第7話
それから由依子は上原機工を仕事のため、しばしば訪れるようになった。いつ来ても、社長室で貴之と二人だけで話すのだった。技術提携に関する書類の翻訳とそれに関するアドバイス。由依子は事務的にその仕事をこなしていった。時々、貴之は仕事以外の話に持っていこうとするのだが、由依子の反応は今ひとつだった。貴之は内心おもしろくなかった。もっと由依子を惹きつけたい。彼女のそっけない態度に、いっそうかきたてられた。
その日、由依子との仕事を終えたときだった。
「君に頼みたいことがある」
と貴之が言った。
「なんでしょうか」
と由依子は言うと、すでにテーブルの上の書類を片付け始めていた。
「実は女性にプレゼントをあげたいんだ」
由依子の手が止まった。
「どうも俺はそういうことが苦手だから、どんな品物がいいか君に見てもらえないかなと思って、変な頼み事だけど・・」
「女性って、貴之さんがおつき合いをしている方ですか?」
「まあ、そんなところかな」
と貴之が言うと、由依子の顔が好奇心に輝いた。
「私でよければ、お手伝いしますよ」
「それはありがたい。それじゃ、さっそく今日の夕方、デパートで君と落ち合いたい。君はいいだろうか」
「ええ、よろしいですよ」
7時に由依子と貴之は、街のデパートで待ち合わせをした。真綿のような雪がちらつき始めていて、寒い日だった。
二人はデパートに入ると、婦人服売り場を歩きながら品物を見た。結局、由依子が黒のカシミアの手袋とマフラーを選んでくれた。
「ありがとう。助かったよ」
と貴之は言った。二人がデパートの出口の所で別れようとしたときだった。
「お礼に、食事をおごるよ」
と貴之は言った。由依子が振り向いた。
「仕事以外に御足労をかけたお礼だよ。この近くによくいくレストランがあるんだ」
と貴之は言うと、由依子が微笑んだ。
「それじゃ、今日はお言葉に甘えようかしら」
貴之は良かったと思った。
貴之と由依子は並んで歩道を歩いた。雪がまた降り始めていた。
「寒くはないかい」
と貴之は言った。
「いいえ、大丈夫です」
と由依子はそう言いながらも、キャメル色のロングコートの襟を立て、体を寒そうに縮ませていた。横断歩道を渡り、しばらく行くとフレンチレストランが見えた。
「ここだよ」
と貴之は言うと、レストランの黒い扉を開けた。
「お久しぶりですね。上原さん」
とそこの白髪の髭のマスターが、貴之を見て話しかけてきた。カジュアルなフレンチレストランだが、フランス絵画がところどころの壁に掛けられ、しゃれていながらも落ち着いた雰囲気がしていた。貴之が女性を連れて来たのを見て、マスターが気をきかせて、他の客から離れた壁際の奥の席に二人を案内した。
「素敵なレストランですね」
赤いテーブルクロスがかけられた席につくと、由依子が言った。
「気にいってくれた?」
「ええ」
由依子は、今までに見せたことのない打ち解けた顔をした。
「それは良かった」
と貴之は言った。テーブルには、ガラスの器の中でキャンドルが赤く灯っていた。その灯りが由依子を美しく感じさせた。貴之はワインとコース料理を注文した。
ワインで乾杯してから貴之が言った。
「君とはゆっくり話してみたかったよ」
由依子はワインを飲みながら、貴之の顔を興味深げに見た。
「いつもの仕事のことばかりでなく、いろいろと話してみたかった」
と貴之が言った。
「私も貴之さんに聞きたいことがありました」
「君も?」
「ええ、たとえば、どうしてそんなに仕事に夢中になれるのかと」
貴之は笑った。
「君は僕が仕事中毒とでも思っているのかい」
「違いますか?」
「そんなことないよ。僕だって仕事以外の事にだって関心がある」
「なるほど、女性へのプレゼントを考えたりするんですものね」
「そうだよ」
と貴之は意味深な笑いを浮かべた。
「君こそ、仕事のときはかまえていて、恐い顔をしているけどね」
「そうかしら」
と由依子は笑って言った。
「色気も何もあったもんじゃない」
「仕事のときは、色気は必要ないわ」
「でも、愛嬌くらいほしいな。もっとも俺が相手では嫌なのかな」
「そうかもしれませんね」
と由依子は言うと、貴之を上目づかいで見た。
「それなら、他の誰かなら君は違うのか」
と貴之は言った。由依子はこたえなかった。そして彼女は店の窓の、行き交う車に目をうつした。
「俺は・・君の関心を向けさせてみたい」
と貴之は言った。瞬間由依子の顔から笑みが消えた。そのとき、メインディッシュの白身魚のムニエルが運ばれてきた。
「おいしそう」
と由依子が言った。
二人は食事をしながら、静かに会話をした。たわいのない思い出話とか、彼女が留学していたアメリカのボストンについてなどだった。