022 ただのせぇるすまんではございません
即断即決。
草太はわき目も振らず全速力で駆け出して、次郎伯父らを放り込んだ船宿に飛び込むと、ようやく半回復して起き出し始めていたふたりに声をかけるのもそこそこにゲンに担がせていた荷を漁り、その中の2、3を見繕うと手早く風呂敷に巻き込んでたすきがけに背にくくり付けた。
「草太……どこへ」
「いいで休んどりゃあ! ぼくはちょっと出かけてくるし!」
本当なら荷を全部持って行きたいところだけれど、歩いていくならともかくお役人の出発に間に合わせねばならないからそうも言ってられない。
「晩までに戻らんかったら、先に飯食べとっていいし!」
草太はそう言い置いて、かなう限りの速さでお役人たちの向っているだろう船着場へ急いだ。
廻船が何艘も並ぶ河口の船着場は荷の積み下ろしに汗をかく水夫たちで賑わっている。
船宿に戻るために目を離してしまったお役人たちの姿を捜してしばらくうろうろした草太であったが、一番上手の桟橋に紋付の黒い姿を見つけてようやく焦りを振り払う。小早などの小さな船は川荷の扱いもあるのだろう、一番川に近い奥まった場所にある桟橋に固まっていた。
駆け寄りながら、草太はめまぐるしく算段する。
どうやってお役人たちの船に便乗させてもらおうか。偶然にも向う先のどこかが故郷だとか言い出しても、東濃弁ずぶずぶの草太の口調ではイントネーションで地元民でないのがばれてしまうだろう。
ひとり伊勢参りの途中だとかは苦しいだろうか。旅費が乏しいので便乗させてくれとか……まあ、信じろというほうがどうかしてるなこれは。
廻船に密航して捕まった浅はかな子供というのはどうだろう。下田で荒くれ水夫に叩き出されて、半泣きになって故郷に戻る途中とか……いや、ちょっとそれは不自然にドラマチックすぎるだろ……いいかげん冷静になれ…。
言いくるめるのが難しいのなら、いっそのこと飛び込んでしまうのはどうだ。
そんな回りくどい理由などこじつけなくとも、出港直前に飛び込んでしまえばどうせ子供のすることだと大目にみてくれるのではないか。
目的地は『ヘダ』という場所である。
おそらくは村か湊かの名前なのだろうが、具体的にはまったく分かっていない。下田から西に行くのか東に行くのかすらもわからない。
(どうする……どうする)
お役人たちはいままさに小早という小さな船に乗り込まんとしている。
そのいかにも『お役人』的な黒紋付を見ていて、ふと京都で別れたあの人を思い出していた。
(小栗忠順……たしかあの人も黒船絡みの何かをしていたはず……その名前を出してなんとかできないだろうか)
すばやくそのシナリオの検討に入る。
具体的に小栗忠順という人物がどういった役職についていたか知っていればよかったのだけれど、かなりの部分あてずっぽうなはったりににならざるをえず、うそとばれたときの心象の悪化が非常に懸念される。
草太の脳裏に、ニコニコと人のよさそうな老役人の顔が思い出される。圭角の尖った偏狭な人物ではあるまいと思う。人間歳を食うと一筋縄ではいかない老成を見る人物も多いからファーストインプレッションで判断するのは危険だと思うのだけれど。
(よし、…決めた)
いまは幕末と呼ばれる混乱の時代のとば口にある。
そのほつれかかった幕府の鎖国政策を最前線で守らんとするお役人が、そんなきなくさい時代の匂いを嗅ぎ分けられないはずもないだろう。攻める方向性はそっちにしてみることにした。
同伴の小役人に手を差し出されて、ゆっくりと船に乗り込もうとしていた老役人に、駆け寄った草太はタックルするようにはしっとすがりついた。
「あっ、あのッ! お役人様!」
「!?」
「お役人様方は、もしかしますとこれから異人に会いに行かれるのですか!」
いきなりのド直球。
すがり付いて編み笠の下からお役人の顔を見上げた草太は、目で哀訴しつつもその人物の目の色を抜け目なく確認しにいっている。
一瞬の驚きのあとの、わずかな困惑。
「こらっ、川路さまに無礼であろう!」
船の上から慌てて寄ってきた小役人を目の端にとめた草太は、すばやく掴んでいたお役人の袖を離して、見事なまでの変わり身で額を地にこすり付けての土下座体勢となった。
このお役人たちは、まさしくいまどこかにいるのだろう『異人』たちのもとに向うつもりなのだ。外国人の監視が主任務の下田奉行所の役人なのだから、その仕事は大きく分けてふたつ、『異人向き』と『役所向き』の業務となるだろう。
『異人向き』は言うに及ばず、『役所向き』はすなわち幕府への報告業務である。
もしもいまから最寄の役所と連絡を取る業務であったとするなら、草太の願いは的を外しているわけだから驚きはするだろうが迷うことはない。簡単にただ断ればいいだけだ。
このお役人のわずかな迷い……たぶん異人に会いに行くところと見た。
「お寺の山門であなた様が話されていることを耳にしてしまいまして、いてもたってもいられずこのようにぶしつけなお願いに上がりました次第…」
前口上のあとに、すっと顔を上げる。
額についた砂が目元に落ちてくるが敢えて瞬きもしない。
「世間を騒がせているという異人を一目見ようと、美濃からここ下田までやってまいりました。わたくしは美濃、林丹波守勝正公が裔、大原の地にて代々庄屋を務めます、林家の者にございます。名を林草太と申します!」
幕末といえば黒船騒動に色めきたつ若き志士たちの印象が強い。
おそらくはもう何人もそんな手合いを相手にしてきただろう目の前の老役人の『慣れ』に賭けてみる。わけもなく国家大計を論ずる経験不足な若造を、国の宝と導き育てようとする懐の深さをこの老役人が持っているのかどうか。
見上げる草太の目を、静かに見下ろしているわずかに灰色みを帯びた瞳。
その目がにこやかに細められて、そして目線を合わすようにしゃがみこんできた。
「小僧、歳はいくつだ」
「今年で7歳(数え)になります」
「7つで、美濃からこんな下田くんだりまでやってきたってか」
「ど、どうしても一度異人に会ってみたいのです。会って、確かめたき儀がありまして!」
「確かめたい儀、とは…?」
老役人が食いついてきた。
草太は乾いた唇をぺろりと舌で湿して、背に負った荷を降ろして手早く地面に広げて見せた。
そこから現れたのは、ふたつの『木箱』だった。
ふつうの茶器などが収められている小さな木箱と、大きさが千両箱ほどもある木箱である。草太は集まる視線を確かめつつ、あえて小さな箱のほうを開けて見せた。
中からは紫色の布に包まれた真っ白な焼き物が現れる。
むろんそれは『根本新製焼』の磁器である。
「我が家が切り盛りする窯が大原にはございます。《天領窯》と申しまして、そこでいまだ誰も目にしたことのない新製焼が創り出されました。…これがそうです」
「…ほう」
手にとって、草太はそれを老役人に差し出した。
空気的に差し出されたものを受け取らぬわけにもいかない。その透明感のある類まれな『白』に興味を引かれぬでもなかったのだろう、お役人は急ぎの役務をとりあえず脇において、手の中のすべすべした磁器を鑑賞し始める。
「『白』の温かみが珍しい……美濃といえば瀬戸新製がずいぶんと江戸の市中にも出回っているが、これは瀬戸新製の『白』ではないな…」
「『根本新製』、そう笠松の郡代様に命名していただきました。まったきあたらしい原料をもとにした、まったき新しい新製焼にございます」
老役人は、その透明感に気付いたのか日に透かしてみたりしている。
小ぶりな皿である。それが4枚、ひとつひとつ布に包まれているのを全て開帳する。
円山派の正統を継ぐ絵師の絵画のような上絵は、物の小ささから控えめではあったものの細密を極め、かわいらしい花木が描き込まれている。勘のいい人間ならすぐに分かる。それらはひとつずつ、『春』『夏』『秋』『冬』の四季を表した花がモチーフとなっている。
老役人が手にしているのは『夏』、朝顔の可憐な花が意匠のなかに入っている。
「光を通すものだから、花まで鮮やかに色づいて見えるな。…絵付けも見事な出来栄えではないか」
「ありがとうございます」
「…これを、異人に見せてみたいと」
「さようにございます」
少しいぶかしむように顎先を指で揉んでいた老役人は、やはり理解に苦しんだのか率直ないらえを返した。
「十分に江戸表の好事家たちにも認めてもらえよう出来栄えに見えるが、なぜわざわざこれを異人たちに?」
草太は息を詰めた。
膝をつき、かがめた背中におののきが走る。
この瞬間、この一言が彼の全人生を定めると予感したように。
「わたくしが考えているのは、その『異人相手』の商売なのです」
異人を相手に名を成せば、国内市場には別口から浸透することができる。おおよその既得権が固まってしまった閉塞する国内市場に、新参者が割り込む余地はあまりない。例えどれほどよい磁器だとしても、まっとうなやり方では伝統的に『高級食器』としての地位を築いてきた有田など名産地の牙城を切り崩すのに無為に時間を浪費することになるだろう。
「お上は異人たちに下田を開港いたしました。そしていずれは、異人たちの要求に応ずる形で海外交易にも乗り出されてゆくのではないかと、市中で噂されております。…それにお上が異人たちの黒船に対抗していくためには、同じ強力な武器を積んだ外洋船が不可欠です。その外洋船を購うためにも、莫大な外貨を稼がねばなりません!」
「…小僧」
「この新製焼は、異人に高く売れます。いずれお上に交易の主力産品として取り上げていただけるぐらいに、はかのよい商売になるはずです! 彼らがこの焼物に関心を持つかどうか、それを確かめるために、わたくしめは美濃からこの下田の地にまでやってきたのでございます!」
草太はそこまで一息に言い切ってから、ふたたび額を地面にこすりつけた。
『鎖国』を国是とする幕府に対しての批判ともとられかねない発言であった。普段ならばけっして口にはしなかったであろう危険な言葉を、草太はあえて口にした。
草太はじりじりと、ただ湿った土の香りを嗅いだまま平伏し続けた。
それはわずかな時間であったのかもしれない。
しかし草太には気の遠くなるような長い長い時間であった。