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陶都物語~赤き炎の中に~  作者: まふまふ
【小天狗起業奮闘編】
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020 海路






大原を発った草太一行は、翌日には名古屋に到着し、『浅貞』で話し合いを持ったあと、一夜の饗応を受けあくる日には『浅貞』の出荷に便乗し、ゆうゆうと堀川を下って宮宿(東海道最大の宿場町)へと至った。


「『浅貞』さんに寄ったんは、こういうことやったんか」

「船はほんと助かりましたわ」


宮宿にある『浅貞』の蔵に荷を運び入れる作業を申し訳程度に手伝って、船待ちの間の宿泊もちゃっかり店の一間を借りて寝泊りすることになっている。

もともと瀬戸新製をはじめ瀬戸物の江戸向け出荷は、艀船で堀川を下って伊勢湾に出た後、四日市宿(現在の三重県四日市市)にいったん集積し、そこで定期の廻船に積み込んで運ばれるのが普通であったらしいのだが、昨年末の安政の大地震で四日市宿の港が破壊され、復旧が間に合っていないのだという。

ここ最近は廻船問屋も混乱気味で、ともかく船荷を滞らすまいと名古屋発の荷を宮宿にまで受け取りにやってきてくれるらしい。港が破壊されるって、伊勢(三重県)のほうの津波被害はどの程度だったのだろうか。

宮宿で名古屋からの荷を積んだ廻船は、伊豆半島の先っぽにある下田港を経由して江戸へと向うのだという。


(5、6日で着くって、和船も結構速いんだな)


時代遅れの和船は遅いという先入観のあった草太には、にわかには信じられない話である。

実際にはヨットも顔負けの帆走能力があり、7ノット(約時速13キロ)近い速度が出せたらしい。むろん専門家でない草太には知りえることではなかったが…。


「すげえな。5日間のんべんだらりしてるうちに100里も進んじまうとか、陸の上も走ってくれたら大助かりだな!」


次郎伯父は廻船のスペックを聞いているだけで目がきらきら輝いている。乗り物はいつの時代も男のロマンではあるらしい。

江戸への船旅も、もちろん便乗する予定である。『浅貞』との専売契約を交わす窯元だからこそ得られる『優待』であっただろう。むろん人そのものは船にとって『荷』でしかないので、船主に追加料金を請求されればそのときは対応するしかないのだけれど。

宮宿は熱田神宮の門前町でもあるため、船待ちの間にみなで参拝して旅の成功を祈念した。熱田神宮は三種の神器の一つ『天叢雲剣(あめのむらくものつるぎ)』が奉納されるかなり社格の高い神社であるから、霊験もあらたかであるだろう。

船がやってくるのは明後日であるらしい。

その有余の時間を、草太は迷わず市場調査に使うことにした。次郎伯父には呆れられたが、最近ちょっとワーカホリック気味な自覚はあったりする草太である。


(ワーカホリック上等じゃん!)


小者のゲンを従え、草太は鼻息も荒く宮宿のにぎわう街道筋探索を始めた。土地が変われば品も売れ筋も変わってくるもので、開始早々魅入られたように店をはしごし始める草太にゲンがややドン引き気味について回る。


(このあたりはやっぱり『常滑(※注1)』圏か…)


名古屋の南、知多半島の付け根あたりには、瀬戸と並び称される常滑という一大焼物産地がある。

赤茶色い大きな甕や擂り鉢など見たことがないだろうか? 黒い垂らしたような模様とかがついてる、やや大きめの焼物である。古い家の押入れとかによくあるやつだ。

常滑焼といえばやはりその赤茶色、『人参手』とも言われる赤い焼き色が特徴である。焼色が『赤い』鉄分の多い土は焼成時に柔らかくなり過ぎる難があるのだけれど、常滑の土には耐火性の高い珪砂が多く、例外的に良土として成り立っている。

そんな赤茶色の焼き物がいたるところに溢れている。水甕はもとより、茶屋の湯飲みとか急須まで赤茶色である。

瀬戸新製も割合に普及していて、小料理屋の皿や徳利とか、ちらほらと散見されるのだが、美濃焼っぽいものはほとんど見当たらない。


(結構近隣なのに……影薄っ)


もっとも、瀬戸物の本業(陶器)もあんまり見当たらないので、いわゆる『時代』というやつなのだろう。

市場価格とかも調べようとしたのだけれど、そのあたりは『同業者』と見抜かれたのか陶器商の店先からは追い払われてしまった。


「…草太様も、本当に研究熱心やね」


気付いたことを几帳面に手帳に書きつけている草太を見てゲンは感心しきりであったが、そのお腹がくーと鳴って、狸顔を申し訳なさそうに赤面させる。

目を交わした主従は、頭上を見上げて太陽の位置を確認する。午前中に調査を開始したというのに、太陽はもうとっくに中天を過ぎて西のほうに傾いている。

すると計ったように草太のお腹も鳴って、ふたりは肩をすくめて笑いあった。


「ぼくに付き合せて昼を抜いちゃったし。…店に戻って、団子でも食いに行こっか」

「団子なら、最初の辻の辺りにうまそうな茶屋がありました!」


空腹をいったん自覚してしまうと、もう我慢しきれない。

調査を終了させて『浅貞』の店に早々に引き返した草太とゲンであったが……彼らが与えられた部屋でいやに満足そうに座り込んでいた次郎伯父がふたりを迎えた。

爪楊枝でシーシーいっている次郎伯父が非常にわざとらしかったけれど、いちおう平静を装って何かうまいものでも喰ったのかと尋ねると、さらりと驚愕の事実を告げられた。


「神宮の茶屋でよ、そりゃあうまい飯を見つけてな」


草太とゲンの心がざわめいた。

食道楽は旅の醍醐味のひとつであったろう。


「せっかく焼いた蒲焼を飯に混ぜてまうけったいな食いもんやったけど、あれは『アリ』やったな…」

「蒲焼…」


蒲焼、という言葉の響きだけであのえもいわれぬうまみが脳内再生される。

熱田神宮……混ぜご飯。


(まさか! 『ひつまぶし』か!)


「いい匂いがしとったから、少々高かったが食って正解やったな」

「ど、どこで食べたん!」


血相を変えた草太がそのあとすごい勢いでくだんの茶屋を目指したのは言うまでもない。熱田でひつまぶしといえば名店蓬莱軒があるが、あれはたしか明治時代に入ってからのもののはずである。名物の元祖とか結構曖昧な話も多いし、もしかしたらこの時代すでに存在していたのかもしれない。

勢い込んでその茶屋に飛び込んだ草太であったが。


「ほい。1個20文だがね」


やや焦りがちな草太の説明に茶屋の恰幅のよい女性はピンと来たらしく、お盆の上に積んであった笹巻きの包みを手渡してきた。

ややうろたえつつ金を渡し、ゲンとともに笹の包みを解いたところ……結局そこから現れたのは、『ひつまぶし』未満のものだった。


「………」

「変わった握り飯やねえ」


名も知れぬその茶屋でゲットした『ひつまぶし未満』は、店で売れ残った串焼きの蒲焼を、ほぐして混ぜたあとに握った『おにぎり』であった!


「………」

「なかなか変わった味やけど、うまいもんやねぇ」


ホクホク顔でぱくつくゲンを尻目に、がっくりとうなだれた草太。

正直、鰻は冷えるとあんまりおいしくはないです。さばきも甘いので小骨が多いし。

まあ、全部食べましたけど。




予定より1日遅れて、『浅貞』の荷を運ぶ廻船がやってきた。

沖合に停泊中のほかの廻船と比べて中の上くらいの大きさだろうか。いわゆる『千石船』と呼ばれる大きさのものであるらしい。

全長は十数メートル、後世の石油タンカーを知っている草太にとってそれは大きめの漁船程度のものに過ぎなかったが、次郎伯父とゲンは子供のようにはしゃいで乗り込んだ端から甲板をうろちょろとしている。ふんどし一丁の日に焼けた水夫たちがうっとうしそうに見ているのにも気がつかない。


「あー、ごめんなさい。すぐに静かにさせるし」

「積み込む荷は『浅貞』はんとこのだけやあらへんし、すぐに一杯になって身動きもできんぐらい狭なるから覚悟しとってや。見物しはるのはええけど、積み込みの邪魔だけは勘弁したってな」


お得意先の客だと知らされているらしく、わりとフレンドリーな対応をしてくれる船頭と乗船交渉を済ませて、草太もまた船上の人となった。

『千石船』と聞くと、俵を1000俵積めるぐらいの大きさなのかと勘違いしがちだが、船の『石』はよく分からないが基準が違うらしい。中を見る限りそんなに積めるようには見えない。

船首のほうには丸めた綱と錨があり、その中寄りに小さな伝馬船が救命艇よろしく積まれている。上甲板はそれらと帆柱、もやい綱などで埋まっている。

一段下がった中央部分は露天の荷積みスペースであり、その下にはさらに酒樽などの積荷があるらしい。

っていうか、乗員の休憩場所ってどこにあるのかな?

海の上で雨とか降ってきたら、どこで雨露をしのげばいいんだろう。

甲板の下とか覗き込んでみるが、人が寝られるような平らな場所などどこにも見当たらない。


「廻船は荷船やで、まともに寝られるなんて思わんほうがええで」


草太の様子から察したのか、船頭が塩辛声でがははと笑った。


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