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陶都物語~赤き炎の中に~  作者: まふまふ
【小天狗起業奮闘編】
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029 綱紀を正して






安政2年3月28日(1855年5月14日)、《天領窯》は株仲間合議の末、その名称を《天領御用窯》と改めることとなった。


名称の変更に当たって、関係各位にその旨の説明が行われたわけであるが、『御用』の2文字を入れることの重大さを知らぬものなどありはしなかったので、そこここでひと騒動が起こったのはむろん言うまでもない。

ある者は頭から嘘と決めてかかって使者に食って掛かり、またある者はその証拠を見るまで納得しないと《天領窯》の窯場にまで押しかけた。

そうして美濃で唯一の尾張藩蔵元、『西浦屋』屋敷では、その一報に接した当主、西浦円治が驚きのあまり書き付けていた大福帳に盛大に墨をぶちまけたという。


「あれからまだ半月も経ってないやろうが!」


そんなふうに叫んだとかそうでないとか。

とにもかくにも、《天領窯株仲間》の幕府御用獲得の噂は、近隣諸郷の巷間に瞬く間に拡散していったのだった。




***




「またか」

「またですわ」


ややくたびれたようにそのやり取りが交わされたのは、最近《株仲間》の会合の場として定着しつつある根本郷の元昌寺である。

暑気のこもりやすい季節になってきたとはいえ、会合の内容が内容だけに、客間の障子はすっかり締め切られている。額に浮いた汗を手巾で拭いながら、鳩首会議が続いていた。


「またぞろ怪しげな行商がここいらをうろうろしているようですわ」

「また別のやつらやないのか。このあいだは近江の行商やったが」

「…まだそこまでは。今度のは池田町屋の下街道のほうからやってきとるみたいやし、尾張か三河のほうから流れてきとるのかもしれん。何でこんなあっという間に噂がひろがっとるのか見当もつかんが、行商どもが『御用』の話を持ち出しとるのは間違いないらしい」

「流れとはいえやつらも子供の遣いではないからな、いずれは業を煮やしてなにをしでかすかしれん。代官様に早急に窯場の警護を厚くしてもらわねばなるまいな」

「捨て場の割れくずが、最近ようけなくなっとるらしいし、夜中とかこっそり入り込んどるやつがいるのかもしれん……昼間も人の出入りが多いし、何かよい対策も考えんとな…」


人の営みなど前世の頃に比べればまだまだ質朴なものだが、金の匂いに敏い者たちはどこにでもいる。

この数日、《天領御用窯》の窯場には毎日のように怪しげな商人が訪れて取引を持ちかけてくるし、窯に出入りする人間をつけ回す不審者も多数目撃されている。村の女子供は怯えているし、祝賀ムードも抜けた窯場の職人たちもやや苛立ちを隠せなくなってきている。

《天領窯株仲間》の筆頭取締役として全てにおいて責を負わねばならない普賢下林家当主、林貞正は、会合の場を囲む株仲間を見回して、「言うまでもなく発会の申し合わせで決まっていることだが」と口を開いた。


「《株仲間》は窯の営みで得た一定の利益を公平に分配することもあるが、むろん『損』が出たときも応分の負担を仲間内で分散することになる。『根本新製』の製法の秘密を外部に漏らさば、それはとてつもない『損』となって返ってくるのだということをここで明言しておく。もしもその禁を破る者が現れたならば、これはすでに代官様と申し合わせ済みのことなのだが、《天領御用窯》最大の株主であられる江戸のお殿様に対する明確な叛意と認め、厳しく罰されることとなった」


場に居合わせた者たちは不安げに互いを見返して、生唾を嚥下した。


「主家への叛意である。これは極刑をもってして裁かれるものと思って間違いはない。つまりは《株仲間》への裏切り者というだけではなく、その家族までもが極刑に《縁座》する『主家への反逆』なのだということを理解してもらいたい」

「え、縁座やと…」

「大げさな……金だけや済まんのか…」

「そのことを周知した上で、ゆめゆめ愚かな甘言などには惑わされることなきよう、家族のもの、身近の職人たちにも注意徹底させてもらいたい」


すでに「株仲間の方のご許可を得ている」と堂々と磁片を持ち去った行商がいたとの報告も上がっていて、処罰の厳しさに色を失っている株仲間たちを見る勘定役の草太の目も厳しい。


(どうせ小遣い銭で捨ててあるごみを融通しただけぐらいに思ってたんやろうけど……そういう『副業』が高く付くってことを身にしみて分からなせないかん)


みな窯場の警備について心配しているふうを装ってはいるものの、裏では冷笑しながら舌を出していたに違いない。

代官様からの指示があったのでそのような外面を作っているだけで、ここでこうして議論していても彼らから真剣味のような熱はほとんど伝わってこない。

危機感を共有できない仲間たちに我慢を続けねばならない草太はじりじりとしてくる。彼らに真剣さが足りないのは、この『根本新製焼』開発にほとんど労も払わずタダ乗り便乗しているためであるのだろう。血を吐く思いでここまで努力を積み重ねてきた草太から見れば、殺してやりたいぐらいのバカどもである。

先の件の犯人が、袖の下を握らされた代官所与力衆の一人であることはもう職人の証言でわかっている。地震後の年越しの貧窮が背景にあるのだとしても、自分ひとりだけうまいことやってやろうというその心のありようがなんともさもしい。たとえ1株しか持たぬ木っ端株主だとしても、彼らの行動は即《天領窯株仲間》全体の評価へとつながっていく。

これからは尾張藩蔵元の『浅貞』ばかりでなく、幕府とも取引をしていかなければならないのだ。体面を気にする幕府のお偉方相手に、そうした品性に乏しい印象を持たれてしまうと、侮りを買って大切な商機を損なうことにもなりかねない。


「わずかな小遣い銭で焼き損じを横流ししとる手癖の悪い職人も一部におるらしい。…中の人間が協力し始めては抑え込むのも難しくなる。窯場での禁則はむろん周知徹底させるが、なによりも彼らの上に立つ者がまずもって範を示さねばならぬだろう。…草太」

「はい」


祖父の傍らに坐っていた草太は、その後ろの廊下に控えさせていた小者のゲンに声をかけた。そうして障子の向こうから運び込まれた大きな高札に、株仲間たちが大きく息を呑むこととなった。


「《天領御用窯》は、半ば『民』であるが半ば『公』でもある。ここにそれは明らかにされ、この禁を犯さば根本代官所の白洲に引き出されるものと覚悟されよ」


草太の言葉に、会合の場は水を打ったように静かになった。

ただ背筋を伸ばしただけのちんまい6歳児の姿に、株仲間たちが息を飲まれたのは、ひとえにその気構えの強さの差であっただろう。ここ数日の気鬱を思い出したように、草太はみなを見回して軽く咳払いした。




…時は少しさかのぼる。

この会合より数日前、下田から草太らが帰郷したときのことである。

持ち帰った『幕府御用』の土産に羽目を外したようにお祭り騒ぎとなった郷里の様子に、最初は調子を合わせていた草太であったが、その騒動が長引くほどにめっきり口数を減らして、やがてふてくされたように見ざる言わざるを決め込んでしまうようになった。


「これじゃだめやわ」


功績を誉められても、ぼやく。

近頃の大原ではぜいたく品である米の握り飯を渡されても、ぱくつきながらもそもそとぼやく。

ぼやいてばかりの草太に心配した祖父らが問いただすと、

 

「なんで大切な窯場に、名前も分からんようなのがこんなようけ出入りしとるのか、疑問にも思わんとかあり得んて」


そう言って草太はぷりぷりと怒りを吐露した。

にわかに起こった村を挙げての祭り騒ぎに、その中心部たる《天領御用窯》の窯場が集会の中心になるのは避けられなかった。みな暢気に騒ぐだけであるから、不審者が入り込んでも誰も気にしない。

この窯場には、《天領御用窯》の機密がたくさん隠されている。浮かれ騒ぐことばかりに気が行って、とにもかくにも機密を守らねばならぬという発想を誰も持ち得なかったことが草太の不機嫌の原因であったのだ。

かくしてその重要さに遅ればせながら気付いた祖父の貞正は、すぐに代官様に掛け合って窯場の出入りに規制をかけたのだけれど、時すでに遅し、もうそのときにはいくつか陶片や道具類が姿を消していることがのちに確認された。

さっそく不審者が紛れ込んでいたのが証し立てられた格好である。

かくして危機感を抱いた貞正らは、代官様に働きかけて公権力での機密保持に乗り出したのであった。代官様からの指示のもと、緩やかな警戒態勢に入っていた《天領窯株仲間》であったが、共有すべき緊張感が全員の中で等量となることはついになかったのである…。




そうして現在。

草太は持ち込まれた高札を示して、《天領御用窯》が《天領窯株仲間》とイコールであることを、《天領窯株仲間》が《江吉良林家2000石》とニアイコールであることを順を追って説明していく。

株主たちはおのれこそが《天領御用窯》の主人であるかのような錯覚を覚えているかもしれないが、株の過半を握る《江吉良林家2000石》が相対的支配権を持っていて、本家の殿様が所有者と言ってよい状態であることを理解させねばならない。

領民の一人にしか過ぎぬ『1株主』がいかに力のない存在であるのか、社主である本家の殿様が《天領窯株仲間》の意思決定権を握り、さらには公権力さえ持ち合わせる隔絶した絶対者であるのかを過不足なく理解させることが、何よりも肝要だった。

殿様の権威を持ち出すことで草太自身も少々やりにくくなるであろうが、紙防御の情報統制を一気にレベルアップさせるためにはそうするしかなかったのである。技術は漏れてしまったらそれで終わりなのだ。この動きは草太が提案、筆頭取締役の祖父が了承して代官様に働きかけて実現させたのである。


「裏切り者には厳罰を持って対処しますが、その逆、《天領御用窯》に資する貢献が大きいと評価されれば、賞禄が下されることもあります」


賞禄……いわゆる特別ボーナスだ。

鞭ばかりでは馬が走らなくなる。ニンジンも用意するのは企業家としては当然の配慮である。


「《天領御用窯》の経営が軌道に乗るまでは、まだまだひと山もふた山も大きな問題ごとが起こると思う。販売を急がなきゃならないのは当たり前だとしても、この数ヵ年は《天領御用窯》の技術的優位性、唯一無二の材質の特異性を守り抜く戦いになると思う。たぶん貢献第一等に叙されるのは裏切りを監視し、その秘伝を保持するのに一番努力した方になるやろうとぼくは思ってます」


販売の功績といってしまえば、誰も草太にはかなわない。

しかし機密保持の努力であるならば、ここにいる誰にでも払うことのできる努力である。『賞禄』という言葉に目の色の変わった仕方のない御仁がもうすでに幾人かいたりする。

ほんとうならばお上に納品する新作のほうにこそ傾注したい草太であったが、経営者としての彼にはそうした自由がなかなか許されない。つまらない議論をしていると思うのだけれど、これもまた将来に向けた組織強化のためである。


「技術が流失して、ものまね商品が出回ったとき、この株仲間は終りです。そうした破産後の負債は株数に応じて『公平』に分配されます。その『損』に家が耐えられるのか、いつか甘言を弄する者が目の前にやってきたときに、そのことをよーく胸のうちで吟味して行動されることを切に願います」


人生とは、耐えることと見つけたり、などとは諦観したくないのだけれど。

草太はため息を押し殺すように深々と頭を下げた。


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