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――何とも陰気な街だ。
しばらくぶらぶらと街を歩いていたメロスは、そう感じた。
初めのうちは、さして気にならなかった。結婚式の買い物に夢中だったし、久しぶりに親友に会うことができるというので浮かれていたのかもしれない。
親友の名はセリヌンティウス。今はシラクス市に住み、石工をしている。メロスとは竹馬の友ともいえる仲であり、、家族同然に最も信頼できる人間でもあった。だが、メロスの住む村とシラクス市は離れており、セリヌンティウスとも会う機会がなかなかなかったのである。
久しぶりに会う親友の姿を思い浮かべ、心を躍らせていたメロスだったが、セリヌンティウスの家を目指して街を歩くうちに、メロスは異変に気が付いた。
――妙に、静かすぎる。
既に陽は落ちており、街が暗いこと自体は当たり前だ。だが、夜のせいばかりでなく、街全体にどうも寂しい雰囲気がある。
「おい――」
メロスはとりあえず、道端にいた男を捕まえ、話を聞いてみることにした。
「この街で、何かあたのか?」
一切の前置き無しで、メロスは男に訊いた。細かい気遣いなどどうでもいいいと思える程度には、既にメロスの気は急いていた。
「一体、何が起こったんだ。俺が二年前この街に来たときには、夜でも皆歌を歌ったりして賑やかだったはずだ。それが、なんでこんな――」
だが、男は黙したまま答えない。ただ静かに首を振って、沈黙を貫き通した。
メロスは、改めてその男を観察する。服装と姿からして、二十代前半の一般市民。能面のように動かない無表情の中で、僅かに揺らぐ瞳から読み取ることのできる感情は――恐怖だ。
――これ以上聞いても無駄か。
薄々男の言葉を止めているものの正体を感じたメロスは「すまない、今のは忘れてくれ」とだけ言い、男から離れた。それから再び街を歩き、目ぼしい人間を探す。
ほどなくして、それは見つかった。道端に座り込んでいる、一人の老爺だ。石造りの家の 階段に腰掛け、じっと何かを見つめている。
こいつだ、とメロスは直感した。見た目こそただの老爺だが、下手な若者よりもよほど肝は座っているはずだ。メロスには、それが分かる。彼から発せられた「気」がそう告げている。
「おい、爺さん」
メロスは老爺に近付くと、老爺の目の前にしゃがみ込み、同じ言葉で問いかけた。
「この街で、何かあったのか」
老爺は、メロスではない宙の一点を見つめたまま、いかなる反応も示さない。だが、構わずメロスは言葉を続けた。
「俺はこの街を知っている。二年前に来たこともあるし、一時は身を置いていたこどある。だが、俺の知っているシラクスはこんな街ではなかった。あんたもそうだろう――爺さん」
老爺はそれでも答えない。だがメロスは、彼の瞼がぴくりと震えたのを見逃さなかった。
「一体、何があった? かつての活気はどこへ言った? 頼むーー教えてくれ。教えてくれよ、……なぁ!」
メロスは、言葉を発さない老爺の身体を掴み、揺さぶる。
やがて、メロスに気圧されたのか――老爺は、ごくりと唾を飲み込む。それを見るやいなや、メロスはすぐさま手を離し、老爺の言葉を待った。
やがて老爺は、辺りを憚る低い声で、告げた。
「――王は人を殺します」
「殺す、だと……?」
そんな馬鹿な。メロスは掠れた声で呟いた。かのシシリア王デュオニス2世は、メロスの知る限り寛容な王だった。人殺しすら、場合によっては死罪にしなかったほどだという。
「なぜだ……。なぜ王は、人を殺す」
「悪心を抱いている、と。……ですが誰も、そんな悪心を持ってはおりませぬ」
――悪心、だと……?
もう一度、メロスは街を見渡す。街は荒れ果て、外を出歩くものはほとんどいない。たまに見かける人の姿はあまりにみすぼらしく、何かに怯えるように下を向いて歩いている。
――殺している……。まさか、普通の市民も――?
「……たくさんの人を殺したのか」
メロスの問いに、老爺はゆっくりと答えた。
「……はい。はじめは王様の妹婿さまを。それから、御自身のお世嗣を。それから、妹さまを。それから、妹さまの御子さまを。それから、皇后さまを。それから、賢臣のアレキス様を」
「驚いた。……国王は乱心か」
「いいえ、乱心ではございませぬ。人を、信ずる事が出来ぬ、というのです。このごろは、臣下の心をも、お疑いになり、少しく派手な暮しをしている者には、人質ひとりずつ差し出すことを命じております。御命令を拒めば十字架にかけられて、殺されます。今日は、六人殺されました」
メロスは話を聞き終えると長く長く息を吐いた。
メロスは王の事情など知らない。王が何を考え、何を思い、こうも様変わりしてしまったかなど、知る術もない。
――だが、メロスの結論は決まっていた。
「呆れた王だ。――生かしておけぬ」
そうして――メロスの命運は再び動き始めた。
メロスはDQNなのです