第11話
「あなたも、浩二さんも好きじゃない。二人を苦しめてやりたかっただけよ」
「どういう意味だ」
貴之は由依子をまじまじと見つめた。
「私の父は、あなたのお父さんに追い詰められて会社を辞めたのよ。病気の父を、厄介者として追い出したのよ。長く、忠実に会社に尽くしてきた父を、父の無念を、あなたは知っている?」
と由依子は怒りに満ちた声で言った。
「そうか・・そういうことだったのか」
貴之はようやく彼女の気持ちがわかった。彼女の苦しみを身近に感じることができた。
「そうよ。その後、まもなくして父は死んだ。それからの母と私の生活は、生きていくために必死だった。母はパートの仕事を昼と夜に行い、私は学生時代アルバイトに明け暮れた。あなた方には、そんな私たちの気持ちは理解できないわ」
と由依子は言うと、涙にぬれた顔を両手でおおった。
「それで君は、浩二と俺の気をひくまねをしたのか」
「そうよ。おもしろかったわ」
「確かに、澤田部長が辞める頃は、会社が大変だったからな。しかし・・すまなかった。俺の親父が、君や君の家族を苦しめたなんて」
由依子はおおった両手をおろすと言った。
「あなたなんかに同情されたくないわ」
貴之は由依子の強がりを哀れに思えた。今までの彼女の厳しさの背後にあるものを、見た気がしたからだ。
「それで・・君は満足なのか?」
と貴之は言った。由依子はふと表情が止まった。
「私が・・」
「そうだ。君が俺たちに復讐して、今までの苦しみが、それで癒されるなら、それでいいよ」
由依子はこたえなかった。
「由依子、何を言っても君を傷つけるだけなのだろう。俺は・・何も言うことはない」
と言うと、貴之は何かを振り切るように立ち上がった。
「由依子、さようなら」
と彼は言うと、部屋を出た。由依子は座ったまま、彼がドアを開け、去って行く足音を聞いた。それは彼が彼女から消えて行く足音だった。
由依子はテーブルに顔を伏せ、心のままにさめざめと泣いた。
「そうか・・」
と浩二ががっかりして言った。
「ああ、そういう事情だったんだ」
と貴之も肩を落として言った。二人は居間のソファに座り、お互いの顔を見た。
「情けない・・」
と浩二が言った。
「しかたがない。親父のやったことで、こうなったんだから」
と貴之が言った。
「兄さんだって、親父には苦しめられていたじゃないか」
「ああ、親父には能力がなかった。できるのはリストラぐらいしかない経営者だったよ」
二人はしばらく黙りこんでいた。やがて、貴之が口を開いた。
「浩二、美沙さんのこと、お前の好きにしていいぞ」
「えっ、兄さんそれでいいの」
「いいも悪いも、結婚はお前の人生の問題だ。会社とは別だ」
「北川の親父さんはどうするんだ」
「北川さんには俺からよく話しておく。美沙さんだって、そろそろこの世の真実に目を向けるときじゃないのかな」
「本当にそれでいいのか?」
「ああ、いいさ」
浩二は、貴之の心の変化を不思議に思った。
「兄さんはこれからどうする?」
「俺か」
貴之はいささか皮肉っぽい笑いを浮かべた。
「俺は何も変わらない。これまでどおり、仕事に専念するだけだ」
と貴之は言った。しかし、貴之には今までにない寂しさがにじみでているように、浩二には思えた。




