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陶都物語~赤き炎の中に~  作者: まふまふ
【小天狗起業奮闘編】
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027 来訪者






川路様からの連絡待ちの数日。

行き違いになることを恐れ身動きの取れなかった草太の元に、意外な人物が尋ねてきた。

旅装に身を包んだ痩せた男だった。


「林草太殿と面会したい」


そう言って困惑する船宿の手代を押しのけるように2階の客間までずかずかと入ってきたその男は、窓際で熱心に下田港に停泊する廻船を観察している草太の姿を見つけて、必要以上に大きな声で事後承諾気味に「お邪魔いたす」と言った。


「それがしは本木昌造と申します。草太殿には、一度お会いしたと思うが…」


男は、あのプチャーチンの横にいた居丈高な通詞だった。

肉付きのよろしくない細い面に、目だけがぎらぎらと強い光を宿している。通詞といえば普通は学識のある文人書生のイメージがあるが、この男からはまるで桜田門外で井伊直弼を待つ水戸脱藩浪士のような、いつ暴発するか分からぬような危険な熱を感じる。

窓枠に腰掛けていた草太は、突然とはいえ知った人間の来訪を受けて対面するように坐を移した。


「林草太です。…あのときの通詞の方やね」

「長崎に帰る前に、一度《天領窯》カムパニー勘定方であられる草太殿にお話をうかがいたいと思い、迷惑を承知で押しかけさせていただいた」

「本木様は、長崎の方やったんやね」


この時代の通詞といえば、やはり長崎が多いのだろう。出島がそこにある関係上、異人にもっとも接することになるのは商館に出入りする現地の者たちである。


「それがしの専門は阿蘭陀(オランダ)語にて、露西亜語の通詞には慣れぬゆえいささかの不備があったことは詫びよう。草太殿の様子では、ずいぶんとご不満もあったようなのは分かっていた」


なかなかにエアリーディング能力にも長けているようだ。この時代の『通詞』という専門性の高い職は、当然ながらそれなりの高待遇と尊敬を払われるべきものであり、当人としてもその職分について相応のプライドを持つのが当たり前であったろう。

おのれの通詞としての能力に疑義を抱かれることは相当に腹立たしいことであったろうが、この本木という人物はそれを臆すことなくはっきりと口にして見せた。相当なプロ意識がないとこんな態度は取れなかったであろう。


「実際、長崎にもまともな露西亜語の通詞はあまりおらぬので、この程度の通訳しか出来ぬわたしに白羽の矢が立ったのだ。…これでもプチャーチン殿の最初の来日より、ずいぶんと研究したのだが……堪能であろうとするにはもっと言葉を繰り続けねば身にはつかぬだろう」

「出島に常駐する阿蘭陀人ならまだしも、交流さえない露西亜帝国の言葉を片言でも解するのは相当な研究が必要やったと思います。この黒船騒動の冷めやらぬ時期に重要な交渉の場に帯同されるだけでも、当世一等の通詞と認められているようなもの。まあ不要なご謙遜はそのあたりにして……そろそろ、こちらへお越しいただいた理由をお聞かせいただけますか?」

「…あの時も思ったことだが、ここまで弁の立つ童がいようとは日の本も広いものだ」


心持ち居住まいを正して、本木昌造は身をかがめるように顔を伏せた。

それが草太に対する一礼であることに気づいて、あわてて応じると、


「そなたに訳文を授けたという、エゲレス語学者を紹介していただきたい」

「……ッ!」


予想外の爆弾が投下された。




この本木昌造という人物。

外国語通詞というだけでモブ認識をしていたのだけれど、どうやらそうではなかったことが明らかとなった。

この人物、なんと数年前から西洋活版印刷に手を出しているというのだ。

仲間と共同で印刷機を取り寄せて、西洋文明の粋である学問書を安価に大量生産すべく画策しているらしい。機械を買って紙を刷れば出来上がると簡単に考えていたそのグループは、届いた実機を扱ってみてようやくことの難しさに気付いたのだという。

当たり前である。おそらくは解読に難を残す原本をそのまま印刷するのならまだしも、日本語に訳したものを印刷するつもりであったらしい。ということは、活版の印字を独自に起こさねばならず、無数の漢字にいきおい難易度が急上昇する。

その技術的な難所にアドバイスを与えられる外国人技術者を探しているというのだ。


(困ったな…)


むろん知り合いのエゲレス通の学者など口からのでまかせである。

ほんと勢い任せのでまかせであったので、ことの整合性など検証もされていない。日の沈まない帝国とか吹いているくせに、この時代日本国内ではずいぶんと陰の薄い印象のあるイギリス。

実は江戸時代初期、平戸の出島に商館を設置するくらいに日本進出にやる気だった彼の国なのだが、売掛金の焦げ付きとかオランダとの角逐とか問題を払拭できぬまま、ついには撤退を余儀なくされている。

こちらの回答を待っている本木昌造に、草太は面映そうに頬を掻いた。


「上方でさる先生のお屋敷で会う機会がありまして、戯れに訳してもらった一文をたまたま覚えていただけで……実は会ったというだけで相手の名も知らないのです。申し訳ございません」

「…そうですか」


ため息とともに顔を上げた本木昌造は、軽く天井を見上げるようにして瞬きした。ずいぶんとお疲れの様子です。

草太の言い訳を信じたのかどうかは分からなかったけれども、それ以上追求するつもりはないようで、印刷機を取り寄せたのちの顛末やら、その後投獄(!)された人生の波乱などを何事でもないかのように気安く語りはじめた。ちなみに投獄されていたのはずいぶん最近のことであるらしい。


「むやみに蘭学の本を頒布したのが罪に問われてな。最初に印刷してみたのが、恥ずかしながら私自身が書き起こした『蘭和通弁』という本だったのだが。それがまた印刷が汚くてなぁ…」

「印字の出来がよろしくなかったの?」

「ほとんどが手製のやつだったからな。慣れてなかったのも大きかろうが、技術的にも未知の部分があまりに大きかった…」

「金属の印字は鋳込みやからね。慣れないとそういうのは難しいと思うよ」

「…活版印刷にもずいぶんとお詳しいようですな、草太殿は」

「…ああ、今日は船出には絶好の天気ですねー」


空々しく話の腰を折ってみる。

バカが見るブタのケツ、なんだかそんなようなものを幻視したような気がする。少しは自重しろ、オレ。

日常に印刷物が溢れていた前世の知識が生半可にあるだけに、普通に不用意な言葉が出てしまう。

恐る恐る本木昌造のほうを見てみると、案の定うろんげにこちらのほうを見やっている。


「活版の印字は鉛を鋳込んで作るもの。型を作り流し込むだけと簡単に思っていたのだが、母型がうまく出来ぬと印刷面がでこぼこになって印刷にムラが出る。時間をかけて削れば何とかはなるのだが、それでは手間と金がかかりすぎてとうてい手に負えなくなる」

「ぼくのような童に聞いてどうなる話でもないと思うけど…」

「普通の童ならばそうだろうがな……何か手がかりのようなものを持っているような気がしたのだ……草太殿ならば」

「………」


たしかにいくばくかの知識は持ち合わせている。

同じ工芸品である鋳込みの技術もある程度知っているので、溶けた鉛を流し込んで作る活版印字の作業風景は想像できる。そしておそらく本木昌造らが技術的困難に至っている要所も推定できる。


(蝋で型取りした『雌型』を、金属の熱に負けない材質のものに置き換えるのが難しいだろうな…)


実にめんどくさい工程なのだが、最初の母型はたぶんツゲのような木を削った印鑑のようなものなのだろう。材質が木なのでそれに直接溶けた金属をくっつけるわけにはいかない。いったん蝋で『雌型』を取り、それをいくつかの手順を踏んで耐熱性の高い材質に置き換えていかねばならない。

マンホールの蓋などは原型を突き固めた砂に押し付けて型を作り、そこに金属を流し込むだけで完成する。マンホールなど大物であるならばそれでもいいのだけれど、さすがに活版の印字ともなると砂のブツブツが出てはまずいだろう。


(…ん? 耐熱性?)


そういえば焼物こそ耐熱性素材の王様だよな。

いずれはもっと適切な手法が出てくるだろうけれど、技術的過渡期のリリーフ役ぐらいならばできるのかもしれない。


「『雌型』の作り方で困ってるんだったら、キメの細かい粘土に母型を押し付けて焼いてみたらどうです?」

「…粘土?」

「長崎なら名産地がいくつもあると思うけど。そこで雌型を焼いてもらったらどうですか? もちろん水蒸気の出ない本焼成で……鉛程度の融点なら、ひびひとつ入らんと思うよ」

「焼物……そうか!」


かっと目を見開いたかと思うと、本木昌造は慌てたように立ち上がった。

この時代に多い熱情系の人物は、たいていせっかちなようである。

顔を紅潮させて草太に一礼したかと思うと、寸暇も惜しむように船宿を飛び出して行った。




そのせわしない背中を見送ってほっとため息をつく草太の横で。


「こういうやつなんや。分かったか」


啞然としているゲンの肩を、次郎伯父がぽんと叩いていた。

何が分かったのかはあまり知りたくはない。


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