七十一話 無茶な願いでも惚れた方の負け
マナカはイリーナを殺すに足る理由を僕に説明しようとしている。いくらイリーナが僕に好意を向けていてもそれは僕に対してのものだけで人種に対する害意が無くなったわけじゃないのだと…………だから殺すしかないのだと僕に納得して貰おうとしている。
もちろん、正しいのはマナカだ。本来であればそもそも僕の説得など必要なく彼女は問答無用でイリーナを殺していてもおかしくない。マナカの個人的な感情を無視してもこの世界の人間にとって魔族とは絶対的な敵なのだから。
僕はノワールさんから事情を聞いて知っているが、魔族はそもそもこの世界の創造神とは別の神の嫌がらせによって生まれた存在。生まれからしてこの世界の生命と敵対するように作られており、和解の可能性なんて皆無に等しい。
「…………どうにか、ならない?」
それなのに僕は縋るようにマナカを見てしまう。自業自得ではあるのだけど僕はイリーナに対して感情移入してしまっている。いくら魔族であるとはいえそんな彼女をマナカが殺すところを僕は見たくなかった。
「…………はあ」
マナカが大きくため息を吐く。そんな僕の様子がわかっていたからこそ彼女は先に殺していい理由を口にしていたのだ。それなのに僕はそんな彼女の努力に気づきながら無理な要求をしている。呆れられても仕方がない。
「アキ、それが無理なお願いだってわかってる?」
「…………わかってる、けど」
それでも僕の胸に生まれてしまった罪悪感は重くのしかかってくる。
「お願い」
他に方法がないと、縋るようにマナカを見る。それがまた卑怯なことも僕は理解していた。現にマナカはそんな僕の視線に怯んだような表情を浮かべている。
まるで自分が悪いことをしてしまったような表情になるマナカには申し訳なく思うが、他に方法がない。
「っ、どうなっても知らないからね」
自棄になったようにマナカが答え、彼女はイリーナへと視線を向ける。
「おい、お前は私を殺す気なんだな?」
「今しがた我がそう言ったばかりだろう」
学習能力が無いのかというように小馬鹿にしたような笑みをイリーナが浮かべるが、マナカは気にした様子もないようだった。
「まあ私も簡単に殺されてやるつもりはないけど…………もしも私が殺されたならあんたのことをアキは嫌いになるわよ」
「!?」
イリーナが驚愕の表情を浮かべる。
「我を嫌う、だと…………?」
「当り前でしょう?」
今度はマナカの方がイリーナを嘲笑する。
「あんた達魔族がどうだか知らないけど、私達は親しい相手を殺されれば殺した奴を嫌うものよ。その度合いは殺された相手とどれだけ親しいかによっては変わるけど、少なくともあんたが嫌われることだけは確かよ」
僕からするとそんなものが脅しになるのかと思ってしまうけど…………なるのだろう。事実マナカのその言葉を聞いたイリーナは顔を大きく歪ませている。
「ほ、本当に、我を嫌うのか?」
「それは…………うん」
僕を見て尋ねる彼女に僕は頷く。実際にもしもイリーナがマナを殺せば僕も自身の罪悪感とかそんなことは言っていられないと思う。やはり魔族は相いれない存在なのだとイリーナを拒否するだろう。
「まあ、お前がアキに嫌われても傍にいるだけで満足できるんならいいんじゃない? 私や他の人種も殺してアキを牢獄で飼い続けるのも一つの手段よ…………もっとも、その場合はお前がアキにかけてもらったであろう優しい言葉や、見惚れるような彼の表情も二度とと見ることはできないでしょけどね」
「!?」
再びショックを受けたようにイリーナが震える。
「い、嫌だ…………我はまたアキとあのように会話をしたい。よくわからぬが胸の奥が暖かくなるのだ。とても気分が高揚するのだ。生まれてよかったと思えるのだ!」
「…………」
やだ、怖い。本当に洗脳の力とかじゃないんだよね? 確かに僕は彼女を口説こうとはしたがそんなたいしたことをしたわけじゃない。
それこそ優しく声をかけて少し話したくらいのもので、たったそれだけでこれだけ好かれるのはやはりおかしいとしか思えない。
「それなら、殺すのは諦めるしかないわね」
できるのか、と問いかけるようにマナカが言う。
「ぐ、ぐうぅううううううううううう」
それにイリーナは歯を強く噛みしめて唸るように葛藤する。本能と僕に対する好感度。その二つに押し挟まれて苦し気に彼女は眉を歪ませる。魔族からすればこの世界の生命を害するのは本能なのだ。それこそ息をするのを我慢するのと同じで苦しいことなのだろう。
「わかった…………殺さ、ない」
けれどイリーナはそう口にした。
「えっと、それは大丈夫なの?」
大丈夫そうな表情ではなかったからこそ僕は尋ねてしまう。
「アキの為なら、我慢、できる…………害虫共のいない僻地に我は住まうことにする。姿さえ見なければ我慢できる、はずだ」
姿を見てしまえば本能が強く刺激されるが、そうでなければ我慢できるらしい。
「そう」
そんなイリーナを冷淡にマナカが見やる。それは彼女の決意を不十分に感じているということで、つまりはさらにイリーナを追い詰めるような言葉を口にするつもりなのだろう。
マナカは僕にお願いされてイリーナを説得で納めようとしているのだけど、その本音としては多分変わっていない。いくら説得したところで相いれない事を証明したいのだと思う。しかし同時にマナカは無意味に彼女を追い詰めるようなことをせず公平にイリーナを説得をするはずだ…………そうでなくては僕が納得しないだろうから。
「確かに人里離れたところで生活すればお前の言う通り人種への悪意は抑えられるかもしれない。元よりアキも人里に住むのは難しいことだし、それでどちらかが会いに行くという形ならそれほど問題はないわ」
僕もマナカやアリサのような人間を増やさないために一目に付く所にはいられない。だからイリーナがそうして暮らすのならお互い会う事は難しくない。
「でもそれをあなたの仲間の魔族は納得するのかしら」
あ、そうだった。イリーナは魔族であり魔王軍に所属している。魔王軍の軍規がどうなっているかはわからないけれど、普通の軍隊であってもいきなり辞めたいと思って辞められるものではない。
想像でしかないが魔族はまともな軍隊ではないように思えるし、そもそも辞めるなんてことができるような組織ではないだろう。
「我はお前を殺しに来た…………その後なんの連絡もなければ死んだものと思われるだけだろう」
抜けることは出来ずとも死亡したと判断されればそれ以上の詮索もされない。
「そう、そうなのよ」
マナカは頷くが、しかしそれは死の偽装に関してではないようだった。
「お前は、私を…………転生者を殺しに来たのよ」
それが核心であるのだと、マナカは言った。
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