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陶都物語~赤き炎の中に~  作者: まふまふ
【小天狗起業奮闘編】
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023 戸田村の異国人






『小早』とは『小型の早船』の意で、古来からの軍船でもある。

小さい船といっても手漕ぎボートのようなものよりはぐっと大きく、両舷に漕ぎ手を10人以上並べて結構なスピードで水上をすべるように進んでいく。

下田港を出て波の荒い外海に出たときにはやや緊張したものの、さすがに陸地からそれほど離れるようなこともなく沿岸部をなぞるように進み、乗り心地も多少は揺れるものの割合に安定している。

船中で最も地位の高い『川路様』は船の後ろ寄りのあたりに腰を下ろし、その後ろにお付の小役人が控えている。

突然の珍客となった草太は川路様に向かい合うように腰を下ろし、《根本新製》の話題で大いに盛り上がっていた。


「そうか、あの絵師は自身で京まで行って捕まえたのか。その歳でか」


まだ6歳(数え7歳)でしかない子供がやるにはなかなかに無理のある要素がてんこ盛りの話題であったが、それらを「そらごと」と決め付けて腰を折るようなつまらないことをする頑迷さは持ち合わせぬようで、川路様は「そうかそうか」とにこにこと相槌を打ってくれる。


「それではその《天領窯株仲間》は実質林丹波守どのがご支配されているのだな。ただ現地の美濃でもっとも株を持っているのは小僧の家である普賢下林家で、それで祖父殿が筆頭取締役と。…権利株か、なかなか面白いことを考えたな。所有権を出資金で分割するとは」

「持ち株比率により利益も分配されます。窯の業績がそれぞれの利益につながるわけやから、みんな真剣になります」

「丹波守どのもよくご決断されたものだ。崩れたとはいえ家運を賭けた事業であっただろうに」

「立ち上げから数年来、天領窯は一度として利益を上げたことがなかったみたいです。むしろ追加の支出があるばかりで、その経営には幾分辟易されていたのではないかと。…現にこの《天領窯株仲間》の話が出るまで、窯再建の話はまったく上がってなかったそうですし」

「…その《天領窯》再建を主導し、さらには《根本新製》を作り出したのが小僧、おまえさんだということか」


小早に乗ってから3刻ほどたった頃であろうか。

日の長いこの季節でもやや空が翳り始める頃合に、船はようやく目的地に到着した。

下田港を出た時点で、目的地が伊豆半島の西側であることは分かっていた。

だがまさか半島の半ば、3刻10里以上も移動する船旅になるとは露にも想像していなかった。

草太は脳内のおぼろげな地図と照らし合わせ、そこが沼津の手前あたり、駿河湾の大きな湾口の端のあたりだと見当をつけた。


(…こんな遠くまで来るのなら、出発は朝方にしたほうがいいのに、なんであんな昼下がりに急に出立することになったんだろう)


川路様が下田奉行所のある稲田寺を出たのがすでに正午を幾分過ぎた頃であった。これだけの遠出となると、下手をしたら到着は夜になっていたかもしれない。

草太が感じていた疑問は、戸田村の集落が見えるあたりに至ったときに予想外の形で氷解した。


「……ッ! あれはッ!」

「小僧は初めて見るか。あれはすくうなあ型というのらしいぞ」


川路様がからからと笑った。

浜の波打ちぎわに、すらりとした船型の帆船が停泊していた。

それが国内で初めて作られた本格的西洋帆船であることを草太が知ったのは上陸してのちのことである。

艦名はヘダ号。

60人乗りの小型船、スクーナーと呼ばれるクラスの帆船だった。




戸田(へだ)村はひなびた漁村だった。

下田もそうであったけれど、伊豆は陸路に恵まれない代わりに良港に恵まれているらしい。大きく張り出した岬に隠されるようにして広がった戸田の内湾に、和船とはまったく様相を異にする船型の船が浮かんでいる。

岩がちな海岸には小さな川の河口部に砂浜があり、そこに木材で組んだドックのようなものがある。船はそこで建造され、近頃無事進水したのだという。

浜辺には作られて間もなかろう掘っ立て小屋がいくつもあり、そこで各地から集められた船大工が起居しているらしい。役人らしき人影も多い。


(おっ、いたいた)


顔役らしい川路様の到着を知って、役人たちが集まってきた。


「お待ちしておりました!」

「全権使節殿があちらでお待ちしております」


みなよく日に焼けた顔をしていて、顔だけ見れば役人も船大工もあまり変わる所がない。ドックは露天であり、作業は常に日差しのもとにおこなわれていたのだろう。

一緒に船から下りてきた草太の姿に役人たちも怪訝げな視線を投げかけてきたが、いまは目先の使命のほうが重要度が高いらしく、すぐに川路様を取り囲むように移動を開始する。

草太も何食わぬ顔でその一行に金魚の糞のようにくっついていったが、やはり目的地の掘っ立て小屋の手前で川路様から引き剥がされてしまった。


「何者なのですか、この童は」


困ったような役人の言葉に、川路様は少しだけ振り返って、「そこで待たせておきなさい」と気配りの利いた言葉を残してくれた。おかげで草太は乱暴に排除されることもなく、小屋の前で待つことができた。

見れば海に浮かぶスクーナー船には忙しく異人たちが立ち働いており、小船で物資が運びこまれているようであった。浜辺にもちらほらと異人の水夫の姿があり、親しげに船大工らと身振り手振りして笑いあっている。


(白人だな……アメリカ人?)


この時代の栄養状態を反映してか小柄な日本人が多いのとは対照的に、異人たちは頭ふたつほど体格が違う。並んでいるだけで威圧感を感じそうな体格差であるのに、異人と船大工たちはずいぶんと打ち解けた感じである。

国が分からなかったので近くを通りかかった異人水夫に「ハロー」とか言ってみたら、おお、反応があったよ。


「Здравствуйте!」


おやっという顔をしてこちらを見た水夫から漏れ聞こえた言葉は、「ズドゥラーストゥヴィチ」(?)という言葉だった。

ハローは通じたものの英語を話す人ではないようだ。

役人たちに気付かれないうちにと、もう少しいたずらしてみる。


「Nice to meet you」


グローバル化が叫ばれる昨今(前世基準)、英会話も日常会話程度なら片言でしゃべることはできる。前世の初めてのハワイでは相手にびびりまくってホテルのフロントとすらまともにしゃべれなかったけどね! 幸いにして人生の荒波を掻き分け中の草太には気後れするという意識が擦り切れてしまっている。


「Разве что английский」

「ああ……」


しかしさっぱり分からない。

発音の感じからしてロシア語臭いのだけれど。


「Почему нельзя говорить на русском!」

「いや、あの…」


まずい。

異人の声が大きすぎて役人に気付かれてしまった。ああ、こっちくる。黙って! 異人さん黙って!


「なにを話している。いまなにかこの異人と会話してただろ」

「…えっ? なんのことですか」

「何か聞こえたぞ。おまえまさかこの異人の言葉とか分かったりするのか」

「Саке не хватает!」

「ほら、おまえに何か言ってるじゃないか! 何かしゃべってたんだろう!」

「Саке! Саке! Саке! Саке!」


一瞬テンパッた草太ではあったが、すぐに持ち直してその持ち前の図太さを発揮する。


「えっ? なんのことですか」


大事なことなので2度言ってみました!

そうしてにっこりと微笑んで、英語も知らないのにアメリカ人もかくやという感じに大げさに首をすくめるジェスチャーも添えてみる。ほんとに日常会話程度しか知りませんよ? うそじゃないデスよ。

もともとこの場の『異物』である草太に疑いの目を向けていたらしく、腰の刀に手をやりつつ迫ってくるお役人。その横では「Саке! Саке!」と連呼している少しおバカ疑惑の出てきた異人さん。

これはうっとうしいなぁとか目尻をひくつかせていた草太であったが、そのとき小屋の中から呼ばわる声がして、お役人が泡を食ったようにそちらに走っていった。


「Саке!」


残された異人さんが必死にするジェスチャーから、どうやら「酒をくれ」といっているらしいと察する。よく聞き取れば連呼している言葉も「サーケ!」に聞こえてくるから不思議である。


「小僧! 川路様がお呼びだ!」 


そのとき呼ばわる声がした。

草太はぎゅっとこぶしを握ると、跳ね始めた心臓を軽く叩いた。


「Do you want vodka?(ウォッカが欲しいの?)」


緊張を解くためにいわでもいいことを口にして、きょとんとしている異人さんの様子に心を和ませる。ここにいる異人たちは、ロシア人だ。

ロシア人ということは、この小屋の中にいるという『全権使節』というのはおそらくあの人物を置いてほかにはないだろう。

いままさに歴史の本流の中に片足を突っ込もうとしている。その強い流れに足をとられまいと、草太は最初の足場を無意識に探っていた。


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