二十五話 真実であっても通じるとは限らない
マナカが帰った後僕も自宅に戻り、気が付けば夕飯の時刻になっていた。その間僕は何か作業をするでもなく、ただずっとマナカの話を思い返していた。固めていたはずの決意も簡単に揺らぎただノワールさんに庇われるだけ…………自己嫌悪で自分を殴りたくなる。
「…………はあ」
ため息を吐いて僕は椅子から立ち上がる。延々と自己嫌悪を続けていても何も変わらない。幸いというかマナカは当分この島に滞在するようだ。それであれば何かしら挽回する機会はあるだろう…………何を挽回すればいいのかわからないけれど。
とりあえず夕飯を食べようと僕は家の外に出た。辺りはすでに暗くなっているがそこは勝手知ったる場所だ。わざわざ明かりを用意せずとも果樹園からいくつか実をもいでくることくらい問題ない。ノワールさんのおかげで魔物や野生動物が侵入してくることもないのだし。
「とりあえずリンゴでも…………っ!?」
明日の分もいくつかついでに、と僕が手を伸ばしたところで急に視界がぐるりと回った。背後から引き倒されたのだと気づいたのは背中に裏庭の地面へと押し付けられた感触を覚えてからだった。
森の隙間から広がる満点の夜の星空が見える…………そんなことを考えている状況じゃないのは分かっているのに綺麗だという感想が浮かんだ。
「こちらの指示がない限り動くな喋るな。妙な動作を見せれば即座に殺すわ」
冷たい声色が降ってくる。満天の星空を覆い隠して僕の顔を見降ろすようにその声の主の顔が現れた。
「マ、マナカさん…………?」
それは間違いなく昼間にノワールさんの家で会ったマナカだった。その彼女にどうして僕は引き倒されて脅されているのかわからない…………しかもあんな風に睨まれて。
夜目が利いてしまっていることを後悔するくらいには憎悪に満ちた表情を彼女は僕に向けていた。その憎悪に負けて僕は取り押さえられているわけでもないのに身動きができない。
「喋るな、と言ったはずよ」
「っ!?」
思わず名前を呼んだことを咎められ、喉がきゅうっと締まる感覚を覚える。彼女と僕の間には圧倒的な力の差がある。次に警告を破れば即座に殺されるだろう圧力を僕は覚えた。僕は何も言えずにただ彼女の顔を見ることしかできない。
「これからいくつかお前に要求する。それだけに答えて余計なことは口にしないで…………わかったら頷いて」
「…………」
僕は頷くより他になかった。
「まず、私にかけている力を解きなさい」
しかし早速意味の分からない要求が来た…………かけている力? 僕に何の力もないことはノワールさんの家で説明したはずなのに。
「早くして。悠長に待ってやるほど私の忍耐は強くないの」
「…………」
そんなこと言われても困る。しかしそれを口にすれば今度こそ殺されるかもしれない。しかし口に出さずに仕草で主張しようにも動くことも禁じられていた…………詰んでる。
やむを得ず僕はゆっくりと右手を挙げて意見具申を主張した。
「…………なに?」
警戒するように僕の右手を睨みつつもマナカはそれを許容してくれた。
「あの、力って言われても何のことか…………」
「わからないはずないでしょう!」
マナカが叫ぶ。
「私やあのノワールという長命種にお前が使っている力のことよ!」
だからそれが何なのか僕はわからない…………というかノワールさん? あの人の場合仮に僕が何かしらの力を持っていたとしても通用する相手じゃない。
「あの、本当に何のことか…………」
わからない。そう告げようとした僕の顔の間横に何かが突き刺さる。それがマナカの手刀であったことに気づけたのは彼女の顔が一緒に近づいたからだ…………地面って、あんな簡単に貫けるものじゃなかったはずだと思うんだけど。
「とぼけるな、殺すわよ」
とぼけてないです、そう口にしたいが怖くて出来なかった。一体僕が何をしたと言うんだろうか…………本当に心当たりがない。マナカの方には何かしらの確信があるらしいのだけど、僕は本当に何の力も持っていないのだ。
あの少女の神からおまけで努力の才能は貰ったけど、それで二人に何かできるような力を鍛えてはいない。
ただ、それをそのまま伝えても納得してもらえないだろうと思えた。むしろ誤魔化すなと余計に怒らせるのが容易に想像できた。
「…………」
だから僕は沈黙するしかなかった。しかしその沈黙も彼女の忍耐を刺激してしまうのは間違いないことのようで、ゆっくりと地面に突き刺さっていた彼女の右手が引き抜かれる。
「最後通牒よ。私にかけている力を解きなさい」
次は脅しではないとマナカは言う。しかし本当に僕は知らないのだ。自分でもわからない物をどうにかしろと言われてもどうしようもない。
「…………そう」
そんな僕をすっと目を細めて彼女が見る。僕の視線は自然と引き上げられた彼女の右手へと吸い寄せられる…………あの手刀を避けられるだろうか?
何とか転がって避けてそのまま立ち上がってノワールさんの元へと逃げる。無理だ。そんなことができないくらいに彼女と僕の間には力量差がある。そして彼女はそれ以上待たなかった。
「っ!?」
思わず目を瞑る。僕は不老長寿であっても不老不死ではない。あの手刀で貫かれれば僕は死ぬだろう。それを見て受け入れる勇気が僕にはなかった…………暗闇の中で痛みを与えられることに怯えて待つしかなかったのだ。
「…………あれ?」
しかしいつまで経っても痛みはやって来なかった。痛みを感じる間もなく即死したなら意識があるのもおかしい…………いや、厳密には違うとはいえ死後の世界もあったわけだしおかしくはないのかな。
ともあれ僕は目を開く…………しかし目を開いても視界は真っ暗だった。やはり僕は死んでまたあの少女の神のいる場所のようなところへ跳ばされたのだろうかと思ったけれど、手を伸ばすと感触があった。固い、木の表面のような感触だった。
「なぜ邪魔をするの」
「しないわけがない、と思うのよね」
その感触の向こうから二人の声が聞こえる。マナカと…………ノワールさん。それで僕はノワールさんによって助けられたのだということを理解した。恐らくだけど彼女がいつも使っている植物を操る魔術で僕を覆ってマナカの手刀から助けたのだ。
「あなたは彼に洗脳されているのよ」
マナカがノワールさんに告げる…………は? 僕がノワールさんを洗脳? まるで心当たりがなさすぎる。
「あなたが自然に感じていると思っているその感情は彼が神様から貰ったチート能力を悪用した結果よ。彼自身がそれを解くつもりがない以上は殺して解除するしかないわ」
えっと、それはつまり僕が強制的に相手に好意を抱かせるとかそういう洗脳能力を持っているということだろうか…………いや持っていないんだけど、しかしマナカは僕がそういう力を持っていると確信しているということらしい。
「いや持ってないよ!」
大にして叫ぶが反応はない。僕を守るための木の覆いが声を完全に遮ってしまっているようだった。
「あなたは勘違いを、しているようね」
叫ぶ僕をよそにノワールさんが冷静な声色で告げる。
「勘違いなどしてないわ!」
「そう」
無理に説得するつもりはないようにノワールさんは引き下がる。
「いずれにせよ私はアキ君を守る、だけかしらね」
しかしただその一点だけは引き下がる気はなかった。
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