4話 激闘の末
「魔石を落としたようだな。小さいが、一応拾っておけ」
勝利の余韻を噛み締めていると、ロカが俺に命令し、それから振り返って先を進み一直線に門へ向かった。
……魔石か。俺は食人樹の魔石を拾い、遅れないようにロカに付いていく。
転移し、帰ってきた先は俺の部屋だった。ちらっと足元を見ると、一緒に付いてきたロカも俺の部屋に降り立っている。
「帰還先、ここなのか……」
まあ恐らくこの部屋からダンジョンに入ったのだから、帰還先もここに設定されたのだろう。
「とりあえず、足洗うか」
なんせ今までの戦闘は全部裸足だったからな……。
ロカを待機させ、足を洗いに行った数分後。
「で……無事に帰ってきた訳だけど俺は、この後どうすればいいの?」
戻った俺は水で喉を潤しつつ、改めてロカに問いかける。
何ぶん、色々あったから何か報告とか厄介ごとに巻き込まれるのだろう。
「自由にすればいい」
「自由って……」
予想外の返事に言葉に困惑し、俺は眉を顰める。
「貴様は、魔法に目覚めた。そうである以上、魔法使用者としての登録は必須だが、その他は自由だ。その魔法を活かして探索者をやりたいなら色々な契約が必要だがな」
「そうなのか……」
思わず肩透かしをくらった気持ちになる。
「ああ、そういえばお前をダンジョンに呼んだ魔物のことだが。もしかしたら貴様、目をつけられているかもしれないと言うことだけは覚えておけ。なんせあの魔物、獲物を逃したのはお前が初めてであろうからな」
「へぇ……」
「遭遇した場合は絶対に戦うなよ。恐らく、確実にA級の強さはある。しかも特殊個体である可能性が高い」
言われ、驚愕する。
等級で言えば、あのゴブリンが普通のF級で食人樹が特殊個体のF級だ。
到底、A級など叶うはずもない。
「マジか……。分かった、気をつけるよ」
「ああ。何か質問はあるか?」
質問、質問か……。
流石にこれは聞いておかないとダメだよな。
「……あのさ、もしかして登録って探索者協会にまで出向かなきゃいけないとかってある?」
「まあ……基本的には出向くべきであろうな」
まじか……。
外に出れない俺にとっては大問題である。
どうするべきだろう。
「……貴様、名は?」
「俺? ああ……稲木 達志だよ。十五歳」
「そうか。ならば代わりに吾が登録しておいてやろう。」
「……助かるよ」
「礼はいい。それより貴様、良く覚えておけ。ダンジョン外では決して魔法を構築するなよ。体内で魔力操作を特訓する分には構わないが、場合によっては死刑すらあり得る重罪だ」
ロカはそれだけ告げて踵を返すと、まるでその空間には最初から何もなかったかのようにパッと消えてしまった。
ようやく嵐が過ぎ去ったのを感じて、ため息が漏れる。
俺はベッドに寝転がろうとして、体中に張り付く汗を感じ、シャワーを浴びに行こうと立ち上がった。
「うわ、血まみれじゃん……」
シャツにはべっとりと自分の血がついていて、酷い有様だ。
傷口はまだ広く、俺は慌ててヒールをかける。効果は当然薄い。だが、それでも何度かかけ続けていると傷口が気持ち程度には埋まり、ちょっと深いかすり傷程度に見えるまで回復した。
「ふぅ……」
その後浴びたシャワーで、傷口が沁みたということは言うまでも無い。
それからの数日、俺は筋肉痛に襲われたりしながらもまた普段通りの引きこもり生活に戻っていた。
「……」
平和だ。朝から番まで相変わらず殆どの時間を部屋の中で過ごし、太陽光すら浴びずにインターネットの海で泳ぐ。
これほど素晴らしい日々があるだろうか。
そう思いつつも、何かが満たされない。
「腹へった……」
立ち上がってドアを開ける。
リビングに行く途中、洗面台の前を通る。鏡に映る自分は、酷くやつれた顔だった。服はよれよれで髭も伸ばしっぱなし。腕や足は折れそうなほどガリガリで、明らかに不健康そうな見た目をしていた。
「はっ……」
自虐的な笑みが溢れる。
全く、相変わらずひどい姿だ。それでも少しマシに見えるのは、あの危険を乗り越えて少しは自信がついたからだろうか。
俺は顔を洗い、髭剃る。
それからそのまま風呂場に入って、湯船に浸かった。
楽な姿勢で肩まで風呂に沈むと、凍っていた心の芯がゆっくりと熱に溶けるようで、心地よい。
「はぁ……」
風呂上がり、ため息を吐いて自分の部屋に戻るため足を進める。
……ふと、食欲を刺激する香りが鼻を突き抜けた。チラッとスマホで時間を確認する。午後の八時半だが、リビングから聞こえる団欒した声から察するに家族は今食卓を囲んでいるのだろう。
最近変なことがあったせいだろうか。
どういう心境の変化か、俺は気づけばリビングに足を踏み入れていた。
「あっ」
最初に声を上げたのは亜美だった。
こちらを嫌悪と怒りの混ざった視線で睨み、どうしてここに来たと言わんばかりの顔をする。
「あら、タツシ……お腹減ったの?」
妹とは対照的に、母さんは俺に対して穏やかな笑みを浮かべた。
俺はそっと亜美から視線を外して、「うん」と短く呟く。
それから亜美とは体格の席に座ると、母さんが俺の分のカツカレーを目の前においてくれた。
「……ありがとう」
ボソッと呟いて、黙って俺は食べ始める。
「ご馳走様だ」
「あら、お粗末さま」
すると丁度同じくらいのタイミングで俺の横に座っていた父さんが席を立ち、食べ終えた食器をシンクに持っていく。
母に食器を渡し、いつもならそのまま自分の部屋に戻るであろう父は、俺の予想を裏切り席に戻って俺の横に座った。
「……なあ、タツシ」
父さんに話しかけられ、ビクッとする。
皺の入った顔に眼鏡をかけ、髭をはやした中年の男性。仕事などが忙しくて家でも顔を合わせる機会が少なめなせいか、こうして面と向かって話すのが酷く久しぶりに感じる。
「もう、半年だな」
なんの話かは、言葉にされずとも分かった。
俺が学校に通わなくなってから半年。もう随分と長い間引きこもりを続けてしまっている。
「……父さんはな、お前にどんないじめがあったのか、全部は知らん」
そしていつもの話題が始まった。
「あの時のことは申し訳ないと思っている」
俺はうんざりした気持ちになり、食べる手を止め、下を向く。
「亜美とは違う学校にもなるが、転校するならそれも手伝おう。これ以上休んだら、勉強がついていけなくなるのは分かるだろう?」
……知ってる。分かっている。
苛立ちとやるせなさが全身に広がっていく。
父さんは善意で言っている。優しさから、気にかけて言ってくれている。
けれどその声は、穏やかながらも俺に重くのしかかってきた。
「あのね、お母さんも通信制の学校について調べてみたの。もしタツシさえいいならーー」
「……ごめん」
話を断ち切るように言葉を挟む。
脳裏に浮かぶのは、あの頃の記憶。嘲笑が耳に焼きつき、鮮明な痛みが消えず、屈辱が心に刻まれている。一週間経とうが一ヶ月経とうが半年経とうが、絶対に消えてくれない過去が俺を今でも蝕んでいる。
──俺は、もう学校には行けない。
「タツシのためを思って言うが──このままではダメなのは分かるだろう?」
「っ、分かってる!」
反射的に心に反芻していた言葉が口をついて出た。
直後、自分の行動を後悔する。しまった、と思いつつも何が原因だったかは自分でもはっきりとは分からない。
……けど、見透かされた気がした。
この弱い心を。このまま楽な方へ、未来が不透明だろうと、もう舵を取る気力すら持てないという心の無気力さが。全部バレてしまったんじゃないかと、焦った。
「おい! どこへいく!」
「ごめん……また今度」
誤魔化すように、俺は食いかけのカレーを持って立ち上がった。
それからリビングを飛び出し、自分の部屋に逃げるように駆け込んで、鍵を閉める。
「ああ、くそ……」
寝転がって、呆れる。
俺は何をしているんだろう。意固地になって、逃げて。
少しだけ、マシになれた気がした。
今日はいつもより、少し心が軽かったのに。
また、鬱々とした感情が心に錘を付け足してしまった。
分かってる。俺だっていつかまともな人間に戻って、社会に復帰しないといけない。
でもあの写真が残っている。あのいじめっ子たちはまだ学校にいる。
……戻れるはずがない。
だから俺は、逃げて逃げて逃げて。
この鬱が五月蝿く血脈を打つ間だけ、許して欲しいのだ。
無気力で、怠惰な自分を。




