七十二話 思いだけではどうしようもないこともある
厄介なことにイリーナはかなり理性的だった…………そもそも魔族は人種に対しての本能を別にしても好戦的な種族のはずなのだ。協調性も高くなく、私は前線で魔族たちが手柄の奪い合いで自滅する光景を数度見たことがある。
だからイリーナの思考は私たちを殺してアキを独占するという方向に簡単に進むと思っていた…………それなのにあっさりと彼女は魔族の本能を抑え込んだ。本能がアキに嫌われたくないという気持ちに負けてしまったのだ。
全く、相変わらずアキの魅力は規格外すぎる。
まあ、そうじゃければ私も問答無用でイリーナを殺している。私もアキに嫌われたくないからこそこんな面倒な問答を行っているのだ、きちんと理屈をつけてイリーナは殺す。その為の材料を私はちゃんと持っているのよ。
「魔族にとって転生者は殺すべき対象なのよね?」
「そうだが…………我らの本能はお前たちを殺すことを望んではいない」
「へえ、そうなの」
私はわざとらしく驚いて見せる。私たち転生者は元の世界で死んでこの世界で生まれ直した存在だ。私やアキのようにこの世界の人間から生まれ直していなくてもその肉体は前世のものではなくこの世界で再構築されたもの…………ただ、魂だけは前世から引き継いだものだ。
だからなのか、この世界の生命全てに害意を抱くはずの魔族は転生者に対してだけその本能が働かないようだった。
「それなら、あなたはなんで私を殺しに来たの?」
つまりイリーナが私を殺しに来たのは本能ではない理由があるということだ。
「それは…………お前が魔王軍の、魔王様の敵だからだ」
「そうね、間違っていないわ」
私は頷いて見せる。私はイリーナにとって敵だし将来の懸念だ。再び人種と魔族の戦争が始まるまでに取り除いておくのは正しいことだろう。
「で、今は?」
「お前に恨みはあるが、それでアキが我を嫌うというのなら諦めるのも仕方あるまい」
悔しげではあるが、イリーナはそう答える。アキと一緒にいるためにイリーナは同胞もこれまでの因縁も全てを捨てる覚悟であるらしい…………その覚悟は大したものだけど、まだ重要なものが残っている。
「そう、でもお前がそう思っても魔王はそうは思わないはずよね?」
「ま、魔王様…………」
震えるような声でイリーナはその名を口にする。
「例えお前が考えを改めようが、魔王がやれと言えばお前は私たちを…………アキを殺すはずよ」
「そ、そんなことは…………」
イリーナは否定しようとするが語尾が言いよどむ。そんな彼女の様子をよそにマナカが僕の方へと視線を向けた。
「アキ、魔族はこいつのように確かな自我はあるけれど…………魔王の命令はそのすべてに優先するの。魔王から命令を下されたその瞬間にその命令の達成こそが行動の最優先に置き換わってしまうの…………そういう風に魔族は出来ているのよ」
魔王が強いから、魔王軍の最上位の権力者だからではない。魔族がそういう生き物であるからなのだとマナカは言った…………それはつまりイリーナの意思など関係ないということだ。
「そ、それは本当?」
思わず僕が尋ねるとイリーナは苦渋の表情を浮かべる。
「事実、だ」
僕に嘘は付けないのか彼女は頷く。
「だ、だが今はまだ魔王様からそのような命令は受けていない! この島にやって来たのも我の独断なのだ!」
逆に言えば魔王の命令でもないのにイリーナはマナカを殺しに来たということでもある…………ただまあそれに関しては僕も納得はできる。マナカや人種の視点から見れば魔族は悪でしかないが、魔族から見れば逆にこちらが悪に見えるはずだ。
マナカは仲間の転生者と共に魔王討伐に挑んで敗退したが、その際に魔族の主だった幹部連中は討ち取ったと聞いている。そのことを恨みに思ってマナカを狙いに来るのは感情として理解できる。
「今はまだ、なのよね? それならこれから魔王が命令を下したら?」
「わ、我が死んだものと思われれば命令など…………」
「魔王はそんな甘い相手なの?」
そんなわけはないと確信しているようにマナカは言う。
「今この瞬間だって、お前の行動を把握している可能性はあるんじゃない?」
「そ、そんなことは…………!?」
否定しようとするイリーナだったが、その表情が驚愕に変わる。
そして何かに怯えるように、不意に彼女は空を見上げた。
◇
殺せ。
声が、声が聞こえる。魔王様の声が我の頭に響く。
殺せ。
繰り返し、絶対の命令を我に告げる。
転生者を殺せ。
マナカを…………アキを殺せと魔王様が命令する。たったそれだけで我の中のなにもかもが塗り替わって行く。その命令に従って転生者を殺すだけこそが正しいのだと思えてくる…………いや、実際にそれが正しいのだ。
魔王様の命令がなくとも転生者が我らの敵であることを我は知っていた。知っていたのだ。
「あぁっ!」
それなのに我はそこから目を背けた。魔王様がお怒りになるのも無理はない…………でも、ああ嫌だ。消したくない。塗り替えられたくない。
こんな幸せな気持ちになれたこと、我は生まれて初めてだったのに!
◇
「アキ、下がって」
マナカが僕を制するように前に立つ。
「残念だけど、魔族はこういう存在なのよ」
僕の視線の先でイリーナが変貌していく。喜んだり狼狽したり、先ほどまで感情豊かに見せていたはずのその表情から感情が抜けていく…………それが魔王から命令を受けるということなのだろうか?
僕らには何も聞こえなかったけれど、直前のイリーナの仕草はどこかから声が聞こえているようだった。マナカの言葉通り彼女は魔王にその行動を把握されていて、今この場で新たな命令が下されたのかもしれない。
「マ、マナカ」
「アキ、どうしようもないことはあるの」
それでも縋ろうとする僕にマナカは優しく言葉を返す。
「気に病む必要はないわ、これはあなたのせいじゃない」
いや違う、僕のせいだ。少なくとも僕が安易な行動をしなければイリーナもあんな絶望的な表情を最後に浮かべなかっただろうし、マナカだって僕に気を遣う事無くただの魔族と人種の関係として戦えた。
だから、だからだ…………これは僕がどうにかしなければいけないことだ。
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