更新が滞ることもあるかと思います。そのあたりご容赦くださいませ。

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