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陶都物語~赤き炎の中に~  作者: まふまふ
【小天狗起業奮闘編】
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021 下田上陸






「…えっ? ここで降りる?」


間の抜けた声を発したのは舷側に青黒い顔をして転がっていた次郎伯父だった。同じく舷側ぎわの荷の隙間に崩れるように顔を伏せていたゲンがゆらりと顔を上げた。


「降りるんですか。た、助かった…」


廻船での船旅は予想通りになかなかハードなものとなった。

『荷』として急遽乗船することになった彼らに船客としてのサービスなど与えられるはずもなく。出港後完璧に放置された3人は、『富士山が望める』だろう左舷側に居場所を定めて、持ち込んだ手荷物を枕に青空寝台を決め込んだわけであるが、これも予想の範囲であったが次郎伯父とゲンがさっそくひどい船酔いを起こしてゾンビ化してしまった。

幸い天候はよく景色も最高、夜などこぼれるような満天の星空を楽しむことが出来たというのに、ふたりの口から漏れるのは悪態と呪詛ばかりであった。

宮宿を発って4日後、伊豆下田に寄港したところで、ひとりぴんぴんとしていた草太が下船の意向を表明した。


「『浅貞』さんの顔が利くわしらの組合船はなんぼかまわっとるけど、馴染み客の口利きでもあらへんと簡単には乗せられんで」

「大丈夫。下田も目的地のひとつやし。こっからは自分らで何とかするし」

「ほうか。んじゃ、達者でな」


挨拶を済ませてはしごを降りた草太は、先に上陸して揺れない地面に頬ずりせんばかりの大人組を促して荷積みを始めた水夫たちに手を振った。


「酔わへんかったぼうずは生来の水夫向きや、働きたなったらいつでも仕込んだるぞ」


船上にいた二日間、興味深く操船技術を帳面につけていた草太は、年齢不相応のその聡さを見込まれて冗談交じりに勧誘されるまで水夫たちと仲良くなった。草太が酔わなかったのは前世ですでに船酔いの免疫があったからなのかもしれない。平衡感覚の違和感を身体が学習することで船酔いは克服される。

いつまでもふらふらしているふたりに盛大なため息をついて、草太は下田の景色を眺めるように辺りを見回した。

下田港は天然の良港といわれるとおり、口が狭く内湾が広い。稲生沢川(いのうざわがわ)の護岸された河口を船着場として町が形成されている。名古屋や宮宿の繁華な町並みを見てきた後だけに小ぶり感が否めないが、廻船が落としていく富で十分に潤っているのか立派な蔵のある屋敷も多く、美しいなまこ壁の建物が目立つ。

すぐ近くの目に付いた大きな建物の看板を見ると、運のいいことに宿のようだ。


(とりあえずゾンビふたりを放り込んどくか)


宿は『船宿』と呼ばれる宿泊施設だった。

船を所有する廻船問屋や荷扱いしている商家が水夫相手に開いている宿で、前世で言う『職人の宿』のような独特の雰囲気がある。草太は世話になった廻船の船頭の名を出して、さっそく値段交渉を開始する。1泊280文とかかなり割高な料金を要求されたが、押し問答しても相手の機嫌が悪くなるだけでなかなかディスカウントできない。

いったん店を出て通りにたむろする水夫から情報を漁ると、船宿の価格設定は押しなべてそんなものであるらしい。どうやら廻船の水夫たちは危険な仕事をしているために羽振りがよいらしく、こうした料金設定もバブル相場となっているようだ。

眉間に苦渋の梅干を作って束の間迷った草太であったが、どうせそこまで連泊するのでなし、多少のことは割り切ることにする。


「そのへんにくたばってると思うんで、運んでもらえますか」

「情けにゃあやつだな。分かった任せとけ」


船宿の人なのか客なのか分かりづらいところだったが、数人の男衆が快く頼まれてくれた。次郎伯父は手助けを拒否ろうとしたけれど、草太の「お願いします」で問答無用に担ぎ上げられた。

すぐには復活しないだろう二人を宿に放り込んだことで、草太がほっとして座り込んでいると、懐っこいおっさんが「ぼうずだけ大丈夫なんか」としゃがみ込んで頭を撫ぜてきた。


「…下田のお奉行所って、どこにあるか知ってますか」


かまいつけられることには慣れているので、肩をすくめて横揺れに対処しつつ草太も情報収集モードに移る。彼の関心はすでに次のところに移っている。

下田奉行所…。

それは本来海路の要衝として発展した、下田の統制をおこなう遠国奉行職のひとつで、ながらく廃止されたいたものが黒船来航に肝を冷やした幕府が復活させた役職であった。

嘉永7年(1854年)、ペリー率いる黒船艦隊の圧力に屈し、日米和親条約が締結、発効する。歴史的な大事件だが、江戸時代に転生した草太の目で見ればまさに去年起きたばかりの出来事であった。

条約により下田は開港し、アメリカ人に門戸が開かれるのに対応すべく、復活された下田奉行が役所を構えていたはずなのだ。


「奉行所? あああの異人さんに金魚のフンみてえについて回って迷惑がられとるお役人様がたの集まっとるところか。…たしか稲田のお寺さんやったと思うがな」

奉行、というからには奉行所があると思っていたのだけれど。

どうやら急造の役所なので、付近のお寺を仮の役所として間借りしているのだろう。

「稲田寺って、どこにあるの」

「こっから少し山手のところにあるわ。…あっちの北のほうに、ほれ、瓦屋根が光っとろう。あの山門のあるお寺さんや」


指し示されたお寺はそれほど遠くなさそうである。草太はさっそく行ってみることにした。

稲田寺は、街中によくあるタイプのお寺だった。集落の中に袋のように広がる境内を持ち、その袋の口にストローを刺したような参道で街路と接続している。

漆喰を格子模様に盛り付けたなまこ壁の町並みを散策しつつ、件のお寺までやってきた草太は、こどもとっけんで物々しい警護が張り付く山門まわりをうろうろしてから、港町独特の細い路地をめぐるようにその境内をぐるりと一周してみる。幕府に目をつけられるだけあって、本堂とかはなかなかに立派な造りをしている。

塀に囲まれていて中か見えないので、草太は墓場のある裏手の大きな木に狙いをつけてそれにするすると登った。張り出した大きな枝にまたがるようにすると、寺の中が一望できた。

別段造りが特殊な寺でもなさそうで、大きな瓦屋根をそそり立たせる本堂が春の陽気にさらされて輝いている。砂利の境内を紋付袴の役人らしき人影が忙しく動き回っている。

間借りは幕府の命令で避け得ない運命であっただろうけれど、ほとんど乗っ取られたような形になってしまった寺の住職もなかなかに災難なことである。


(都合よく『チャンス』は転がってないか…)


嘆じつつも草太の目は、役人たちの動きを真剣に追い続けている。

下田奉行所の役人たちは、この地にやってくる外国人の監視が主な任務であり、『異人上陸』の知らせを受ければ蜂の巣をつついたような状態になるだろう。


(なんとか『開国騒動』の幕間(まくあい)に絡めればとか思ってたんだけど、いま下田には外国船もいなさそうだしな…)


これは純然とタイミングの問題であるのだろう。

外国船の有無は、港に入るときに真っ先に確認している。

幕末に日本を訪れる外国船はあまたあるが、その訪れる時期をすべてそらんじられるような知識を草太は持ち合わせていない。歴史の教科書では頻繁に諸外国が訪れているような印象を受けがちなのだけれど、実際には来訪の間隔は年に数回程度のものであるだろう。


(1年早く動いていれば、ペリー騒動に絡むことだって出来たのに……あれに乗っかれれば大成功間違いなしだったけれど)


1854年の日米和親条約締結は歴史的な事件であり、国内の耳目が一点に集中したであろう稀有なタイミングであった。

そこまでの大波は期待してはいないのだけれど、外国人相手に苦心惨憺する幕府のお役人たちに現代知識チートで浸透し、なんとかコネを作る。それが下田での草太の営業ミッションだった。

見栄っ張りなお武家の、その棟梁である幕府将軍家が輪をかけて見栄っ張りであることは論を待たず、訪れる外国人たちに大枚はたいて土産物を持たすなんてことをしているのは確実である。

幕府の沽券に関わる土産物である。そこにはもう常識が天元突破する青天井相場が生まれていることだろう。


(これから幕末、明治期にかけて、日本国内の『価値感』に多大な影響を及ぼしていくのは外国人の『客観評価』……逆に言えば、外人の評価を得られれば、その喜びようを見たお役人様たちの口から、黙っていても『いい評判』が巷に流布されていくだろうし)


先進の列強外国人たちをもうならせた一品が、美濃にある。

その開国騒動の一幕に、なんとしても絡んでドラマの出演者に名を連ねたい。

ブランドには、『ドラマ』が必要なのだ。

想いばかりが迸って、思考を赤熱させる。


(チャンスが欲しい…)


下田のどこかにアメリカ人でも常駐していないだろうか。

情報は皆無であるから、ここでお役人たちの動静をうかがっているのにも益はある。あわただしく彼らが動き出したとき、その後をつければいいからだ。

いてもたってもいられず、じりじりと観察を続ける草太であったが、半刻ほどたったころであろうか、本堂から連れ立って出てくる旅装のお役人たちを目に留めた。

なにを言っているのかわからないけれど呼ばわる声と、それに呼応して遣いらしき小役人が山門から走り出て行った。草太は急いで木から降りると、寺の出口である山門に急行する。

下田は伊豆半島の先端にあり陸路は非常な難路なので、旅するならば海路となるであろう。

旅装の役人がひとりと、要職にありそうなふうの役人が山門のあたりでなにかれと話しこんでいる。その会話を盗み聞きしようと草太は弾む息を押し殺して接近を試みたが、その前に遣いの小役人が戻ってきてしまった。


「…小早の用意をさせました」


わずかに、言葉が聞き取れる。

急いで距離を詰めると、会話がようやく聞こえてくるレベルとなった。


「ヘダに行くのなら、酒でも手土産に持ってゆけ。あの者らはおそろしいほどの酒好きばかりだからな」

「味にはまったくうるさくないですがね。酔えればこの世も天国とか、のんきなやつらです。…酒屋で安いのを1斗ほど買っていきましょうかね」


編み笠を指であげながら、旅装の小柄なお役人はにこにこと笑んでいた。

当年54歳、幕末きっての名官吏である、川路聖謨(かわじとしあきら)と草太のそれが最初の出会いであった。


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