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短編シリーズ

ゴール前の裏切り

掲載日:2026/10/25


「ええ、本当に印象深いレースでした」

 俺はオリンピックにも出場したことのあるプロのマラソンランナーだ、いやプロのランナーだったというのが正解か。今はレースを引退しているがその引退レースのことを取材したいと、陸上雑誌の記者が取材に来ていた。引退レースと言っても地方の市民マラソンであったため、特にニュースにもなっていなかった。


「大沢選手は故障個所が治りきらないまま、オリンピックに出場して見事八位入賞を果たしました。しかしその影響で怪我が悪化し、事実上の引退かと思われいましたが、今回のレースに出場したのはどういう経緯だったんですか?」


 俺は一口飲んだコーヒーをソーサーに戻して口を開いた。

「ええ、実際もう現役に戻るのは不可能だと医者からも言われていて、引退も考えたんですが怪我をサポートしてくれていたトレーナー、あ、元々は大学時代同じ陸上部だった高橋という奴なんですが、最後にもう一度だけ一緒に走らないかと提案を受けました」

「それで、リハビリを続けたと?」

「はい、高橋とは大学時代エースの座を競った仲でした。最後に一緒に走ろうと言われたらなんだか燃えるものがあって、タイムは気にせずマラソンを走りきれるだけの状態に戻す事を目標にリハビリを続けました」

 そして俺はわずか数週間前のレースの日のことを遠い昔の事のように記者に語った。


 二年に及ぶリハビリに耐えた俺は十キロのランニングを日課に出来る程回復していた。とはいえ、練習で数十キロを走ると古傷が悪化する恐れもあったため、マラソンの距離を走るのは本番一発勝負とした。仮に当日傷が悪化したとしてもアドレナリンでその日だけは走りきれると考えたからだ。

 そうして迎えたレースの日は薄い雲が日差しを和らげており、涼しいそよ風が拭いている絶好のコンディションであった。

 俺はずっとリハビリにも付き合ってくれた高橋と並んでスタートを待つ。一般ランナーとしてエントリーしたため、最前列ではなく後方からのスタートだ。これも新鮮で悪くない気持ちだった。


 当然地元メディアも元オリンピック選手が参加していることなど知るわけもなく、俺は群衆に埋もれていた。

 そしてレースは始まり、故障個所である膝に負担がかからないよう慎重に足を運ぶ。高橋もそれにあわせて並走しながらペースをコントロールしてくれる。

 十キロが過ぎた。これからは練習では経験のない領域だ。しかし今日は例え途中で負傷したとしても走りきると心に決めていた。


 折り返し地点、二十一キロを過ぎた、徐々に膝に痛みが走り、ふとももの裏にも張りが出てきた。しかしこんなところで終わるわけにはいかない。一緒に走ってくれている高橋のためにも。

 三十五キロを過ぎる。現役時代でも一番きついところだ。折れそうになる心を必死でつなぎとめる。ふと沿道を見ると妻の姿があった。妻はこれ以上俺が傷つく姿を見たくないと引退レースには反対していたが、応援に来てくれたのだ。また力が湧いてくる。

 いよいよあと一キロを切った、高橋は「もう少しだ。現役時代は一度もお前に追いつけなかったが、今日は一緒にゴールするぞ」と俺に激を飛ばす。俺は「もちろんだ」と返す。


 しかし——


 ゴールまであと百メートルという所で、並走した高橋が突然スパートをかけた。

 俺は目を疑った。「なにやってるんだ!」声にならない声で俺は前方に手を伸ばす。

 しかし高橋の背中はどんどん遠くなっていく。まさか元ライバルであり親友でもあっ高橋に最後にこんな裏切りを受けるなんて、リハビリに協力してくれたのも最後に俺に勝つためだったのか?


 もうあと数メートルで高橋がゴールしようとした瞬間、高橋は突然その場に止まり、くるりと回れ右をした。そして両手を広げこう言った。

「びっくりした? でもここからが本当のびっくりだ!」

 するとなぜかゴール付近から音楽が流れだした。


 ???


 茫然とゴール前で立ち止まる俺をよそ目に高橋は手を叩いてリズムをとる。そうすると、すでに走り終えたランナーや俺の後ろを走っていたランナーが次々と俺の前に飛び出し、音楽に合わせて踊りだした。

「まさか……」


 そう、フラッシュモブというやつだ。高橋がすべて極秘裏に進めていたらしい。市民ランナーへの声掛けをしたのも、妻をこの場に呼んだのもすべて高橋だったのだ。それにしてもマラソンを走ったあとの状態で更に踊りまで踊ってくれたランナーの方々に感動してしまい、目頭が熱くなった。

 そしてそんな中、妻が花束を持って私に近づいてくる。まずい、もう涙腺が決壊している。

 高橋は花束を受け取った俺の肩を抱いて、「さあ、ランナーとして最後のゴールテープだ」といって二人肩を組んでゴールテープを同時に切った。


「素敵な引退レースだったんですね」

 俺の話が終わると記者は目を細めて言った。

「最後に野暮なことをお伺いしますが、レースの成績はいかがでしたか?」

「もちろん失格です。めちゃくちゃレース妨害したので」


 完


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