第1話
すでに闇が訪れ、窓から街の灯りがちらちらとしていた。見ると時計は6時を指していた。
上原浩二は自宅のノートパソコンを切ると、夕方からホームパーティに出かけるため、ラフな感じのピンクのワイシャツと灰色のジャケットに着替えた。
高校時代の友人というより、恋人である北川美沙の主宰のホームパーティだった。
自宅から車に乗ると、花屋に立ち寄り、美沙の好きなカサブランカの花を買った。美沙の家は浩二の家から車で20分ほど離れた郊外にある。彼女の父親は銀行の支店長をしていて、瀟洒な家の庭には美しい花を咲かせる薔薇の木が多くあり、5月にはそれが大きく咲き乱れる。美沙の母親はガーデニングが趣味であるため、庭は手入れがよく行き届いているのだった。
美沙の家に着くと、すでに車が何台か並んでいた。浩二がインターフォンを押すと、すぐに美沙が出て来た。
「浩二さん、遅かったじゃない」
今日の彼女は、水色のレースのワンピースを着ていた。年齢は彼と同じ30歳だが、どこか少女のような雰囲気を持ち続けていた。少し興奮ぎみに顔が紅潮して、一段と無邪気に見えていた。そこが浩二には可愛く思えた。
「ごめん、会社から連絡が入っていて、その処理に少し時間を取られてしまったんだ。それと、これを君に」
と彼は言うと、美沙にカサブランカの花束を渡した。
「まあ、きれい。ありがとう」
と彼女は嬉しそうに言った。
「もう、みんなドリンクを飲んでいるの。こちらへ来て」
と美沙は玄関から居間へと浩二を招き入れた。すでに、パーティは始まっていて、なごやかな雰囲気になっていた。
「上原さん、待っていたわ」
とみんなが話をやめ、テーブルから彼に視線を移した。人は5人いて、みんな彼と知り合いだ。いや、そのとき、彼は見知らぬ人をひとり見つけた。テーブルの奥に座っている一人の女性。彼女の距離感のある雰囲気と美しい横顔に惹きつけられた。すると彼女も彼の顔を見て、微笑んで言った。
「浩二さん、お久しぶりですね」
美沙が彼の横で言った。
「覚えている?澤田由依子さんよ」
えっ、心の中で一瞬、澤田由依子の印象が廻った。この彼女があの澤田由依子。
「久しぶりだね。わからなかったよ」
と浩二は言った。
澤田由依子、浩二は彼女を子供の頃から知っていた。彼女の父親は、浩二の父の経営する小さな町工場で働いていた。その彼女が母親に連れられて、彼の家に来たことを覚えている。
「これは、家の庭にある栗の木から取りました」
と由依子の母は言うと、手提げ袋いっぱいの栗を差し出した。由依子はそのそばで、内気な幼い顔を向けていた。
「いつも、もしわけないですね」
と彼の母がお礼を言った。その様子を浩二は玄関の奥で見ていた。由依子の母は玄関で、浩二の母と世間話をしたあと、由依子の手を握って帰って行った。
それから二人は同じ高校に通うようになった。同学年だが、クラスが違うため、話すことはあまりなかった。由依子は子供の頃と変わらず内気で目立たぬ存在だった。痩せ気味で、少し恥ずかしげに目をそらしがちな娘だった。
高校を卒業し、東京の大学に通うようになった浩二は、由依子の父が病気で工場を辞めてことを聞いた。それ以後、由依子のことを思い出すこともなかった。
「由依子さん、すっかり変わってしまったね」
と浩二は言った。
「そんなに変わったかしら」
と由依子は言った。正面から見ると、彼女の微笑みはいっそう魅力的だった。顔にはどことなく陰影があり、長い漆黒の黒髪がその白い顔を際立たせている。
「この間、偶然由依子さんと本屋で会ったの。私、彼女と高校時代、同じ音楽部だったの」
と美沙が言った。
「そうだったのか」
と浩二が言った。美沙と由依子が友達だった。そんなことも気がつかなかった。それだけ由依子は彼の意識の中では、希薄な存在だった。
「私、1年間アメリカに留学して帰ってきたばかりなの」
と由依子が言った。