011 焼物との再会
いやいや、だめだだめだ。
草太は次郎の腰帯を引っ張って、引きずるようにして枡酒屋を出た。もうすでにそこで品物を揃える気満々だった次郎は、言う事を聞かない甥っ子の頭にゲンコツを落とした。
「ここなら何だってあるだろう! ここで買っちまやいいやんか」
よほど言いつかった用事がめんどくさいんだろう。すでに中天をしっかりと過ぎてしまった日を見上げてから、また名残惜しそうに出てきたばかりの酒屋を見る。暖簾の向こうで、酒屋の店主が愛想笑いを絶やさず見送っている。
次郎の気持ちも分かる。
分かるからこそ、草太は心を鬼にして伯父を引っ張り出したのだ。
(…おそるべし、江戸コンビニ!)
酒樽が並ぶその後ろには、薬種問屋のような引き出しが多数あり、店主は次から次へと彼が生まれてこの方この時代では見ることさえなかった魅惑の嗜好品を並べ始めると、最初に悲鳴を上げたのは彼の中のおっさんの魂であった。
コンビニという空間に入ると、人という生き物は物欲をおおいに刺激されて「買わなければ負け」的な気分にさせられるものだ。
タン切りアメには耐え切ったものの、笹の葉に包んだ練り羊羹が出てきたときには思わずこぶしを握ってしまった。
どういったいきさつでこの酒屋がコンビニ的に進化したのか分からないが、あれだ、たぶん酒の集積地である灘が関西にあるから、難波商人の商売っ気がその代理店たる各地の小売商にも伝染しているのかもしれない。
だがしかし待て。
最近(前世的に)安くはなってきているものの、コンビニは基本割高という原則はきっとここでも当てはまるはずだ。こんな田舎に値段を比べられる店など他にありはしないが、きっと割高に決まっているのだ。
ぶつぶつ文句を垂れ続ける次郎を引っ張って池田町屋の下街道筋を歩いていくと、ちゃんとした店を構えている商人は少なくとも、露天に筵を敷いて売り物を並べている行商風の者たちも多い。
たらいに貝(あれは田螺に違いない)を山盛りにした女が声を上げる横では、ウナギ(うお! 天然だ!)を商っている痩せぎすのおっさんがいる。干した椎茸を皿に盛っているのもいれば、形のいびつな瓜や鶏の卵を並べているものもある。
縁日みたい、というには人通りが少なかったけれど、その風景は草太の心をわくわくと浮き立たせた。
露天商を見つけてはすぐさま価格リサーチ。
5歳児とは思われないかわいげのないディスカウント交渉に店主らはやや迷惑そうな顔をしていたが、後ろから保護者然とついて来る『木曽屋の若旦那』の手前、それなりに真剣に応対してくれる。
(わらじ1足14文、…卵1個22文……って、高ッ)
1足編むのにどれだけかかるのか分からないが、わらじって卵よりずいぶんと安いようだ。というよりも、卵が高級品なのか。
いちいち品物の値段を確認して、さっきの酒屋の値段を評価する。
(もしもあの酒屋に戻って買うにしても、ここいらの価格帯を調べれば交渉の材料ぐらいにはなる……あの天然ウナギとか脂が乗ってうまそうだな。捌けなくたって、基本ここいらの魚料理はぶつ切りだし、問題ないだろう)
ぶつ切りの天然ウナギと一緒に煮込んだ脂たっぷりの根菜汁を片手に、きな粉をまぶした(あんまり甘くない)オハギにかぶりつく自分を想像して、よだれが出てきた。
ウナギを買うとしたら何匹いるのだろう。村中の400人からの胃袋に満足を与えなければならないのだから、1匹2匹ということはありえない。
田螺はため池に潜ればいくらでもとれるし、ゴボウや山芋なんかも郷でなんとでも調達できる…。
「草太」
呼ばれてもすぐには気付かない。
いま一度呼ばれて、ようやく草太が立ち止まる。
「もう店はないぞ」
「………」
指折り所持金との兼ね合いに腐心しているあいだに、それほど長くない池田町屋の旅籠街が途切れていたようだ。
なんとなくイメージは固まった。ウナギ5匹と、清酒を1升。あと子供用に甘味ものを少々…。
すっかりと池田町屋を抜けて、稲刈りを終えた田んぼの中を伸びていく下街道を見送ってから、草太はきびすを返そうとした。
と、そのとき何かが目に止まる。
(……?)
下街道の脇には、寄り添うように小さな水路が流れ、その斜面が崩れないように等間隔で木が植わっている。右手の土岐川の堤には、子供が群れて駆け回っている。
その松の木の根方に、最後の露天商が筵を広げていた。
その店主と、偶然にか目が合ってしまった。
「そこのぼっちゃん、どうだい、暇なら少し冷やかしてっておくれな。…この瀬戸黒、なかなかいいもんだよ」
『瀬戸黒』というフレーズに彼は反応してしまった。
見ると、その店主の正座する膝先には、色とりどりの焼物が並んでいた。
(瀬戸黒…)
前世の時代なら、模造品などゴミ屑以下、1個いくらじゃなくて1ダースいくらのものだった。
だが今は末期とはいえ江戸時代。工業的な量産技術などありはしないからそれらひとつひとつは確実に職人の手になる手作りである。某番組鑑定士がいい仕事してます的な評価が飛び出してくるかもしれないアンティーク陶器。
草太は吸い寄せられるようにその露店の前にしゃがみ込んだ。
「瀬戸ものに興味があるなんて、まだ小さいのに大したもんだ。…興味があんなら、その手にとって見てみるかい」
ひょいと渡された。
草太の小さな手にはいささか大きすぎる器。
漆黒というよりも、木炭を磨いたような黒。その冷たい重さが、彼の中で忘れかけていた感覚を少しずつ呼び覚ましてゆく。
手のひらに包んで、人の手と炎が作り出した形容と趣きを確かめる。高台はやや肉厚にしっかりとしていて、どっしりとした落ち着きを器に与えている。
(瀬戸黒…)
すっかりと見入っている彼に気を良くして、店主は他の器も押し付けてくる。そちらは独特の黄色味がかった徳利である。土色と渾然となった飴釉の渋い黄色は、黄瀬戸だろう。
他に目をやると、志野っぽいぐい飲みもいくつか見つけられる。
(これが江戸時代の本物の美濃焼…)
手の中の茶碗を、中指の爪で軽く弾いてみる。にぶくガラス質な音がたった。
こうやって爪で弾くと、たいていの焼物はその正体を音で現す。飲み口を弾き、高台の真ん中あたりでもう一度弾く。
と、そこでさっきとは違う軽い音がした。
(こいつ、高台を削りすぎだ。底が薄すぎる…)
器の下のドーナツ状の足の部分を『高台』という。その部分は、器を作ってしばらくした後の半乾きのときに、ろくろに逆さに乗せてカンナで削り出す。
その削りの過程で、粘土を削りすぎたのだ。
完全な失敗作。
この露店の店主も、まさか目の前の5歳児が精神年齢三十路半ばのおっさんで、こと陶磁器に関してはそれなりの経験値と鑑定眼を持っていることを知らない。
手作りの茶碗だから、失敗することは仕方がない。
この『瀬戸黒』は、失敗作だ。
「ぼっちゃんはまだ小さいから焼物の良いもの悪いものが分からんやろうけど、それはかなり良いもので…」
「ふーん」
「瀬戸黒なんて、たいていはお上に納めるか多治見郷の西浦屋に買い取られてなかなか出回らないもんだけど、……ああ、ぼっちゃん! 扱いは少し丁寧に! …まったく、これだから小さい子供は」
「そういうあんたも十分ガキじゃん」
「………」
その露店の店主は、どうみても草太のひとつふたつ上ぐらいにしか見えない子供だったりした!