KOKUHAKU
――僕は正直迷っていた。
毎日だらだらと降り続ける雨、僕にとって一年で最も鬱陶しい季節。
今日も朝から梅雨独特の蒸し暑さ、そして傘を差しても無駄だと思える雨と格闘しながら僕は嫌々登校する。学校の下駄箱に到着した頃には、やっぱり傘なんて意味ないんじゃないかという程、袖も裾もずぶ濡れになっていて僕は舌を打った。
やっぱり梅雨なんて大嫌いだ。そう思いながらいつものように億劫な気持を抱えたまま上履きに履き替えようと手を伸ばす。
その時、全身湿っぽくなってしまった制服のことなどすっかり忘れてしまうような物が僕の目に飛び込んで来た。
梅雨の季節に咲く紫陽花をイメージさせるような淡い紫色の封筒が、まず僕の意識をしっかりと捉える。それから次に思い浮かんだことは「嘘だ」という疑心。
上履きを掴もうとしていた手は恐る恐る紫色の封筒へと移り、そのまま僕は上着のポケットにそれを突っ込んだ。封筒を注意深く見ることなく、宛名すらも確認せずに僕はそのまま素早く上履きに履き替えて真っ直ぐトイレへ駆け込んだ。
男子トイレに入って即座に個室へ駆け込む行為なんて目的は一つしかないと周囲から疑われそうだが、今の僕にそこまで細かいことを考えている余裕なんてない。まず確認することが急務だ。
この手紙の主はきっと差し出す相手の下駄箱を間違えたに違いない。そんな風に考える自分に少し嫌気を差しながらまずは宛名を確認してみた。
息を切らしながら封筒の宛名が書いてある部分に目を通す。――そこには間違いなく僕の名前が書かれていた。
封筒には僕の名前しか書かれておらず、相手の名前はどこにもない。恐らく中に入ってる便箋に書かれているのだろう。
深呼吸を一つ二つ。腕時計の方へちらりと視線を移し、まだ時間に余裕があることを確かめてから僕はゆっくりと封を開けた。
『突然こんな形で手紙を出してごめんなさい。どうしたらいいか色々考えてみたけど、やっぱりこうして手紙を出す方法しか思い付かなくて、不快にさせるかもしれないと思いつつ筆を執りました』
冒頭はそんな文章から始まった。僕に対してとても気を使った文面、そして好意を寄せる数々の内容から僕はこの手紙がラブレターであるとやっと認識することが出来た。初めてもらったラブレターに半ば興奮しながら目を通していく。そして最後に大きな衝撃をもたらす言葉が書き綴られていた。
『もし良ければ今日の放課後、図書室にある日本文学の棚の前まで来てもらえませんか? そこで直接私の気持ちを伝えさせてください』
その文章を読んでから放課後まで僕は授業に全く身が入らず、ずっと図書室へ行くべきかどうか迷い続けた。しかしこういう時に限って時間が過ぎるのは恐ろしく早い。はっきりと答えが出せないまま放課後が来てしまった。何時間も悩み続けたが放課後になった途端、突然二択を迫られたような勢いで、僕は結局「相手に悪い」と思って呼び出しに応じることにした。
僕は時間に余裕があればよく図書室へ足を運んでいた。だからというわけでもないがどこの本棚にどんな内容の書物が納められているか、案内板を見なくてもある程度は把握している。そして僕のように頻繁に図書室に通う生徒の顔も大体見覚えがあった。
名前こそ知らないが、日本文学の棚の前に現れた黒髪の少女のことも微かに記憶に残っている。
彼女は僕の姿を見るなり恥ずかしそうに頬を赤く染めながら、はにかんで軽く会釈する。僕も反射的にぎこちない会釈をした。こんな時何て声をかけたらいいのだろう。呼び出されたのだからそれは相手に任せればいいのだろうか。僕が頭を掻きながら対応に困っていると彼女の方から声をかけて来た。
「あの、来てくれてありがとうございます。ご迷惑、でしたか?」
「いや別に」
僕は自分の態度に苛立った。そしてそんな自分の態度を敏感に感じ取った彼女の表情に、わずかだが翳りが見えた。僕の態度が彼女を傷付けてしまったのだろうか? 確かに面と向かって話をするのはこれが初めてだから、僕のそっけない態度にショックを受けてしまうのは仕方ないかもしれない。それなら、と僕は思う。
それなら彼女は僕のどこを気に入って、こうして呼び出したんだろう? お互い名前も知らなければ、話をしたことも目線が合ったことも今まで一度もないはずだ。言ってみればお互いのことを何も知らない。
どんな性格で、どんな癖があって、どんな人間なのか、何一つ。
それなのに彼女はどうしてたくさんいる男子生徒の中から、この僕を選んで呼び出したんだろう?
相手のことを何も知らない。そんな人間のことをどうして好きになれるんだ?
僕は彼女のことが嫌いであんなそっけない態度を取ったわけじゃない。でも彼女が僕の態度をどう捉えるのかなんて、それは彼女の自由だ。「その程度」でショックを受ける位なら、一体僕のどこを好きになったというんだろう。
この鬱蒼とした気分はきっと梅雨のせいかもしれない。僕にとって最も憂鬱な季節が、更に僕を苛立たせた。
「悪いけど、僕は君の事をよく知ってるわけじゃないし。君がどんなつもりで僕をここに呼び出したのかわからないけど、多分君を傷付ける結果になるかもしれないよ」
苛ついていた僕は嘘を言ってしまった。彼女がどんなつもりで僕をここへ呼び出したのか。それは手紙の内容からある程度は推測出来ているし、仮に彼女が推測通りに愛の告白をしてきたとして僕がそれを必ず断るとも限らない。
それは先程の僕の思考と矛盾するものであったが、今こうして名前も知らない彼女を目前にして、彼女のことをとても可愛いと思っている気持ちが芽生えた今となっては、このまま彼女の気持ちを受け入れるという選択肢もありなのかもしれない。
そんな風に思い始めているのも確かだった。
淡々とした態度を装って彼女のことを突き放す言い方をしたはずなのに、彼女は緊張の入り混じった笑みを浮かべるだけでそれ以上傷付いた様子を見せなかった。
「私も貴方の事をよく知りません。だから貴方の事をもっと良く知りたいと思って手紙を書きました」
彼女は勇気を振り絞るかのように真剣な眼差しで、僕に向かってこう言った。
「貴方の事が好きです。これからもっと貴方の事を知りたいから、私と友達になってくれませんか?」
そう言って彼女は僕を見上げる。
僕の身長は特別高いわけではないが、彼女がとても小さく華奢に見えた。僕の返事を待つ彼女の表情は少しだけ強張り、わずかに茶色がかった瞳を真っ直ぐ僕に向けている。
滑らかな黒髪、色白で頬の赤みがとてもよく目立つ。僕を見つめる大きな瞳に長いまつ毛は、顔の造形がとても綺麗に整っていることを証明していた。緊張のせいで唇をきゅっと噛み締めるようにつぐんでいる様子が、更に彼女のいじらしさを際立たせている。
物腰はとても柔らかく控えめで、しかし自分の気持ちをはっきり相手に伝えようとする強い精神力も兼ね備えている。彼女からもらった手紙の文面から見ても、彼女は他人に対してとても丁寧で礼儀正しい少女なのだと僕は思った。
僕の目の前に立つ彼女のことを。
恐らく初めて彼女を間近で観察した僕は、心臓が大きく跳ね上がるのを確かに感じた。
――正直僕は迷っている。
このまま彼女の言うような「友達」ではなく、むしろ「僕の彼女」として付き合ってもらえないかどうか。
その告白をこの場でするべきなのかどうか。
そう。
気付けば僕の方が、いつの間にか彼女のことを好きになってしまっていた。
拙い文章ですが、読んでくださってありがとうございました。
この作品は「あらすじ」の方にも書きましたが、「小説家になろう」で小説を書かれている「そうじたかひろ」さんによる企画で始まり、その為だけに作った物語でございます。
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