3話 目覚め
「──おい、貴様」
突然、声が聞こえた。
俺は驚き、声のした方向を向く。
「……ね、こ……?」
驚き、混乱する。
声の主は人ではない。そこには、背中に翼を生やした黒い猫がいた。
「貴様は、何をしている。どうしてダンジョンにいる」
「……知ら、ない……俺は、迷い込んだん、だ……頼む、助けてくれ……」
痛みに悶えながら、どうにか状況を説明する。
するとその猫はこちらをじっと観察するように視線を向けた。
「ふむ。貴様、何故、回復魔術を使わない? 光魔術は苦手なのか?」
「……魔法なんか……使え、ない……」
「む? ……ああ、なるほど。確かに、目覚めたての魔力の気配だ。よく聴け、吾が見る限り、貴様の魂は魔法の適正に目覚めている。支配の神が祝福を与えたのだろうな。一度落ち着いて、光の神の力を借りるイメージでヒールと唱えてみろ」
説明しながら悶える俺に、その猫は俺の痛みを気にする素振りもなく指示を与えてくる。
俺はその言葉を疑いつつも、従うことにした。
「っ、……『ヒール』」
すると、俺の心の底の辺りから何か熱と光が放出され、俺の傷口に集まる。
その途端、本当に若干だが、身体から傷の出血が止まり、傷口も小さくなる。だが以前、状況は全く変わっていない。
「信じられないほど弱いな……適正がないのか、魔法を使い慣れてないのか……。まあ仕方ない、ほらこのポーションを使え」
そう言って、その猫は俺に液体が入った小瓶を渡してきた。
少し躊躇って、だがその液体を口に流し込む。味はややどろっとした、他に何とも表現しようがないハチミツ水のような味だった。
しかし効果は強く、先ほど唱えた魔法の何倍も回復し、傷口が塞がる。手の怪我はほぼ完治まで、腹の傷口は痛みなどはまだあるものの、かなり小さくなっている。
死なずに済む。
そう思うと、自然と目尻から涙が溢れ出した。
「よし、傷はそれでいいか。次は痛覚を軽減しておけ。無の神から力を借りるイメージでペインレスと唱えろ」
再びその猫に言われた通り、俺は涙を拭って魔法を使う。
ペインレスと唱え、傷口に意識を向ける。
すると苦痛が消えていた。麻酔がかかったような、痺れた感覚だけが残っている。
俺はようやく消えた痛みに、滲んでいた脂汗を拭って落ち着く。
そして疑うような目を、その猫に向けた。
「なあ、お前は……?」
「吾はロカ。神の使徒であるアセットだ。吾は今、人間をダンジョンに迷い込ませる凶悪な魔物の調査をしていたところなのだが。どうやら貴様は関係がありそうだな」
黒猫の鋭く冷たい視線が突き刺さる。
俺は息をのんでゆっくりと頷き、そしてここに至った経緯を語り始めた。
「ふむ……本当に突然ということか」
「ああ」
俺は直前で自分が何をしていたのか、それからあの時感じた、強烈な熱の話もしたが、やはりダンジョンに迷い込んだ方法は分からなかった。
「まあ良い。貴様、魔法は使えるようになったのだな? ならば帰還するぞ。より詳しい話は地上で行おう」
「え、帰れるのか!?」
「当然だろう。さ、行くぞ」
そう言うと、ロカは俺が先ほど無様にも逃げ帰ってきた特殊個体の部屋へと歩き始めた。
「は? おい、ちょっ。俺、さっきあそこで樹のモンスターに殺されかけたんだぞ!?」
「ああ、食人樹か……。良いか貴様、あそこが最短だ。そして安心しろ、殺されたなら、今度は貴様が殺す番だ」
ロカは部屋の目の前までくると、前足で扉を指し、開けろと俺に圧をかけた。
思わず頭を抱えそうになった俺は、謎に堂々としているロカに押し切られ、扉を開けてしまう。
再び、死の気配を感じさせるような寒気が全身を襲った。
あの樹は相変わらず扉を背に隠すように立っていて、部屋中に張り巡らされた根は血脈のようにドクドクと動いている。
「っ──!!」
全身が震える。
敵がいる。こちらを赤子の手をひねるかの如く、簡単に殺してしまえる敵が。
「落ち着け。まずは盾を展開しろ。魔力盾、と唱えれば良い」
だがロカが相変わらず淡々と言葉を紡ぐため、俺も落ち着きを取り戻した。
そして言われた通り、魔法を唱える。
「『魔力盾』」
するとイメージ通り、ドーム上の俺を覆うような半透明な壁が出来た。
視界の奥には先ほどと同じようにあの樹が幹を腕のように構えている。次の瞬間、破裂音と主に散弾が発射され、俺は銃声に目を瞑るが痛みは何もやってこない。
代わりにキーンという音と共に、敵の弾が弾かれ、辺りに散らばる。
床に転がった弾を注視すると、それはかなり大きめの種だった。それが散弾の正体だったのだろう。
「ふむ、良くやった。貴様に簡単に説明しておこう。基本、探索者は無属性魔法と属性魔法を組み合わせて戦う。まずは自己の強化だ。全体的な能力を上げるため、身体強化、視力強化、反射強化は使っておけ」
俺は指示に従い、俺は三つの魔法を唱える。
すると確かにそれぞれの項目の能力が上がった気がした。
「大変だな……これ、纏めることって出来ないのか?」
「できる。だが、まあ魔法を習いたての奴がやることではないな」
そうこう話していると、敵の食人樹は手を変えたようだった。
──***
言葉にならない呪文のような声を発し、瞬間、石造りの床が砕け、地面から草木が生える。
そして魔法によって顕現した無数の木々から、人間の胴体ほどの太さがある蔦や無数の細い蔓がこちらへと伸びた。
それが魔力盾に接触するとガンッ、とまるで金属がぶつかったかのような音がする。
盾が軋み、嫌な音がする。
「盾に火の属性を付与しろ。それで敵の攻撃は無力化できるはずだ。使い方は教えん。さっきまでの感覚を頼りにやれ」
ロカにそう言われ、俺は魔法を行使する。属性を付与する呪文は教えてもらっていない。
だが問題ない。俺は魔力の糸を意識し、その片方に火を付与するイメージを、もう片方にトリガーである呪文をくくりつける。それを脳にある魔法用のフォルダに保存するように固定した。
「『属性付与:火』」
先ほどトリガーとして設定した呪文を唱える。
すると壁の外側に熱が燃え上がり、壁を殴打していた蔦を焼く。
壁を締め上げていた蔓も焼け消えるが、それでも燃えた蔦は壁を殴打し続ける。
「正解だ。だが貴様、火が弱いぞ」
「んなこと言ったって……」
「魔力のイメージに闘争心をこめてみろ。火の属性は闘争心が糧だ」
闘争心か……。
俺は言われた通り、指示に従うことにした。
食人樹を見ながら、腹の傷を撫でる。
強く痛む。そして生々しい痛みが敵に対する憎悪を誘う。
……こいつを、ぶっ倒してやる。
敵意と共に食人樹を睨みつけた瞬間。
──ボォオオオ
火が燃え上がった。
強烈な炎が魔力壁越しでも感じられるほどの熱を纏う。
視界が光に輝いて、目をつぶる。
それから数秒して、焦げた苦い匂いが鼻に刺さって俺は目を開ける。
ゆっくりと魔力壁を解いて、辺りを見渡した。
敵の魔法は焼き焦げ、かろうじて距離を取っていたであろう食人樹も右半身が燃え切っていた。
──****
食人樹は、うめくような奇声をあげながらこちらに幹のような腕を伸ばした。
俺は今度はドーム型ではなく普通に盾の形状をした魔力盾を生成して防ぐ。
「おい貴様、魔力は大丈夫か?」
「ん、ああ……結構減ってるけどまだまだ大丈夫っぽい」
「ふむ、悪くない。おい貴様、探索者にとって一番大事な切り札を教える。空間が己の支配下に変わる光景をイメージして、『領域』を展開してみろ」
俺はロカの言葉に頷き、言われた通りにイメージをして魔法を唱えた。
「『領域』」
すると一瞬のうちに目の前に広がる景色の全てが変わる。
──初めに視界に入ったのは、どこまでも伸びる床だった。
どこまでも続くような細長く真っ赤なカーペットの上に俺は立っていて、辺りはひんやりとしていた。周りには空まで伸びるような柱が行くつも並べられていて、しかし上を見上げても太陽はない。代わりに暗闇の向こうから伸びてきたシャンデリラだけが、どこかに天井があるのであろうことを示唆させた。
「圧巻だな、ここまでの広さは見た事がない」
「これって広いほど良いのか?」
「いや、別にそういう訳ではないが……まあいい、後で説明してやる。さあ、魔法を使え」
ロカが言葉を濁すため、俺は食人樹と向き直った。
既に相手はほぼ瀕死だ。俺は体内から止めどない力と全能感が溢れで出しているのに気づく。
「ここが領域……」
空間が己の支配下にある。
まるでここにいると、自分が神になったような錯覚になって、全てが出来そうに思える。そして強く自覚する。
ここは、安全地帯だ。
俺の城。俺の部屋。誰も俺を傷つけられない。
あの薄暗い部屋と同じ。まさしく俺に相応しい場所。
──*****
食人樹が魔法を唱え、俺に砲丸のような巨大な種を発射した。
「!」
少し驚きつつも魔法を展開する。
するとこちらに発射された砲丸が、軌道を逸らして俺を通り過ぎていった。
名付けるなら、『ディフレクト』という所だろうか。
攻撃を避けた俺は攻撃魔法を素早くイメージする。
「『火炎』」
俺は手に出現させたバランスボールくらいの大きさの、敵に炎の塊をぶつけた。
何やら防御をしようとした食人樹がまとめてぶっ飛ばされる。
──%<#!
強く燃えた火はうねりをあげ、焦げ臭さを感じさせる。
じゅううううと何かが焼かれていた音がやがて聞こえなくなり、俺を殺しかけたあの強大な敵はぴくりとも動かなくなった。
そしてモンスターの宿命か、食人樹死体もも残さずに綺麗さっぱりに消え去った。
……俺が初めてモンスターに勝利した瞬間だった。




