六十九話 意図的にやれば罪悪感も覚える
落ち着け。僕の魅力が魔族にも通用しようがやることは変わらないはずだ。むしろ状況だけで見ればやりやすくなったと言ってもいい。 僕がただノワールさんに守られているだけであれば埒が明かぬと悟った魔族は別の行動に出たかもしれない…………そしてそれを止める力は僕にはないのだ。
しかし最初のマナカのような反応を見せるにせよ、僕に執着してくれるのであれば時間は稼げる。
「僕は、なにもしていないよ」
マナカの時のように焦って否定するのではなく、静かに諭すように僕は否定する。あの時の僕はマナカに対して死の恐怖を覚えていたけれど、今はノワールさんが確実に守ってくれているという実感がある。
魔族に対する恐怖がないわけではないけれど、あの時よりも冷静に物事を考えられるのだ。
「なにもしていないはずがあるか!? それなら我の胸に渦巻くこの不可解な感情は何だ!?」
激高したように魔族が叫ぶ。マナカの時もそうだったけれど、自分が抱くはずがないと思っていた感情を抱くことで僕が何かしたと思ってしまうらしい。マナカは自分の感情を固定していたからだったが、魔族の場合は人種相手に好意を抱くはずがないからだろうか…………そもそも魔族に同族同士でも恋愛感情があるのかどうかすら僕は知らないが。
「それは君の内から自然に湧いてきた感情だよ」
答えながら僕は暗闇から一歩魔族へと近づく。今彼女は僕の姿をまだ見ていない。それでこれなのだから僕を見ればさらに大きな影響を与えるだろう…………それでどうなるかはわからないが僕はもう覚悟を、自分のやるべきことを決めている。
僕は、この魔族を口説く。
多分それが一番被害なくこの場を収める方法だからだ。僕の魅力とやらが目の前の魔族にも通じているというのなら、それを最大限に有効活用するしかない。
「ひっ、寄るな!?」
悲鳴のような声を魔族が上げる…………多分彼女もわかっているのだ。それがいかなる力であれ抗いようのないことを。
自身にとって理解できないそれをこれまで怒りでごまかしていたが、僕の方から歩み寄ろうとしたことでそれが恐怖へと転化した。
「怖がらなくていいよ、僕はただ近くで君の顔を見てみたいだけだから」
「っ!?」
優しく声をかけるとますます魔族は困惑して恐怖する。
「よ、寄るなあああああああああああああああああああああああ!?」
魔族が叫びながら両手を振るい。僕の後ろにあった壁が今度は完全に吹き飛ぶ。怖くはあったけれどノワールさんが守ってくれたから僕は何ともない……………けれどのその事実がより彼女には恐怖を与えたようだった。
「怖がらないで」
暗闇から出て僕は彼女へと微笑みかける。多分ひきつってはいなかったはずだ。驚愕で魔族はその目を丸くする。苦し気にその胸元を自身で掴んだ。
「ぐぅっ、くそっ! なんだこの感情は! なぜおまえの声を聞くだけで、その顔を見るだけで胸が高鳴る! こんなことはありえない!?」
多分それは最後の抵抗なのだろう。これまでの自分を守るように魔族が叫ぶ。とにかく他の感情を昂らせることで自分の内の理解不能な感情を誤魔化そうという行為だ。
それならば僕はそれに負けないくらいに、その感情を膨れ上がらせてあげればいい。
「それは君が僕に好意を抱いてくれているからだよ」
「好意だと! ありえん! 我にとって転生者とは害虫共に与する排除すべき障害だ! それに好意を抱くことなど断じてない!」
「感情はそう単純なものじゃない。ありえないと思っていてもあり得るものなんだよ」
「違うっ! これは貴様が何かやった結果だろう!」
「僕はなにもしていない」
静かに僕は首を振る。
「さっきも言ったけれどそれは君の内から湧いた自然な感情だ…………僕の言葉はそんなに信じられないかな」
少し寂しそうに僕は俯く。
「あ、いや、そんなことは…………」
急に戸惑ったように魔族がうろたえる。今しがた僕の力で洗脳されていることを疑っていたはずなのに、その僕を信じられないことで罪悪感を覚えるのだから完全に自分の感情に翻弄されてしまっている状態だ…………あと一押し、っていうかこれは本当に洗脳じゃないんだろうか?
ノワールさんはあくまで純然たる僕の魅力と説明してはくれたけれど、こうして自覚的に活用すると洗脳としか思えないような反応だ。
「ねえ、君の名前を教えてくれないかな?」
「なっ、我の!?」
尋ねながら僕がゆっくりと近づくと魔族は狼狽して腰を落とす。そのまま後ずさろうとするがうまくできないのかほとんど身じろぎしただけになった。
「ななな、なぜ我の名前など知りたいと思うのだ!?」
「自分に好意を持ってくれてる相手の名前を知りたいと思うのは自然じゃないかな」
ものすごく適当な理由が僕の口からすらすらと出てくる。実情としては名前を呼んだほうが効果は高そうだし会話の繋ぎからという理由だ…………というか前世でも僕に女性を口説いた経験なんてほぼないし、数少ないチャンスも全敗しているのだ。行き当たりばったりで勢いのままやる以外にない。
「わ、我の名前…………い、いやそうだ! 名乗れと言うのならばまず自らの名前を名乗るのが礼儀であろう!」
「ああうん、それもそうだね」
そんな発想に行きつく当たり彼女はいい感じに混乱している。それならば僕が名乗るだけでも効果ありそうだと頷いて見せる。
「僕はアキ。アサガ、アキという名前だよ」
「っ!?」
僕の名前を聞いた、それだけで魔族がびくりと震える。彼女がいる場所には星明りしかないうえに褐色の肌で判別はしづらい…………それなのに顔が赤くなったのがわかるようだ。そう思える可愛らしい仕草の反応だった。
「えっと、それじゃ君の名前を教えてよ」
僕ははっと思い出したように尋ねる…………いけない。時間稼ぎのためとはいえ彼女を口説こうとしているせいか僕自身も彼女に感情移入しそうになっている…………敵、そう魔族である彼女はこの世界の生命にとって決して相いれない存在なのだ。
マナカが駆けつけたら彼女は敵として討ち取られる…………つまりは殺されるのだ。
え、彼女を殺すの?
今更ながらにそんなことを考えてしまう。このままうまく行けば彼女は僕に対する感情を理解して少なくとも僕に対して敵対することはなくなるだろう。もしかしたら僕の友人というだけでマナカに対しても手を出せなくなるかもしれない…………そんな彼女を殺す? それはつまり自分のいいように彼女を惚れさせて必要なくなったら殺すということだ。
それってものすごく最低な行為ではないだろうか。最終的な結果からすると前世の世界でホストが女性客を騙して貢がせていたのよりも悪質であるように思う…………向こうもひどいのは女性が自殺する結果になってたし同等くらいか、いずれにせよ人として最低であることには変わりない。
「…………」
いやまあ、彼女は善良な一般市民でもない敵ではある。敵ではあるが戦争犯罪なんて言葉もあったくらいだし争い合っているからといってやっていい行為と悪い行為があるのも事実なのだ。もちろんこの世界で人種と魔族がそんなルールを定めて居たりはしないだろうけど。
「イリーナ、だ」
「え?」
思考の海に陥っていたところから彼女の声で我に返る。
「えっと」
「我の名前だ…………お前が聞いたのだろう」
「あ、うん、そうだった」
僕は慌てて頷く。
「イリーナ…………いい名前だね」
「きゅ、急に呼ぶでない!?」
「あ、ごめん…………嫌だった?」
「嫌ではない、嫌ではないが…………」
恥ずかしそうに魔族…………イリーナが両手で顔を覆う。その仕草は完全に敵ではなく僕を好きになってしまった感情を持て余しているだけの少女だ。
どうしよう、ますます彼女を殺すことなど考えられなくなってきた。
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