第2話
浩二がパーティを終え、自宅に帰ったのは10時過ぎだった。最初から代行で帰るつもりだったので、浩二はだいぶ飲んでいた。
二階にある自分の部屋に入り、着替えているときだった。兄の貴之が部屋に入って来た。
「浩二、少し話したいことがあるから、下の居間に来てくれ」
「ああ、わかったよ」
と浩二も簡単に返事をした。兄の話が何なのかだいたい察しがついていたのだ。
貴之は浩二より十歳年上の兄である。父が五年前に死んでから、貴之が父の工場を近代化してきた。そのため、破綻寸前の会社はこの頃では、有望なベンチャー企業のひとつに数えられるようになった。
階段を降り、居間に入ると貴之がソファに座っていた。浩二が座ると、貴之が言った。
「美沙さん、元気だったのか」
やはりその話かと浩二は思った。
「ああ、元気だったよ。お父さんにも挨拶してきた」
「それは良かった。つい先日、お父さんの北川さんがうちの会社に来て、今度銀行の取締役になると言っていた」
それは初耳だと浩二は思った。
「それはすごいね。あのオヤジさんやり手だからな」
と浩二は言った。
「それで、そろそろ美沙さんとのこと結論を出したらどうだ。浩二」
と貴之は言った。すると浩二は両手を合わせてもじもじとした。
「彼女と結婚するってことか」
「そうだ。それがお前の幸せだ」
浩二はむっとして言った。
「兄さんのためだろう」
貴之はいらついた顔をして言った。
「彼女の父親の務める銀行はうちのメインバンクだ。お前は協力する義務があるだろう」
浩二は顔を横に向けて言った。
「それなら、兄さんが美沙と結婚したらいいじゃないか」
貴之はその言葉に怒りを感じた。
「ばかを言うな、美沙さんが惚れているのはお前なんだぞ。彼女は幼稚園の先生として評判もいい。お前にはもったいないような女性だ」
「でも、結婚は・・」
と浩二は言葉をにごした。貴之は浩二の様子がいつもと違うことに気がついた。浩二は確かに結婚については先延ばししたいという態度ではあったが、美沙に対しては好意は持っているはずだ。それが、今日はずいぶん冷めている気がする。
「お前、今日、何かあったのか?」
と貴之はきいた。
「いや、別に・・」
と浩二は言うと表情をやわらげた。
「兄さん、澤田由依子のこと覚えている?」
一瞬、貴之も誰のことかと思った。
「ああ、以前うちの会社にいた澤田部長の娘だな」
確か、やせっぽちの内気な娘だったと貴之は思い出した。
「今日会ったよ」
「それがどうかしたか」
「何だか別人のように変わっていた」
「それはそうだろう。もう、長く会っていないからな」
「きれいになっていた」
と浩二がさりげなく言った。
「そうか」
と貴之は言った。成長して美しくなる女なんて山のようにいる。それがどうかしたのか。と貴之は思った。
「そんなことより、今日母さんに会ってきたが、珍しくしっかりしていて浩二のこと心配していたぞ」
二人の母は昨年、脳梗塞で倒れ、今は有料老人ホームに入所している。だいぶ認知が進行しているのだが、今日貴之が訪ねると、受け答えが久しぶりにしっかりしていた。
「早く今の会社を辞めて、うちの会社に来るようにと言っていた」
と貴之が言った。
「わかっているよ」
と浩二は言った。浩二はITの会社に勤務しているため、兄から再三、家の会社に入り手伝うようにと言われ続けているのだった。
「兄さんの話はわかった。もう、今日は疲れたから寝るよ」
と浩二は言うと立ち上がった。
階段を上りながら、まったくもううんざりだと浩二は思った。兄はまるっきりオヤジ気取りだ。しかも会社のことしか考えていない。自分だってロボットではあるまいし、そんなに簡単に結婚についてはいそうですかと言えるか。それより兄こそ会社のためになる相手と結婚すればいいのだ。もっとも兄はそのうちそうするに決まっているだろう。貴之はそういうタイプの人間だ。打算と効率至上主義。だが、自分はそうではない。もっと生活を人生を大切にしたいと考えている。兄のような人間には理解できないことだろうと浩二は思った。