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風の誘惑  作者: 槇野文香(まきのあやか)
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第6話

貴之と別れたあと、由依子は会計事務所に戻っていった。仕事をしながら、貴之のことを考えた。由依子は貴之という人間をあまり知らなかった。浩二は年齢が同じであり、高校も同じであったため、浩二の人となりは知っていた。久しぶりにあった浩二は、以前と変わらず快活な人のいい青年だった。あの浩二がかくも簡単に自分になびいてしまうことは予想外だった。だが、貴之は年齢が離れていたため、遠くにいる存在であり、興味もなかった。それが、こうやって相対してみると、気難しそうだがタフな男のようだった。おそらく貴之はこれであきらめはしないだろう。何かしら働きかけてくるだろうと思った。ただ、美沙がかくも打撃を受けたことを彼女もいい気持ちはしていなかった。結局、浩二を奪ってしまったのだから。美沙は人を疑うことを知らない人間だった。この世の汚さもその目には映らないようだった。恵まれた家庭環境で温存されたひよわな花だ。今も多くの人が彼女を守ろうとしている。そんな美沙が愛する浩二に裏切られてしまったのだ。


 それから数日して、貴之から大村会計事務所に電話があった。大村会計事務所は地方都市としては比較的大手の会計事務所で、経営コンサルタントの仕事もし、多岐にわたってフィールドを広げている会計事務所だった。その大村会計事務所の由依子に、貴之は仕事を依頼してきたのだった。由依子が電話に出ると、貴之が言った。

「先日は君に失礼なことを言ってすまなかった。実は君にうちの会社の仕事をお願いしたい」

「何でしょうか」

「今度、アメリカの会社と技術提携をすることになった。それで、君にその契約に関する翻訳とアドバイスをしてほしい。君はアメリカから帰ってきたばかりだから、語学は得意だろう。所長の大村さんにはもう言ってあるよ」

「大村所長がご存じなら、断る理由はありません」

 と由依子は淡々とこたえた。

「そうか。では君にお願いする」

 と貴之は言うと電話を切った。

 これで由依子と会う理由ができたと貴之は思った。うまく彼女に近づき浩二から引き離すようにするつもりだった。ただ、由依子という女はなかなか手ごわい相手である。慎重にしないとうまくはいかないだろう。

 翌週の午後だった。貴之が会社の社長室にいると、秘書兼総務の事務をしている香取という女性が、部屋をノックして入ってきた。

「社長、大村会計事務所の澤田さんがいらしてます。社長との仕事の打ち合わせに来たとおっしゃっていますが」

「わかった。部屋に来てもらってくれ」

 と貴之は言った。香取に案内されて由依子が入ってきた。今日の由依子は髪を巻き上げてアップにしていた。彼女の長いうなじが美しかった。着ているグレーのスーツは体にぴったりとしている。貴之は由依子はやはり綺麗だと思ったが、その気持ちを隠そうと、視線をわざとそらした。

「お仕事の依頼、ありがとうございます」

 と由依子は言った。

「いいや、こちらこそ助かるよ。どうぞ座って」

 と貴之は、彼のデスクの横の応接の椅子に座るようにすすめた。

「ずいぶん会社変わりましたね」

 と由依子は座ると言った。

「そうだろう。少しずつ改築していったんだ」

 テーブルを挟んで座った貴之が言った。

「私の父がいた頃は、本当に町工場という感じだったのに、今は近代的なオフィスになりましたね。隣接している工場もりっぱだわ」

「そう言ってもらえると嬉しいな。上原機工は現在三百人の従業員がいるんだ。これまでにするのは大変だったけどね」

「貴之さんのお力ですね」

「そればかりではないけれど」

「父が辞める頃が、一番会社にとって苦しいときでしたね」

 と由依子が思い出すように言った。

「そうだね。澤田部長にはご苦労をかけたのに、結局病気で辞められたのは残念だった」

 由依子の顔が寂しげに見えた。

「あれからすぐにお父さんは亡くなられたんだね」

「ええ」

「君も苦労したね」

「母も私も必死で生きてきました」

「でもその状況を、君は立派にやりこなしてきたのだからたいしたものだと思うよ」

 実際貴之は由依子が運命に負けず、こうして自立した女性として生きていることを称賛していた。

「ところで仕事はどんなふうにすすめていけばよろしいでしょう」

 由依子が話題を変えた。

「ああ、これを見てほしい」

 と貴之は言うと、立ち上がり、自分のデスクの上の封筒を持ってきた。

「この書類をまずは翻訳してもらいたい」

 由依子はその封筒を手にすると、書類を出して確認をした。

「なるほど、わかりました。一週間ほどお時間を頂きますが、よろしいでしょうか」

「それでいいからお願いするよ」

「では一週間後に、会社に翻訳したものをお持ちいたします」

 と由依子は言った。

 貴之は社長室の窓から、由依子が雪の残っている駐車場から、車に乗って去って行くのを見ていた。また彼女に会えるのかと思うと、気持ちが妙にざわつくのを覚えた。




































































































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