三十二話 好きになることは何者であっても止められない
目の前のノワールという長命種は一体どれだけ私の心を惑わせたいのかと思う。今日彼女の家に訪問してから私の気持ちは激しく揺れ動き続けて落ち着く暇がない。
この世界に転生してからずっと神様の使命を果たそうと走り続けて来て…………自分の恋心を自覚したのなんて前世と合わせて十数年ぶりのことだった。
だからこそ私は暴走してしまったとはいえるが、彼女が私にしたことはそれを窘める程度ではない。私のこれまでの人生観をぶち壊しに来ている。
「もしも魔王がアキ君を見染めたら、あなたはどうするのかしら?」
そしてこれは極めつけだ。先ほどアキと離れることを想像させられたときは恐ろしい喪失感と不安に襲われたが、今度は心の底から湧き上がるような憎悪を感じる。それは彼への好意と使命が両立するものだからだろう。
「殺すわ、どんな手を使っても」
だから私ははっきりと答えた…………しかし彼女はそんな私の反応を予想していたように薄く笑う。
「できるの、かしらね」
「できるにきまっているでしょう」
魔王は私にとって仲間たちの仇だ。それが私の仲間の命だけではなく恋した相手まで奪おうというのなら殺さない理由がない。たとえその為に必要なのがどれだけ悪辣で倫理に反している行為であっても私は実行するだろう。
「でも魔王の方が戦ってくれるとは、限らないわよね?」
「は?」
私は思わず口を空ける。
「だってそうでしょう? 魔王があなたのようにアキ君を好きになってしまったのだとしたら彼の嫌がるようなことは、しなくなるわよね?」
つまりこれまでの人種との戦いをやめて和睦を結ぶ可能性があると彼女は言っているのだ。
「まあ、人種の繁栄のためであれば理想的な結末かも、しれないけれど」
ふざ、けるな…………私の頭に浮かんできたのはそれだけだった。
「魔王は…………魔族は、この世界の全ての生命と相反する存在のはず、だわ」
再び噴出しそうになる感情を抑えて私はそう口にする。魔族は単純に種族や思想が異なっているから国家連合と争っているわけではない。魔族の目的はこの世界の自分たち以外の全ての生命を滅ぼすことであり、その目的はどの個体であっても統一されたものだ。
だから過去に行われたという停戦交渉は全て無視されてきたし、逆に魔族側が歩み寄ってきたケースでは全て手痛い裏切りという結果が残っている。
とにかく存在として魔族とは相いれないのだ。
「そうね、その通りなのよね…………普通は」
普通ではないと暗に言う。
「確かに魔王であろうが魔族であろうがこの世界の生命に対して基本的にあれらは害意しか抱かないわ…………でも、あなた達転生者はこの世界の純然たる生物でも、ないわよね?」
私たち転生者は元の世界とこの世界の魂の交換によって生まれた存在だ。だから肉体はこちらの世界で再構築されたものだが、魂はこの世界のものではない。
「つまり、彼に好意を抱く可能性は十分にあると?」
「そういうこと、なのよね」
ノワールが頷く。彼女がなぜそんなことを知っているのかは疑問だが、今問題なのはそこではない。
「魔王は魔族の絶対的な司令塔だからその命令には全ての魔族が従うの。もちろんそれでも人種と魔族が共に手を取って未来に進むような道は築けないでしょうけれど、魔王がそうと決めたなら恒久的な停戦は望めると、思うわよ?」
命令に従うと言っても魔族の本能そのものが変わるわけではない。だから魔族は魔王の命令に従って戦いはやめるかもしれないが、それで仲良くなれるわけじゃないということか…………なってたまるか。
「でもその状況はいつまでも続くわけではないでしょう? 魔王だって無限に生き続けるわけではないし、長く続けば命令に疑問を覚える魔族だっているはず…………それに別の魔王が現れる可能性だってあるはずよ」
「それはないわね」
けれど私の反論をあっさり彼女は打ち砕く。
「魔王に寿命は設定されていないし魔族がその命令に逆らうことは、ないのよ。魔族には本能的に魔王の命令に絶対に従うようになっているの…………例え命令を不服に思ってもその本能に逆らうことは、物理的にできないのよね」
だから魔王が人類と共存を望み停戦を命じるならただそれに従うしかない。そして魔王の寿命がないのならそれは魔王自身が覆さない限り永遠だ。
「そして別に魔王が生まれることも、ないのよ? 絶対的な命令者が複数存在したら命令系統は滅茶苦茶よね? 本来魔王が目的を放棄するなんてことはありえないし、そんな事態は想定されて、いないのね」
つまり現在の魔王が存在する限り新たな魔王は生まれない…………でも、それじゃあ。
「つまりうまくいけばあなたに与えられた使命は果たせないけれど、その先の未来は手に入れられるわね。魔族の発生史上初めての恒久的な平和の実現が、できるかもしれないわ」
「そんなの」
私は思わず口を開く。
「そんなの認められるわけがないでしょう!」
そう、認められないのだ。そんな未来は。
「あら、なぜかしら?」
「それじゃあ私が魔王を殺せないじゃない!」
死んだ仲間たちの仇を討てない。その未来を受け入れるということは彼らを殺した魔王を許すということだ…………許せるわけがあるか!
私はもう一度魔王に挑んで今度こそあいつを殺すために戦力を集めているのだ。魔王と和解したいわけじゃない!
「あらあら、それで世界が平和になるのに?」
「世界が平和になっても私の心に平穏は訪れないわ」
その未来では私は殺すこともできない仇をずっと眺めていることになる…………ふざけるな。あれが今も生きていることですら許せないのに、あまつさえ彼と接しているところを見ることになると考えたらはらわたが煮えくり返りそうになる。
「ふふふ、それじゃあ…………諦めるしか、ないわね」
その反応を待っていたというようにノワールが私を見つめる。
「アキ君は、連れていけないわ」
結局は、その事実を突きつけたいがためだったのだろうと思う。彼をこの島から出せば魔王と接触する可能性が生まれて私が望まない未来がやって来るのだと教えたかったのだ。それならば魔王と会うことのない場所に彼をと思考を巡らせるが、そうすると彼が転生者であるという点がネックになる。
チート能力を貰っていないならば戦力にはならないが、転生者という存在はこの世界では特別だ。力がなくとも、いや力がないからこそ注目される可能性もある。それらから私が守ることを考えれば、結局前線に近い所まで連れていく必要があるのだ。
「…………はあ」
解決策が浮かばないことを理解して私は息を吐く。認めてしまえば感情も落ち着いた。どうやら私は目の前の女の掌の上で踊ることしかできないらしい。丁寧に他の道を断たれた以上もはやそれを受け入れるしかない。
「彼を島に出さないように協力すればいいんですか?」
私が尋ねると彼女はにっこりと微笑む…………初めて好意的な笑みを見た気がした。
「そうね、あなたが協力してくれると、嬉しいわね」
しらじらしい答え。
それでも私はそれに頷く以外の選択肢はなかった。
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