031 変化の兆し
いま美濃でもっとも勢いのある窯元とはどこか、そういう問いがなされたならば、業界人は皆口をそろえて「根元の《天領御用窯》や」と答えたことであろう。
まだその窯が作り出した正規の商品を一度も見たことのない人間が大多数だというのに、そんな雰囲気が醸成されているのはまさに異常のひとことである。
こういう品なのだろうと類推ぐらいはできる焼き損じの磁片は多く出回っているのだけれど、絵付けまでが完全になされ、外国の全権使節が目の色を変えたという完成品は地元では《天領御用窯》関係者以外に見たものはなかった。ゆえに幻のような『勝ち馬イメージ』が勝手に一人歩きして……近隣の村々から雇用を求めるものたちが《天領御用窯》の門前に押し寄せるという椿事が出来したのだった。
遠因は安政の大地震による窯崩れから今なおよくは立ち直っていない、地元産業の体力のなさであったろう。冬の農閑期に貴重な収入源となるべき美濃焼が稼動を上げることが出来なかったのだ。多くの職人が急激な収入減に窮し、口に糊する生活苦の中にあったわけで、以前下石郷の職人たちが流れてきたのと経緯は同じであれど、そのときと大きく違ったのは彼らが「西浦屋ににらまれる」ことすら覚悟してやってきていたということである。
「やつら、てこでも動かぬつもりのようです」
「草太殿が見えられる前に、どうにかして追い払っておけ」
《天領御用窯》が多少の金ではとうてい『転ばぬ』と知れ渡ってから怪しげな行商の姿は少なくなったものの、その代わりのように近隣諸郷からやってきた美濃焼職人たちが窯関係者の出入りを待ち構えているようになった。
余所者とはいってもしょせんはごく身近な土地のものである。血縁者は多いし友人の友人とか知己の類はまさしく田舎社会らしく強固に繋がっている。
むろんそうした『コネ』で関係者とつなぎを取ろうとする者はあとを絶たなかったが、機密漏えいを恐れる《株仲間》の決定により、根本代官の坂崎様の姻戚すらも弾かれるというほどで、《天領御用窯》に採用されるためには恐ろしく厳しい実地試験と面接が、そしてそれらを受けるために必須となるのが『大原の庄屋の孫の太鼓判』だというまことしやかな情報が彼らには行き渡っていた。
ゆえに彼らがまなじりを決して『出待ち』しているのはその大原の鬼っ子であったりする。
ほとんど窯場につききりの草太とはいえ、寝床はやはり普賢下の屋敷であるわけで、その出入りのたびに代官所の衛士たちは露払いよろしく職人たちを追い払っていたのだが、時にはそれが間に合わないときもある。
「草太様だ!」
職人の一人がそう叫ぶと、追い払われつつあったほかの職人たちも俄然勢いを取り戻した。
「ろくろには自信あるし! 雇ってくれ!」
「窯大将やっとった五郎左いうもんや! 職人も大勢おる! まとめて連れて来たるぞ!」
「品野(※瀬戸の産地のひとつ)から来た! どうかオレを雇うてやってくれ!」
「草太様ッ」
「鬼っ子さま!」
その騒ぎを目にした草太は、最初うわっという顔をしたのだが、すぐに顔を拭うようにうろたえた様子を消して、おのれの安全を図るべく衛士たちの層の厚いあたりを捜してカニ歩きに移動する。
口々にがなり立てる職人たちは大声こそが訴えを届かせると信じているのか、のどが張り裂けんばかりに声を上げている。思わず耳を押さえた草太は、衛士たちのバリケードの隙間から手招きして若尾様を呼ぶと、耳打ちした。
頷いた若尾様が、一喝して職人たちを黙らせた。
「草太殿からお話があるそうだ。静かにいたせ」
ほとんどの職人が自然と土下座状態であったので、ちんまい草太の目線と期せずして同じ高さでぶつかった。
「こんな子供がえらそうなことを言うけれど、少しだけ我慢して聞いてほしい。…ここは江吉良林家2000石の封領や。そしてこれは笠松郡代様によって取り決められたことやけど、同じ濃州、同じ幕領ではあっても、この窯で作られる焼き物は『美濃焼』やない。…『根本新製』は《株仲間》の合議によりこの土地では独歩しとる。現状、多治見郷の蔵元、《美濃焼総取締役》西浦屋さんにはずいぶんと迷惑をかけとるやろう……そのうえ職人を引き抜くなんてことはとうてい許されることやないと思う」
一息にそこまで言って、職人たちの様子をちろりと伺う。
たいていちんまい6歳児が小難しい言葉を連呼するとあっけに取られるものだが、もう大分と大原の鬼っ子が普通じゃないことは浸透しているのだろう、息を呑みつつ次の言葉を待っている雰囲気である。
まあいまだに荷継ぎ屋と取引が出来ないままの《天領窯株仲間》にとって、それを主導していると思われる西浦屋は明らかな現地商売敵である。希少品商売ゆえ運ぶのにそれほど難儀することはないとはいえ、その商売敵を引き合いに出したのはむろん嫌がらせのためである。
叩き合いをしているのであるから『やり返す』機会があればそれを逃す手はなかった。
草太の口許にやや悪い笑みが浮かんだのに気付く者はいない。
「西浦屋さんと取引のある窯の人間は、もしそれでもうちに来て働きたいと言うのなら、西浦家当主、西浦円治殿からその旨差し許すと『紹介状』を貰ってくるように。その紹介状のないものは一切取り合わないので、そのことを他の人たちにもお伝えください」
「西浦屋さんの! って、そりゃ無理やわ」
「出してくれるわけないわ!」
「出してくれないと言うのであれば、それはあなた方がそれだけ西浦屋さんから「必要とされている」という証しやないですか。その信頼を裏切ってまで勝手しようという人ならば、たぶんうちに来てもやっぱり「勝手」するひとやと思わなあかんし。そういう信用の置けん人を雇うつもりはないし」
「……ッ!」
面倒ごとはあのクソじじいに投げ返しておいてやろう。
このなかの何人がバカ正直に『紹介状』を貰いにいくのか分からないけれども、それへの対応が確実に『めんどくさい』のは日を見るよりも明らかである。たぶん技術のそれほどでない職人の一人や二人、離職しても痛手ではないだろうけれど、《美濃焼総取締役》の沽券にかけて、裏切りを差し許すなどと言う紹介状を外部に出すことなどありえない。
円治翁の苦りきった顔が思い浮かんで、草太自身めんどくささの中にわずかに喜びを見出すことに成功する。
「それではオレらはどうなんや! 品野から来とるし、西浦屋さんは関係あらへんぞ」
そこで勢いづいたのが尾州からの越境組である。
草太はそちらの方を見て少しだけ思案するように首をひねってから、前世の技術職の入社試験そのままにハードルを上げてみることにした。
「高級品を扱ううちにへたくそはいらんし。どうしてもうちに来て働きたいって言うんなら、「自分にはこのぐらいのものが作れる」っていう証明を持ってきてくれる? 品野の窯で働いとる人なら、そうやな……自分で作った『瀬戸新製』を持ってきてよ。自分で作った証明に高台のところに呉須で署名して焼き上げたやつを、こちらの窯の人間に預けてくれたらいい。そうしたらちゃんと物を見て決めるし」
「なるほど、オレらは焼いた新製物を持ってくりゃいいんやな!」
こちらの採用基準は非常に明快なものである。
瀬戸新製なら磁器扱いだし下絵つけとして絵付けの技量も測ることができる。高台のところに署名というのが味噌で、呉須を扱うパートにいないと署名ができないという単純な縛りである。いま《天領御用窯》が欲しているのは絵付けの技術者であるのだ。
草太じきじきに採用の条件付けをなされたために、ともかく納得したふうの職人たちがぞろぞろと帰り始めるなか、ひとつだけ強い視線を感じて草太はそちらのほうに顔をやった。
「おまんみたいなちんちくりんの、どっからそんな偉そうな言葉が出てくるんやろうな…」
大人たちの後ろにいたから気づくのが遅れたようだ。
そこにはやや俯き気味にこちらを睨んでいるひとりの子供の姿があった。頬の肉はそげて眼も落ち窪み、目ばかりがぎらぎらとしている。
「弥助やんか。…どうしてここに」
「おまんはこれ見て、どう思う?」
弥助は懐に手を入れながら、片膝立てに立ち上がった。
その取り出した茶色いシミで薄汚れた布の塊なかから、ひとつの焼き物が姿を現した。
真っ白いその小さな器は、日本酒とかを注ぐぐい飲みのように見える。骨ばった手がそのぐい飲みを草太に押し付けて、ただ熱に浮かされたようにじっと彼の反応を待っている。
草太は手に取ったそのぐい飲みを品評すべく目の近くに持ち上げると、なかの小さなくぼみの中に微細な絵付けが施されているのを発見する。
「磁器を焼いたんか」
「《西窯》でも磁器は少し焼いとるんや。陶石があんまり手に入らんし数は少ないけど……それで、そいつを見てどう思う?」
ぐい飲みの底に描かれていた絵は、呉須の鮮やかな青で表された一輪の牡丹であった。
素焼きの素地に絵の具を乗せる下絵付けは、すぐに水を吸われてしまうために、不慣れだと重ね塗りしてしまうことが多い。当然ながら重ね塗りするほどに濃く発色してしまい、色合いの均質性と下絵塗りの美しさの一つである淡いぼかしが損なわれる。
その性質を計算しながら描き上げねばならないので上絵付けとは別種の難しさがある。
弥助の稚拙な筆運びを見るに、線幅も一定せず微妙に撚れている。塗りも呉須の置き方に難を残していて、斑があまり美しくない。
が、しかし。
(…なにか鬼気迫るような迫力があるな)
技術的には頼りなくはあるものの、そこに気持ちを乗せようとしている執拗な描き込みは、まるでヨーロッパの銅版画のような独特の空気を作り出している。
手に持ったぐい飲みの造形にはほとんど問題はない。ただ薄手の造りなので、熱燗を飲むときに少し気をつけねばならないことぐらいが問題となるだろう。重さも手ごろである。
(こいつはもしかしたら、いつかものになるのかも知れん……惜しむらくは、《西窯》が磁器原料に恵まれてないことか)
若干粒子感を残したざらついた素地は、純白というよりも薄灰色、不純物を多く感じる。磁器に適した陶石は産地が限られていて、安く買い叩かれる運命にある美濃焼窯に材料を他で買い求める余力はないのであろう。
(こいつ、よく見たら青あざが出来てる……窯で殴られてるのか)
弥助はただ草太の評価だけを待っている。
その痛々しい青あざがこのぐい飲みを作ったせいでできたというのならば、このやせ細った鬼気迫る雰囲気もたぶんそうであるのに違いない。貴重な陶石を弥助のような子供が浪費することに雇い主がどんな反応を示したのか、《西窯》の経営状態も考えれば想像に難くない。ここに持ってきているぐい飲みは1個でも、実際には試行錯誤も含めてその十倍以上の数を焼いてきているはずなのだ。
草太は弥助の眼差しを見返して、何度も何度も、無為と思えるほどに言葉を吟味し続けた。自分はこいつになにを求めているのか。これからは磁器だと背中を押したのも草太自身なのである。
「磁器の色が白くない……絵付けも筆の乗りがまだまだや。呉須の発色もにすい。…やけど、全体としてはそんなに悪くない」
「そ、そうか」
「絵付けはそのうちにものになるかも知れんけど、まず土が悪い。陶石の粒が粗すぎる」
「それは……ぜんぶオレの手で挽いとるからや。水漉もうまくいってないから粘りもあらへんし…」
「スイヒも満足にやってない磁器なんて商品以前やと思う。お客はたぶん変わった本業(陶器)焼きぐらいに思うやろう」
「……ッ!」
相手が真剣なのだから、ここで草太が偽りの評価を下すのはよくないだろう。
いまはまだ結果を伴っていなくても、こいつの情熱はいつか美濃焼を発展させる大きな原動力となるはずであった。
《天領御用窯》に引っ張るほどの技術はない。しかし歳も近いためか、弥助の焼物に対する情熱には大きく共感するところもある。
(在庫のスイヒ粘土をこっそり分けてやるか…)
わずかに仏心を見せようとした草太であったが、そのとき予想もしないところから声がかけられて、草太ばかりでなく弥助までもがぎょっとしたように目を見開いた。
「土が悪いだけなんやったら、ここで雇ったげたら!」
声のしたほうに目をやると、いつの間にここにいたのか、西浦屋のでこ娘がやたら偉そうにない胸を張っていた。
「祥子ならきっとそうするわ」
祥子お嬢様はそう言ってから、フリーズしたままの子供たちの様子に気付いて、慌てたようにぱたぱたと手を振った。「そう祥子が思っただけよ!」見た目ほど自信がなさそうなのは祥子お嬢様クオリティであった!
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