014 祥子
「…鬼っ子って、なんだ、角とかないんだ」
いきなり頭を触ってくるかと思ったら、角を捜してたってか。
初対面の人間を捕まえてUMA扱いとか、なかなかにチャレンジャーだな、って、おい。鬼っ子って、どう考えても比喩表現だろ。
「あのー」
「つまんないのー。あのお父様が気にしてらしたから、よほど尋常じゃない子供なんだと思ってたんやけど。…何か特技とかないの?」
「なんのこと…って! ちょっ!」
「なんだ、出べそとかでもないんだ」
鬼は出べそとかって、定説でもあるのだろうか。まあそんな疑問は脇にうっちゃっておいて。
無造作に下腹部をまさぐられて、さすがにダメだこいつとか思ってしまった。
相手が男だからって、了解なしにそれをやっちゃセクハラだっつうの。
軽く抵抗してみてもまったく取り合う気もなさそうで、ほとんどいじめのように指で突っつかれ続けた草太であったが、精神年齢30余才のおっさんとはいえ忍耐の限界もあるわけで。
大魔神のごとく両腕を突っぱねて威嚇を試みる6歳児であったが、いかんせん迫力は不足したままだったようだ。
「お嬢様…」
エアリーディング能力の高い女中さんのほうは、草太の苛立ちを察してやわやわ主人を諌めようとしていたが、でこ娘はアヒルのような口をとがらかせて我侭を爆発させた。
「今日の予定は決めたわ。祥子はこのちび助の観察をすることにしたわ」
「お嬢様!」
観察って。
祥子という名前らしいでこ娘は、アヒル口をにまっと歪めてとんでもないことをさらっと口にしやがりました。
「祥子は退屈で死にそうなの。あんた新しい窯を作ったんでしょ。その珍しい窯を見学してあげるから案内しなさいよ」
「してあげる」って。
ちょと待て、何でそんな途方もなく上から目線なんだよ。
もはやその方針がゆるがせない確定事項だといわんばかりに案内待ち体勢に入るでこ娘主従。
「断固拒否」
これはまともに付き合ってはいられないだろう。
相手がまだ油断している隙にと拘束を振り払いざま脱兎のごとくロケットスタートをかまそうとした草太であったが、そのリアクションさえ計算のうちであったのかあっさりと服の襟をつかまれてしまった。
勢いのまま、ぶらーんと吊り下がった状態ででこ娘の前に帰還する。
この時点で、草太は顔から火を噴きそうなぐらい赤面してしまっている。6歳児の軽量ボディをこれほど恨めしく思ったのは初めてだった。
「手を離したら逃げられそうやわ。縄か何かで結んじゃおうか」
「お嬢様、それはいろいろダメだと思います…」
「えーっ、そんじゃあお松が抱っこしてあげてよ。この子、少しでも気を抜いたら逃げ出しちゃうよ」
縄で結ぶとか、ペットプレイかよ…。
この理不尽さは、まさに子供のいじめそのものではないのか。
全力で暴れだした草太を掴んだまま、でこ娘はしばらくその抵抗に耐えていたが、もともと忍耐心に富んだ性格ではなかったようで、お尻に膝キックを入れられました。
バイオレンス属性もあるんですか…。
「…もしかして、あんたんところの窯、いろいろと秘密とかにしてるの?」
必死になってこくこくと頷いてみせると、「ふーん」と若干小馬鹿にしたような(被害妄想か?)リアクション。
鼻息がかかるほどに顔を近づけてきたので、改めてでこ娘の容姿が観察可能となる。
なんかどこかで見たことあるような気がするんだけれど。それにしても仕立てのいい着物を着てるな。
京で本場の友禅染を見てきた後だけに、その淡い桜色の花をあしらった染付けはなかなかに手間のかかった高級品であるのが分かる。むろん絹製だ。
お幸とかではほとんど感じられたこともなかった、えもいわれぬ甘い匂いが鼻をくすぐって、少しだけ胸が高鳴ったのは内緒の話である。
目を覗き込むようにしていたでこ娘は、いよいよ粘着してくるかと思われたが意外にもあっさりとした様子で「分かったわ」と草太を解放した。
「窯元の秘伝がそんな簡単にばらせるわけないしね。いいわ、窯の見学はやめにする」
なにこの切り替えの早い『いい女』っぽい娘さんは。
腰に手をやってこちらを見下ろしてくる様子は相変わらず偉そうなのだけど、相手の都合を尊重できるぐらいには理性的に振舞えるらしい。
相互理解が進んだことでやっと肩の力を抜いた草太は、「じゃあ用がないなら行くし」と怒りを面に出さず紳士的に撤退宣言をしたのだけれど。
「それじゃ、祥子の家にいこっか」
振り回しモードはまだ継続するらしかった…。
まあ草太に拒否権とかはないようで。
少しの間抵抗を試みたあと、あきらめたように彼が脱力したのは、この唯我独尊な娘の家というのに興味がわいてきたことも理由のひとつであっただろう。
しかしそれは弱い動機付けのひとつに過ぎない。
「祥子の家に来てくれたら、お父様の集めた焼き物の蒐集品とか見せてあげるけど」
なかなかに人をたぶらかす甘言の妙にも通じているようで。
ギブアンドテイクなら致し方なかろうと、草太も現金に方針を転換したわけである。草太の『乗り気』を見て取ったでこ娘は、ぱっとなんのてらいもなく草太の手を握って引っ張りはじめた。
後ろのほうで「どうなっても知りませんよ」と弱弱しくつぶやいている女中さんの言葉に、このとき耳を傾けていればあんなことにはならなかったであろうに…。
向かう道すがら、草太の顔からどんどんと冷静さが削げ落ちていく。
あの、土岐川を渡るんですか?
そうですか、多治見郷に家があるんですね、分かります。
…って、多治見郷で娘に上等な服着せられるのってあいつのとこしかないじゃんか!
恐る恐るおのれの手を引くでこ娘の様子を見るうちに、おぼろげな記憶も甦ってくる。そういえば昔(せいぜい半年ぐらいだけどな)、あいつの屋敷を偵察すべく張っていたときに、こんな感じの娘をチラッと見た覚えがあるわ。
(クソじじいの娘…か)
なるほど、それは蒐集品の十や二十持っていてもおかしくはない。東濃一の豪商なのだから。
逃げ出すのならいまのうちとか何度も何度も思ったのだけれど。昔の草太なら迷わず逃げ出していたことだろう。
しかし最近の草太は、どこか腹をくくってしまっているところがある。
(…相手もれっきとした商人なんやし、多少の常識の持ち合わせもあるやろう。…どうせいつかはぶつからなくちゃならん相手やし、いっそのことこの流れに身を任せてみよう)
草太も最近なかなかに顔が売れてきている存在である。
西浦屋近くの人通りをすれ違うと、たいていの人間がぎょっとしたように振り返ってくる。なかなかのアウェイ状態である。
そうして最初に裏の勝手口から入ろうとした西浦家のお嬢様、祥子嬢をお供の女中さんがたしなめる。
「お客様をお連れなんやから、こっそり入れたりするとあとで旦那様とかに怒られますよ」
まあそうだろうな。
しかもその客がなかなかに剣呑な属性の子供である。
少し考えるふうであった祥子が、「そうしよっか」と軽いノリで再び手を引いて西浦屋の正面へと向かう。長い漆喰塀をなぞるようにめぐって、辻に立てられた『西浦屋買取価格表』を横目に西浦屋の正面へと至った。
『西浦屋』の屋号はあれど、ここの屋敷は美濃焼商品の集荷場である蔵元なので、店舗のようなものはない。荷の出入り口であろう大きな門をくぐると、そこで立ち働く大勢の人間が見えた。
「ここが祥子の家よ。おっきいでしょ!」
周囲のぎょっとしたような様子などどこ吹く風のお嬢様の大物っぷりに感心しつつ、草太はそぞろに屋敷の中を見回した。
そうして蔵の開け放たれた戸の前に、忙しく出入りする搬入の人足と、帳面を持って忙しく書き付けている番頭らしきおっさん、そしてその横で偉そうに腕組みする着流しの老人がいるのに気付く。
場内の異変に気付いたその老人が、ちらりと視線を投げてきて、それが待ち構えていた草太のそれとぶつかった。
男は言葉を失ったように顔をぽかんとさせた…。
当年、御歳50歳。
それが多治見郷のビッグファイヤー、《美濃焼総取締役》として美濃全域に名をとどろかす3代目西浦円治翁そのひとであった。